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どうでも良い事だけれど、「いだてん」は本当に人気が無いんだなあって時々思います。夫は単に内容に、つまりオリンピック話というテーマに興味が持てないんだと言います。作品レベルで言ったら最上級なのに、勿体ない事です。
なんで時々このような事を思うのかと言うと、これもまたブロガー視点という如何にも私らしいものなのですが、普通、今までは「大河」の感想を書いたりすると、私の記事のレベルが如何に低い物であったとしても、アクセス数が1.5倍ぐらいに跳ね上がったりすることがままあったのですが、今は「いだてん」の感想を書くと、だいたい80%ぐらいになってしまうのですよね。これはずっとなんですよ。
見ていないドラマの感想なんか読まないですものね。
だけど作品のレベルが本当に高いので、私はこの先も応援して行きたいと思っています。
「がんばれ、『いだてん』!」「走り抜け、『いだてん』♪」
そして13回の「藤原竜也のラジオ」でも、その主演である中村勘九郎さんに対してのエールソングが流れましたね。
流れて的には、「二回道」のDVDのCMから、その「二回道」の想い出、「三回道」もやろう、その時のゲストにまた出てもらおう、でも今は撮影が大変だ、だからエールの歌をと言うものだったと思います。
だけどいつもちゃんと思ってる。
そんな所が素敵だなと思いました。
しかし今回、つまり13回は、楽しかったけれど、ちょっとバタバタ感が半端なかったですね。
もう少し流れをちゃんと作ってやって欲しいなと、スタッフさんにお願いしたいと思いました。
名前すら紹介されないあなた様が、肝心な所を抑えているのですよ、実は・・・・・。
と、ここに書いても届かないだろうなぁ。
これ、勘九郎さんに届けばいいなぁと思った竜也さんと同じかしら・…違うか(笑)
「北風小僧の貫太郎」は下に貼っておきますね。
それとひとつ前の「12」。
間が空いてしまったら、ほとんど忘れてしまったのですが、あの「効かないよ」の話はとっても怖かったので、それは忘れられませんよ。
先日友達に会った時に、この話をして盛り上がったのです。いや、みんなで盛り上がったかどうかは不明。少なくとも私のテンションは上がっていたと思います。→「令和」に会おう
いろんなものが「恐怖症」の竜也さん。怖いものの一つに、「怖い物」がある…って、分かり辛い書き方ですね。地方なんかに良く行く機会のある役者さんたちは、けっこう同じような経験をしているのではないですか。
ロケ先の旅館なんかで、テレビつけっぱなしや電気つけっぱなしで寝たりするときは怖い時みたいなことを、その時滞在していたお寺の住職に言ったら、指を鳴らして何かを唱えるとだいたいの雑霊は去ると教えてもらった。
そしてある時の真夜中、クローゼットの中のハンガーがカタンカタンと鳴りだして、そうだ、あれだと実行したら、耳元で「効かないよ」と声がした・……と言うお話だったと思います。
最後のオチの所で、本当に「キャー」って思いましたよ^^
私から聞いたお友達も、最後に「コワーイ」って言ってました。
今回(13)も、お便りでラップ音の怖いお話が有りましたが、私、これは空調に関係のある、ある種の家鳴りだと思っているんです。以前竜也さんのお芝居を観に、初めて一人旅をした時のホテルでのパッキーン、バーンという音が、本当に半端なかったですよ。で、空調をつけたり止めたりして、何分後にその音が鳴るのか測ってみたら・・・・・って話は、水を差すようなものなので止めておきます。
だけどね、世の中には本当にあるよ、本当に怖いなぁって思う出来事がね。
こわこわこわ・・・・・ってなわけで、また次回。
そして、「12」で流れたこの曲も貼っておきます。昔から、ちゃんと聴いたことがなかったのですが、ちゃんと聴いてみたら、いい歌だったのですね。↓
