森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

相棒18 第19話「突破口」

2020-03-15 00:13:27 | ドラマ(相棒)

事件の顛末はともかくも、なんだか心の奥底がジンワリと温かくなるようなお話でしたね。さすがにライターの太田愛さんはこういうお話が上手だなあと思いました。

しかも私、騙されてしまいましたよ !!

冠城と一緒です。

とうとう右京もここまで来たか。いや、もうこんなことをしちゃったら終わりだよ~・・・・なんて吃驚していたら、殺人で(わざとの誤認)逮捕ではなくて、死体損壊での逮捕。

山野は本当にやってましたものね。指をぽきぽきって。確かに。正当な逮捕だったのですよ。凄く感心しちゃった、私。

しかも弁護士まで依頼してあげちゃって、右京ったら♡

しかし今考えると、あの指は本当に凄い形になっていたじゃないですか。あれは本物の指じゃないのか・・・・!?

って、それも今思った次第。

果てしなく騙されてドラマを楽しんで見ている私ですね。(^_^;)

このラストの展開だけで、今回は「やったね。」ってな感じじゃないですか♪

 

青木がランチをかけて、特命を動かすために話を持ってきたのも面白い導入だったと思いました。

 

それから最近はあまり感じてなかったのですが、「相棒」は世相反映や、強いメッセージのようなものを感じさせられる時が往々にあったじゃないですか。

夫が途中で、今の政権への皮肉だなと言いました。

権力を振りかざして、何でもなんとかなると思っている人たちへ、弱々しく力のない人の覚悟による反撃にちょっとだけスカッとしませんでしたか。

 

だけどあれよね。

つい最近、普段から、聞かれたことをのらりくらりとかわす事ばかりに終始していると、ちゃんとした場所でちゃんと答えられない人になっちゃうのだと、ある人が見本を見せていたけれど、その人の信者は、きっとそうは思わないのだろうなと思うと、ストレスはコロナばかりのせいじゃないのかなと思ってしまいます。

あっ、これは「相棒」の話ではないです。

またお話が逸れたので、今回も短いけれど、もう終わりです。


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相棒18 第18話「薔薇と髭との間に」

2020-03-14 17:53:18 | ドラマ(相棒)

このところ、他に書きたいこともあって、ドラマブログなどが後回しになっていました。家に居ればいればで、何らかの書きたい事が生じてくるものですね。だけど「相棒」の記事をずっと放置するわけにはいきません。

なんたって来週が最終回なのですから。

この第18話の視聴率は、16.4だったのですよ。初回でもお正月のスペシャルでもないのに立派なものですね。やはりこれは懐かしいキャラ、ヒロコママが登場すると思ったからではないでしょうか。

このヒロコママは、シーズン1から「相棒」に登場しているのですね。私は、途中から「相棒」の感想を書いているので、彼女が(?)登場してきたドラマの感想を書いたのは、シーズン6の13話なのですよね。

書いたってだけの感想ですが→相棒「マリリンを探せ」と餃子!!!

劇場版にも登場しましたが、それから12年もの間を空けての登場ですものね。吃驚もしますが懐かしくて嬉しかったです。

私的には彼との思い出は、2009年の8月にお芝居を観に行ったら、その小さな劇場に彼が来た事だったのですよ~。何気に嬉しかったのですよね、そんな事が。→「ワンダーガーデン」

 

そして18話のゲストが、細田善彦さん。彼はとっても癖のある俳優さんで、どっち側の人か分からないところがあって、サスペンスにはぴったりの俳優さんだと思います。どっち側かと言うのは、「善人」か「悪人」かと言う意味です。時には狂気の悪人にも化けるから油断がなりません。

だけど今回は「善人」側だったので、そして私は何気に彼のファンなので、ちょっとだけホッとしました。

 

最後は「良いお話」にまとまったホッと出来た展開だったと思いました。

ヒロコママが出てきたのだから、そう言う展開が良いですよね。

もっと内容的に踏み込んだことを書きたかったのですが、無料視聴でもう一回見ようと思っていたら、あっという間に1週間がたち、無料期間が終わってしまいました。

記憶の中に残っているのは、細田君の顔ばかり・・・・(^_^;)

まぁ、思う事は、何で悪党は悪いことにはくだらないことや酷い事をするのに知恵が湧くと言うか、なかなか頭が良いのですよね。「その頭の良さを他の事で生かしなさいよ、あなた。」って思ってしまった事かしら。