前略、道の上より 一世風靡セピア
平成から令和に元号が変わろうとしている今、一足早く「いだてん」の世界では明治から大正へと元号が変わっていました。
今回の二階堂トクヨの登場、良かったですね。
彼女の発言、またはその師である永井道明の言葉は突き刺さるものがありましたが、かなり正論で共鳴できました。
敗因をあげれば、すべて言い訳になってしまうと言う考え方は、日本人には多く見られる思考だと思います。だけどそこで敢えて、「敗因は何か。」と問う二階堂に、「敗北から学ばなければ意味が無い。」という永井。
それに彼女を囲んで詰め寄る男子に、牡丹餅とカツを入れるのも痛快でした。たまたま男子に生まれただけで…と言うシーンです。
このシーンは、男の人から見ると、意外と決まりきった表現の仕方に感じるかもしれませんが、このセリフひとつで、私なんかは二階堂が凄く好きになりましたよ。
私は大河を見た日のかなり遅い時間になってしまいますが、ツイッターでいろいろな事を補完させていただいています。自分では気が付かなかったことがいろいろあるからです。
例えば
昨日、ブログ生活4848日目だった。
こういう数字が好き。4も8も私の好きな数字だし。
ああ、でも「シワシワ」とも言うのか。いや、待てよ。「しわ」がダブルなんだから「しわあわせ」、つまり「しわわせ」って事でいいんじゃないかな。
まあ、うちの夫殿なんかに、もしもこんなことを言ったなら、
「そりゃ、『しあわせ』って言うんだ。」などと実も蓋もない事を言いそうだ。
あー、やだやだ。
ところで昨日、妹は抗がん剤治療に備えて、髪をベリーショートにしてきた。
長い髪で抜けると怖いからと言っていた。
言われて初めて気が付いた。
想像すると本当に怖い。日本古来の怪談のシーンになってしまう。
経験しないと分からない事は一杯あるよね。
新しい髪形も、凄く彼女に似合っていて、送られてきた写真の中の彼女は素敵な笑顔。
なんて強い子なんだろうかと、尊敬の気持ちが芽生えたよ。
だけどお姉ちゃんは、って、私の事だけれど、きょう申請しておいたパスポートを取りに行き、10年前の古いパスポートの写真と比べたりしていたよ。
確かに10年前は若いな。当たり前の事だけれど。
だけど今の顔だって嫌いじゃないや。
それが大事よね。
そうは言っても夕方になった頃、私はすっかり疲れてしまい、中学生の前で
「もう人生に疲れました。」と言ったら、
「この前読んだ本に、人が一日一回ぐらい死にたいと思うのは普通の事なんだと書いてありました。」
ー いやいや、死にたいなんて言っていないんだけれど・・・・・
と思ったけれど、死んじゃっても良いやぐらいは結構思う人。
「うんうん、なるほどね。でも私はシガラミも多くて、今はとても死んじゃいられないと思っているから安心してね。というか、死にたいと思う事は普通の事でも、君たちは絶対に死んではダメですからね。」
と、たった一言の愚痴からもお話は広がってしまうのだけれど、そう言う事も大事な事かなって思う。
その前の日、月一ぐらいで集まるお友達とランチをしてきた。言うなれば「平成最後の奥様ランチ、その1」と言う感じかな。最後と言いながら「その1」^^
お友達が、このブログを読んでくれて、
「今まで藤原竜也とか吉田拓郎の事なんて話したことあったっけ。」などと言うので、思わず
「藤原竜也のラジオ」の話や、藤原竜也のあれやこれやと思わず暴走してしまった。
で、「あっ、すみません。ついつい、熱く語ってしまったよ。」と謝る私。
だけどすごく楽しい時間だったな。
本当はこの奥様ランチ、書こうと思ったらなかなかネタもあるのだけれど、キリもないし、深く考えて書かなくちゃと言う所だけれど、真夜中で頭も停止気味だから止めておこう。
それで、別れ際に
「じゃあ、次に会う時は『れいわ』だね。」と私が言うと、一瞬きょとんとした友達。
「次に会うのは5月だからもう令和でしょって事よ。」
「ああ、本当だねぇ。」「早いよね~。」