 

そう言えばあのマスク転売が禁止になるでしょ。そうしたら「ホッチキスの玉の箱」とか箱を売ってるとかって、あれさ、頭が良いのか馬鹿なのか分かりませんよね。言っちゃあ、何だけど買う方も・・・・・m(__)m

話がそれたので、もう終わり。

 

パソコンで遣る事があって、一つ終わったら、また次を更新するかもしれません。

しばらくドラマブログをする予定です。


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備えがあっても憂いは生じた

2020-03-12 11:01:38 | 思いつくまま

また今年も3月11日がやってまいりました。

そして9年が経ったのです。

だけど今はまた新たな苦しみにみんなが絶えている所なんですよね。しかしながら災害に疫病に苦しんできたのは、ずっと人類の歴史の昔から繰り返されてきたことなのではないかと思います。

水辺に生えるか弱い葦のように私たちは為すすべきこともなく、オロオロするばかりなのでしょうか。

 

先日集まったサークルの会合では、戦時中の話の後、「3.11」の「あの時、私は」と言うテーマになりました。もうこの話題は何処で終わりが来るのだろうかと言うくらいに、皆が活発に語りました。

そしてまた、あの後何が起こったのかと言う話にもなりました。

スーパーからいろいろなものが消えたあの時・・・・。

まるで今を思わせるあの時の思い出でした。

 

確かに、私の街は多くの死者を出した被災地ではありません。それ故、あの時私たちレベルの大変だったことを、何か言い辛いような気もして語らずに来た事がありました。でもいつか語りたいと思っていました。たぶんそれは今なのではないかと思います。

 

私はシンプルライフって素敵だなと思っているんです。整理整頓の収納の達人にも憧れるし、スーパー主婦と言う人たちの事も尊敬しています。ただ私、「ミニマリスト」と言う人たちも素敵な人たちだなと思いつつ、自分の生活とはあまりにも真逆なので、自分は絶対にならない人たちだなと思うのです。もちろん素敵だなと思っているのは本当で、だからサイトなんかも時々覗いたり、またはブログなども読まさせていただいています。

ある時テレビで、そのクラスタのある人が

「私なんか、トイレットペーパーなんか最後のひとロールになったら買いに行きますよ。」とにこやかに笑いながら言ったのです。

私はひとり暮らしの人みたいに、テレビに向かって「ダメよ、そんなの。」とか言ってしまいました。姉にその話を言うと、人それぞれだから、それが素敵ねと思えばマネするし、違うと思えばスルーするだけと言うようなことを言いました。確かに正論です。だけどテレビって影響力があるじゃないですか。

在庫を抱えない生活って、シンプルで素敵だと思うんです、本当は。

だけどそれはずっと何もない平穏な日々が続くと約束されている時に限ってはなのですよね。

 

トイレットペーパーは、シングルかダブルかでもロールの数が違ってくると思うのですが、ギュッと巻いてあるシングルで、我が家の適正在庫量は12ロール以上だと思っています。つまり6ロール入りが二袋以上。その数を意識するようになったのは、その3.11からなんです。それまでは一袋の6個で十分だと思っていました。

普段の生活で必要なもの備えるようになったのは、たぶんこの頃かと思います。「この頃」と言うのは、2006年の
備えないので憂いあり」と言う記事を書いた辺りからです。

まだブログも始めて間もなかったものですから、自分だけが分かるような文章を書いていました。(今もかも(^_^;))

今はこんな風に寝る時間が遅いものだから、あまり夢を見ない人になってしまったのですが、その頃はよく夢を見て、そして夢から何かメッセージみたいなものを感じる事があったのです。

今でもその夢のあるシーンはよく覚えているのですが、リンクした記事を書いた二日前、夢を見たのです。

事も有ろうか、富士山の大噴火の夢だったのです。なぜか私は故郷の道を歩いていて、横浜には火山灰だけが雪のように降り続いているのです。それは本当に雪のようで、街は真っ白になり、なぜか半端のない量の路駐の車のボンネットの上にも降り積もっていたのです。そして夢の中で私は言いました。

「どうしよう。家に何もない。買い物にも行けないと言うのに困ったわ。」と。そして二日後、朝起きたらすでに雪が降り続けていて、私は夢の中の言葉と同じ事を言っていたのでした。