そう。いつだって思う。時の走り去る速さを。
《トップ画像は実家にあったチューリップです。》
昨日はルート君が免許書き換えとかで久しぶりの平日休みでした。
それで二人で本当にこれもお久しぶりにランチに行きました。
比較的近い所にあるピザとパスタのお店です。
こんな前菜が付くので結構お腹がいっぱいになります。
そしていつもここでは肝心のピザの写真を撮り忘れてしまいます。
二枚のピザをシェアして、
食後にドルチェと珈琲を頂いたらお腹も一杯になりました。
震えるほど寒い雨の日だったので、この後少々買い物つきあってもらい帰宅しました。
このように食べたものなどを記録していると、こりゃ絶対に痩せるわけがないなとは思うのですが、続く時には続くのです。
※
先日横浜に帰ったのは7日で、だいたい横浜に帰った日の夜は、ラッタさんと会う事にしています。
7日の日の昼は中華街に行って、中華を食べたわけですが、その日の夜はなんと横浜東口アソビルの崎陽軒の「シウマイBAR(バル)」に行ったのです。
昼間のお食事の画像は→母の過去を辿るミニ旅
そして夜は
昼間も焼シュウマイを食べたと言うのに・・・・・。
「以前にもこんな事があったな。」と私は言いました。
以前と言うのは昨年の11月の事で、父の誕生日近くにいつも墓参りに行っている我が一族。
生前父が、墓参りに来るときはついでにみんなで遊んで帰ると良いよと言っていましたが、その言いつけだけは守っている私たちでした。
お馴染みの街中温泉に行って、
お昼はこんなものを頂いたのですが、お昼も参戦していたラッタさんは途中で前日の寝不足がたたり、お昼目タイムになりデザートも食べず、夕方にはすっかり腹減らしになっていました。
因みにこの日のお風呂では、ボジョレ―ヌーヴォー解禁にちなんでワイン風呂があり、皆でそのお風呂を楽しみました。ワインの継ぎ足しが、凄く面白かったのですよ。みんなの手の中にワインを注ぐのです。ほとんどがお風呂の中に零れてしまうのですが、手の中に残ったワインを頂きそして顔などにもピシャピシャして楽しむのです。
一緒に行った叔母とか姉などは「いいよいいよ」と尻込みしてしまったのですが、意外な事に母などは積極的に楽しんでいたのが、なぜか嬉しかったです。
「やるじゃん、お母さん。」ってな感じでしょうか。
そしていったん解散した後、再び横浜駅で待ち合わせをした私とラッタさんは
こんなメニューをシェアして頂きました。主に腹減らしのラッタさんメインだったと思いますが、なかなか庶民的な感じの味のお店だったと思います。
店名を載せないと、あまり情報にはなりませんね。
ええと、たぶん「龍王」だと思います。(なんかここにまた行きたくなりました。安いしね。)
ところが翌日、母がお昼に連れて行ってくれたのはやはり中華のお店。
私は母が、いつも
「私はたくさん食べられないから、ちょっとでいいの。」と言う言葉が気に入りません。
母はそれでいつもこのお店で「お子様ランチ」を食べるようになっていたのです。それはどんな味なのかなと、前に私も食べてみました。子供用なので塩分控えめなのは良いのですが、半ラーメンにポテト。それでは大人のお食事には栄養的に不足ですよね。
それで姉と母と私でシェアしたのがこれです。
実はこれに餃子もついていたのです。
なんか取り分け易いと言う理由で、このメニューになってしまったのですが、
私は心の中で・・・・・
「何か、何かが間違えているような気がする。」と呟いていました。
別に横浜中のお店のチャーハンや焼きそばを極めたいわけでもあるまいしね (^_^;)
母は「私はちょっとで良い」と言いながら、少しずつ分けると、ちゃんと全部食べられるから多くはダメと思い込んでいるのかも知れないなと思っています。
老いた人には、栄養は取っていただかなくてはなりませんよね。(私はまだ控えめにしなくては・・・・ふぅ)