今思うと、夢の中の世界では、買い物に行けたとしても、たぶん何も売ってなかったのではないかと思います。富士山大噴火なんて、そして横浜にも火山灰が振る程度だったら、そうとうの災害ですものね。

そんな経験を通して、「備えないので憂いあり」の生活は止めようと思ったのでした。「そんな経験」と言うのが夢&雪と言うのは、幸いの最たるものだったようにも思えます(^_^;)

 

と言うわけであの3.11の時、いろいろなものが十分に家にはあったのです。

と言っても、たまたまの運の良さもあったのです。なぜならその週の水曜日に生協が「お米」賞味期限が長い「ロングライフのパン」などを持って来たばかりだったからです。実は水の備えはなかったように思います。だけど幸いにも私の地域では、水はちゃんと供給されていたのでその時は良かったのです。

もちろん上に書いたような「そんな経験」もあって、トイレットペーパーにティッシュにラップ類、みんな家にありました。

私はそれで少し傲慢な気持ちにもなりました。「私って、偉いわぁ。」みたいな。

 

ところが本当の恐ろしさは、その後に来たのですね。自分の事を褒めたくなるほどちゃんとしていたと思っていたのに、それらが無くなる頃になっても、流通がまともに復活しなかったのです。皆無くなって行ってしまいました。

「ある」と言うところから始まった我が家でもそうなのですから、「ない」から始まった家は、本当に大変だったと思います。

よく「三日分の備蓄」とか言うじゃないですか。あれは被災地の事で、三日間持ちこたえたら何らかの物が届けられる(かも知れない)と言うことを言っていたのだと、しみじみと思い知らされました。被災地周辺の流通が止まってしまったところなどは1か月はまともじゃなかったように思います。

 

震災の翌日、その頃は独居老人だった姑を誘って、普通の買い物にスーパーに行くと、お店は凄い事になっていました。みんなが買い出しに来ていたのです。私は意味が分からずにポカーンとしていました。そして長蛇の列に並んで普通の買い物をして帰って来たと言う虚け者です。私の前に並んでいる若い夫婦の夫の人が、並んでいる間もお餅の袋などを見つけると、手に取り考えているような仕草を見せると、それをカゴに入れました。

それを見て、ああ、そう言う意味かと気が付いたようなものです。←相当なアホな私。

だけど家に帰ってから、それは必要な事なのかなと考えました。

その時も私も夫も、ある映画のシーンを思い出しました。他の記事にも書きましたが、アメリカ映画の何か特別な事があると、住民がこぞってスーパー―に行き窓ガラスなどを割って、根こそぎ持って行ってしまう暴動シーンです。

あの時も海外から、わけの分からない事で褒められた日本人ですよね。

「ちゃんとレジに並んで買い物をしている。」と。いや、どう考えても普通だろ、それは。

だけど本質は一緒なんですよね。

私も昼間のスーパーでの出来事を思い返し、不安になり夜になって夫殿に言いました。

「たぶん、もう駄目じゃないかと思うのだけれど、明日、買い物に行った時に、もしあったらお米もパンもカップラーメンとかも、なんか諸々買っておこうかな。」

「もう駄目だな、たぶん。」と夫殿。

そして予想通りにまったくダメでした。

こんなにガラガラのスーパーの棚を見た事はありませんでした。だけどカップラーメンはあまり食べる習慣もなくて、ほかの物は家にありましたので焦る事はなかったのですが、そのガラガラの棚がいつまでも埋まらない日々が続くなど、思ってもみない事でした。

 

ただでさえ揺れる毎日でストレスが溜まっていくと言うのに、毎日のささやかな習慣を変えなくてはならないのは、ストレスの重ねになって行ってしまいましたよね。

朝食にパンを食べたいパン好き。珈琲には牛乳を入れたい派。

我が家は牛乳に負けないインスタント珈琲派なので、牛乳が無くなってしまっては、そこにパウダー系のミルクを入れていましたが、はっきり言って好みではなく我慢の日々が続きました。

その時、いざという時のためにトイレットペーパーを車に乗せておくと言うアドバイスを受けました。だけど余分なそれがありません。それで私は、それしかなかったからなのですが、初めてダブルの柄と香り付きでバージンパルプと言う、贅沢の極みにしか感じないペーパーの4個入りロールを買いました。

出来る限り普通の生活をしようと、いつもながらの生活習慣で、自転車の前と後ろのカゴ一杯の買い物をしたら白い目で見られたとか、嫌な想い出もいっぱいです。でもその時は姉に叱られたんです。