それはともかく、話を元に戻して7日の夜のラッタさんとの会話の続き・・・。
「なぜいつもいつもこういうような事が起きるんだ。」と私が言うと、
「仕方がないよ。横浜には丘と谷と中華しかないんだから。」とラッタさんが笑いながら言ったのでした。
「海もあるじゃない。」と私が言うと、
「海が見えるのは一部だけで、殆どどこに行っても見えないし、美しい風景を普通に暮らしている横浜で見たことが無いな。」とまた言いました。もちろんそんなにマジメに言っているのではなく、私の中華続きの食事をちゃかして言っているにすぎないので、嘆いているわけではありません。
だけど「中学の時、ずっと海を見ていたよ。」と言って、私は考えてしまいました。
以前、家の近くの坂をずっと歩いて上がって行った時、どんどん道幅が狭くなり、行ってみたかった尾道体験はここでも出来るなと思った私でしたが、確かにそこを登り切っても、海など見えないのが横浜と言う所です。
見えるのは、向こうのお山の上にある団地群です。
ああ、なるほど~とその時私は思ったのですが、
でもね、ラッタさん。
普通の暮らしの中の美しい風景は、やっぱりどこに行ってもあるよ。
11月の横浜の帷子川の風景です。
ところで翌日の8日のお昼の話ですが、母が連れて行ってくれるのはいつもの中華屋さん。
御馳走してくれるのに、何も文句などありません。ところが母が言いました。
「もうすぐ年金が入るから、気持ちが大きくなってるのよ。もっと良いところでご馳走してあげる。」
本音を言うと、「助かったな。」と思いました。中華三連は、やっぱりなって誰だって思うでしょ。
で、
※
秋葉原駅のはなもも。
家の近くの駅の風景。
だけど季節は次の新緑の季節に向かっていますね。
だから寒さよ、飛んで行け~~!!
4月7日(日)に、母の母校を母と姉とで訪ねてきました!!
本当にはるか遠い昔に、母が通っていた女学校は横浜の山手にあったのです。そう書くと、さる有名な小説のモデルになり全国的に有名なあの女子高を思い浮かべられる方もいらっしゃると思うのですが、そこではありません。
と言ってもな、今の「若い人」はあまり知らないだろうなと思うけれど。
またトップ画像も、母の学校とは違います。
「元町公園」内にある「ベーリック・ホール」のジオラマです。
※
2014年の記事「甲斐の旅《その3》」の冒頭、
>『「変わってしまった。」「変わってしまった」と甲府の街を訪れて、事あるごとに母が言いました。
だんだん私はイライラしてきて、
「むしろ変わらないほうが可笑しいってもんでしょ。なんにも変わらないで昔のままだったら、気持ちが悪いわよ。」と言い放つ・・・
娘というものは、親の、特に母親の老いには鈍感でいたいものなのです。
だけど老いた母にとっても娘はいつまでも子供で、そのように冷たい言葉をうっかり吐いてしまっても子供の戯言にしか感じずに動じないのでした。
自分の思い出を形成する街は、既に記憶の中にしかないのです。』と書きました。
この「甲斐の旅」と言うのは、生前父が最後に叶えられなかった、「もう一度母の(つまり私の祖母)墓参りに行く」と言うものを、皆で代わりに叶えに行くと言うのが目的の旅でした。それともう一つ、皆で父の過去に会いに行くと言うものも含まれていました。父の育った甲府の街を歩き、そして父の母校を訪ねてみる―、そんな旅。
その時、私は思ったのかも知れません。なぜ父が生きている間に、同じような事をしなかったのだろうかと。
今、私の母は寝込んでもいないし認知症になってしまったわけではないのです。だけど昨年から、坂道を転がり落ちるような急激な老いを感じさせるようになりました。加えて、今年の3月をもって30年以上も続けてきた自治会館の管理の仕事も止めたのです。あまりにも習慣化していたお仕事でしたので、そのぽっかりと空いた部分を埋めるためにも、今度は母の母校を訪れてみる事にしたのです。
だけど母の言う言葉は同じ。
「変わってしまった。」!
そして「がっかりした。」だったのです。
変わってしまった今を見せつける事は、むしろ残酷な事だったのでしょうか。
だけど良かれと思ってしたことを「がっかりした。」と言われては、私にとってもがっかりな事でした。
2014年から5年は経っていて、流石に私も「言い放つ」なんてこともなく、一晩経って、私は母に諭すようにゆっくりと言いました。
「確かにお母さんの出た学校は、そのままの形ではそこにはなかったかもしれないけれど、更地になってしまっていたわけでもないし、マンションが建っていたわけでもないでしょう。ものすごくバージョンアップして他に転移したのよ。そしてそこはまた、ちゃんと違う名前でも学び舎になっているのよ。凄い事じゃないの。
過去の場所を訪ねても、同じように木造の建物なんか建っているわけもない事で、大事な事は、かつてその空間に私はいたと感じる事なのよ。感じたでしょう、昨日。良かったじゃないの。凄い事よね。楽しかったよね。」
なんだか最後は洗脳 ?
だけど母は言いました。
「確かにそうよね。立派になって残っているのよね。考えてみると凄い事だわ。」
そしてまた「花ちゃんは楽しかった ?」と言うので、
「えっ? もちろん楽しかったよ。」と答えると、
「じゃあ、良かった。」と母は言ったのでした。
・・・・・・なんだかなあ。
「母の過去を旅する」企画は、実は第二弾があって、母の疎開した地を訪れると言うものがあるのですが、頓挫しそうです。
母に楽しい、嬉しいと言っていただかなくては意味が無いからです。
だけど7日のミニ旅は、けっこう面白かったと思うのだけどなあ。
※
11時に横浜駅で待ち合わせをした私たちは、最初に中華街で腹ごしらえをしました。
ここからはお気楽な写真日記です。
交番のデザインも楽しい中華街。
今回の目的地。母の母校だったところです。
そのお向かいの教会。今は母は仏教徒だけれど、若い時には憧れてちょっと通ったみたいです。
そして、横浜で一番有名な(たぶん)フェリス女学院。
山手の風景です。
この後の計画では、「山手十番館」でお茶を頂いて、港に戻りシーバスで横浜駅に戻ると言うものだったのですが、なんと「山手十番館」は貸し切りでアウトでした。
その日は外人墓地が特別公開中。私はそんな特別公開の時に中に入った事があるのですが、姉は未体験。入ってみたいと思ったようなのですが、霊感体質の母から拒否されてアウト。(理由が我が家らしいでしょ・(笑))
「港の見える丘公園」を目指して歩いていた時に、ちょうどバスが来たので、計画はすべてチャラにして、そのバスに乗って桜木町経由で横浜駅に戻り、そこで元町喜久屋のケーキを買って帰りました。
だけど1か所はしっかり見たので、私的には満足できました。
上のは姉が買った絵葉書です。
「ベーリック・ホール」は確か、初めて入ったところだと思います。横浜には入れる洋館が「山手資料館」を含めて10はあるかと思います。どこに入ったかどうかは、もう頭の中がごちゃごちゃ。とにかくブログをやっていない時に行ったのだと思います。(やっぱりブログって便利です。)
洋館巡りもイイナぁ~♪
そしてやっぱり最後は「花より団子タイム」。実家にて。
「4月の東京散歩《品川からお台場まで歩く》」の記事の最終回で「風に吹かれて歩く」の続きです。
「散歩」と「小さな旅」とは、本質的には大差がなくても、やはり若干違うような気がします。
4月の「東京散歩」は、その最後には「小さな旅」という意識に変わっていました。
そんな風に私の意識を変えたのは、砂浜を歩き水の上をシーバスで走ったからでした。
その日の朝、私はその日のうちに海岸の砂浜を歩くなど思ってもいなかったのです。
たとえ泳げない海であっても、海自体には心惹かれるものがあるでしょう。でもその日に見るはずの海は、遠い沖合へと続く海だと思っていました。それをその岸辺を歩くなんて、なんだか嬉しい事だと感じたのです。
旅人のようにうつむいて石を探したり貝殻はないかと見まわしてみたけれど、この人工の砂浜には期待出来ないみたいです。
そして久しぶりの経験でしたので、砂浜を歩くのも大変でした。
その時、星子さんがモロッコに行った時の話をしてくれました。
― 砂漠を歩くのはもっと足が沈んで大変だったのよ。
そうかそうか。砂漠に比べたら、こんな砂浜、何でもないな。ふぅふぅ。
ーでも、登り切った時に見た、昇って来る朝日は本当に綺麗だったのよ。
だろうな。なんだか想像しちゃうな、素敵だな。ふぅふぅ。
そんな話をしているうちに砂浜から脱出できました。
昇って来る朝日は、もちろんありませんが
今の季節限定の美しさはあったかな。
そして私たちは砂浜の風景を堪能した後、そこからシーバスに乗って帰途に着いたのでした。
シーバスと乱暴に書いていますが、それは半券を見てちゃんと書くのを怠っているからです。
本当はちゃんと名前があるのです。(後で、ちゃんと書きなおすか忘れるかは気分次第です。)
お台場から浅草まで1時間もかかると聞いて、私は吃驚しました。
えっ、そんなに!?
でもかかりました。
だけどその水上の旅は、本当に楽しかったです。
海洋大学の船が見えたり
街並みの揺れる影を感じたり
テレビで紹介されていた所を見たり・・・・
ただ風景が綺麗だと惚れ惚れとしたり、単に桜の岸辺が綺麗だとカメラを向けたりしていたのです。
画像はありませんが、海側に体を向けている芭蕉先生の銅像も見ましたよ。
徐々に夕闇が迫る時間が近づいて来ていました。
浅草に着いても、駅まではまたちょっと歩かなくてはなりません。
そうして私たちは、また浅草の街の中を目で楽しみながら駅に着き、その日の旅を終わらせたのでした。
「風に吹かれて歩く、レインボーブリッジを」
まあ、こう言うのを倒置法と言い、詩の表現技法を説明する時など、今度からこれを例に使う事にしようっと。
「テクテクとレインボーブリッジまで♪」の続きです。
30分以上、ずっと風にさらされていました。思わず頬をスリスリと手で触ってみました。きっとカサカサしてしまったに違いないと思ったものですから。
そんな事を思いつつ、やはりこの風景には心が洗われるような気持ちになりました。
テクテク
ビュンビュンと車が私たちの横をひっきりなしに走り去っていきます。
思わず私も仕舞ってあったマスクを装備しました。
だけど
誰も居ない・・・・・。
一瞬だけのブリッジ独占だ!!!
すると向こうから
愉快な方々がやって来たのです。
この車はレンタルらしいです。
こんな人たちは渡っている間に3回もやって来ました。一回目は写真を撮るので精いっぱいだったし、二回目はなんとなくスルー。三回目になってようやく全力で心を込めて手を振りました。
日本で素敵な想い出が出来ますように♡
だけど私、思いました。
私が全力で手を振れば、相手の方々もそれに応えるわけで、
片手運転を無意識に強要しているようなものなんだなと。
良かれと思ってしたことも、その裏は実はある。
物事は表裏一体。
・「「相棒」のロケ地に行ってみました。(たぶん)」の続きで、「4月の東京散歩《品川からお台場まで歩く》」の中の「Los Angeles balcony」から「レインボーブリッジ」までのテクテク散歩です。
かかる時間はセッセと歩いても30分では行けないと書きましたが、40分から遅くても50分ぐらいで着くと思います。それを1時間30分もかかったのは……、まあ、こんな感じで歩いていたからです。
一番時間を費やした場所は、トップ画像の船が停泊して東京モノレールが走るここだったと思います。
ああ、そうそう。
次の画像は、その時間には入っていませんが、「Los Angeles balcony」の入っている「品川シーズンテラス」には、こんなオブジェがあったのです。
私がここで、星子さんに、近頃、この形で自分のブログ記事に参加するのが好きだと言いましたら、撮ってくれた写真が次の物です。
なんかこれ、SFっぽいじゃない?
(顔は歪んで怖いのですが。(笑))
いかにもお上りさん的な発言ですが、東京には建物自体が美しいなと思えるものが多いですね。
そして同じ花の季節でも、本当に色々と工夫されているなと思います。ピンクと赤の色どりも素敵。あの赤い花は何かしら。
テクテク
そして
この場所に着き、しばしの休憩時間を取りました。
時々、撮り鉄になる私。
この場所、モノレールがすれ違う凄く良いポイントなんですよね。
まあ、興味のない方には「?」なものだと思います(笑)
東京モノレールに乗ると、本当に見える外の風景が素敵でトキメキます。窓から風景を楽しんでいた人の中には、写真を撮る私たちに目を止めた人もいたかもしれませんね。
モノレールが来なくても、ここの風景だけでも素敵です。
私たち、今はまだ書く事ではないのですが、ここのベンチに座って次の大事な事を決めました。
大事な事って・・・・・、まっ、遊びの計画です(^_^;)
テクテク
夜はもっと素敵ね、きっと。
思わず提灯に明かりが灯った風景を想い描いてしまいました。
実は、東京モノレールの交差するポイントをもう一か所見つけてしまいました。
なぎさ通りの道の踊り場(?)になっている所。
もう良いよと言われそうですが、・…言われそうですが載せちゃう・…あまり上手くは撮れていないのですが。
私自身、もう良いよと思っていたものですから^^
ここが良いのは、車両がばっちり見える所かもしれませんよね。
(ああ、楽しい)←私の心の中の声。
この場所からは、
カルガモの休憩所があったり
飛行機雲に心をトキメかしたり・・・・
趣のある建物を見て楽しんだりしました。
テクテク
テクテク
なんたって桜の季節です。
この桜は、ソメイヨシノではないみたい・・・。
「フジザクラ」ですって。
「汐彩橋」しおさい橋です。
今、橋の塗り直しをあちらこちらでしていますね。
この橋は欄干が、まさにレインボー色だったのですが、「もう良いよ、もう、どうでもいいや。」と言う気分になっていたものですから、写真撮らずでした。
たくさん撮る割には、いえ、撮るからでしょうか。ときどきそう言う気分に襲われます。この時はまさにそんな気分だったのですね。
そして着きました~♪
簡易版だった『4月の東京散歩《品川からお台場まで歩く》』、少しずつ、もう少し丁寧に書いていく事にします。
その記事の中で
>品川には、ちょっと行きたいお店があって
と書いたのですが、それがこの「Los Angeles balcony」でした。
タイトルに思わず(たぶん)と書いたのは、「ああ、ここだ~!」みたいにピンとこなかったからなんです。
でもここが何かに使われた事は間違いのない事です。
というのも、「相棒」のエンドロールの所で録画を止めて、しっかり協力店名をメモして手帳に挟んでおいたからなんです。
かなりブロガーとしては失格だなと思うのは、それがいつの話なのかが、今となってはさっぱり分からないと言う事なんですね。
だけどしっかり見ておけば、いつか再放送の時、またはこれからも使われた時などに「あっ、ここだ~!」となるかも知れません。
以前は外で右京が誰かに会う時は、だいたい「日比谷茶廊」が多かったと思うのですが、最近は時々違うじゃないですか。私はたぶんそこを探していたのだと思うのです。
その「日比谷茶廊」に行った記事は→「秋をあなたに<その1>」です。
なんと2008年の記事なんですよ。懐かしいです。日向。さん、うっちーさん、お元気かしら。
みんなあれから10年と数か月も歳を取っちゃって・・・・・。
だけど私は相変わらずな事をしていますよ。
なんだか笑っていいのか嘆いて良いのか、よく分かりません。
とりあえず「楽しい」と言う事には間違いはないようです。
お店側。
反対側
お食事。
二人分です。シェアしました。
サンドイッチはオープンで来て、自分でクルクル巻くみたいなのですが、
二人で分けるのかと気が付いたお店の方が、あらかじめこのようにして持ってきてくださったのです。
若い頃の北村有起哉さん似のお店の方もいらして、なんだか凄く感じ良かったです。
みんなとっても美味しかったです。
せっかくの美味しい珈琲なのだから、紙コップじゃなかったらもっと良かったのにと思いました。