「カゴの中を見て欲しいと思うわ。品薄になっているものなんかひとつもないと言うのに。」と私が言うと、

「いつもと同じの『普通の生活』ではダメなのよ。」と教えてくれたのです。

けっこう、その頃は昼と夜に働いていたので、こまめな買い物は厳しいものがあったのです。なんだかんだと無理を強いられました。(だから病気になったのかしら・・・? )

 

あの時、少し離れたスーパーに行ったら、そこは関西系列なのかいち早くお米もパンも牛乳もあって、本当に嬉しかったです。レジに並びながら、友人に電話しました。

「あるよ~、ここに、みんな。」

「ありがとう !!!   すぐに行くわ~ !!!」

まるで天国はここにあるよみたいな感じ(笑)

そしていち早く対応してくれた、このスーパーに感謝すらしたのでした。

 

確かにそれなりの苦労はあったけれど、やはり本当の被災地の大変さを思ったら、こんな程度と今でも思ってしまいます。

だからあの時は語れなかったのです。

だけど学ぶことはたくさんありました。

 

学んだけれども悲しいかな、人は忘れてしまう生き物なんですよね。

備蓄とか、普段から万全ですか ?

 

こういう事に、完璧はないのですよね。だけどそれなりに考えながら、やはりこれからもやっていこうと思います。

外出できない今、それらの整理や自分の家の必要数のチェックなどをするのも良いかも知れませんね。

 

ところで最後に、3.11の震災後のモノ不足が続いていた頃、私が見たツイッターのツイートで、凄く腹が立ったものがあったのです。

みんながパンが買えなくて、パン屋情報とか、パンが食べられない事を嘆いたツイートを流していた時に、それを愚かと思ったのでしょうか。

汚らしいパン屑が落ちているようなお皿の上に乗っている食べかけの食パンの画像に

「パンが食べられなかったらお菓子を食べればいいじゃない。w」と言う言葉が付いていたもの。

 

画像も汚いけれど、心も汚いなって思わず感じてしまいました。m(__)m

この上の数行って、見えない誰かに対しての攻撃になってしまい少々の胸の痛みを感じますが、敢えて書かせてくださいね。それは9年経っても、やっぱり不愉快に感じるのです。もちろん呟いた方は西の方ですよ。その時、西に住む方にとっては対岸の火事に感じている方もいらしゃったのかもしれません。もちろんほとんどの多くの人がそうではない事は分かっています。阪神大震災を対岸の火事だと思った事などないからです。

たぶん私は、そのツイートをわざと忘れないようにしているのだと思うのです。自分への戒めとして。

 

最後は、綺麗な画像で閉めますね。

昨日もお散歩に行ったので。

♪ 花は 花は 花は咲く~♪♪

 

 


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東京大空襲から75年の今日は。

2020-03-10 22:52:24 | 梢は歌う(日記)

マンションのサークルに二つ参加しています。

ひとつはマンションの花壇にお花を咲かせるグループ。ずっとやっていた園芸のグループが止めてしまうと言うので、マンションの敷地が草ボーボーになるのを懸念して、私ともう一人の人とで引継ぐと言う形を取りながら、実質新しく立ち上げました。

立ち上げたので、なんとなく事務的な事をメインで遣ると言う、一応の代表でした。一応と言うのは、私が実質の花咲かせ部門のリーダーだったら、マンションレベルで花たちが枯れる~(ノД`)・゜・。

花咲かせ部門では、ちゃんとコツコツやって頂ける花咲か爺さんたちがいるので、綺麗な花を育てながら楽しく2年間やって来ました。だからもういいかなと思って、この一応の代表と言うのを退く事にしました。

「やって~。」と代表と会計をそれぞれ名指しでお願いしたら、二つ返事。

正直ホッとしました。小さな組織で、逆にあれやこれやと細かいことから全部抱え込む感じでいましたので、これで心置きなく広報活動と勧誘を頑張ろうと思いました。お仕事がなくなるわけではないのですが、人には得手不得手と言うものがあると思うので、比較的得意な部分をもっと頑張ろうと思ったと言うのが、今の状況。

 

ところが今日もう一つのサークルに参加したのですが・・・・。

もう一つのサークルは、入ったこと自体が「もの好き」と言われています。

なぜかと言えば、それは所謂「老人会」なのです。だけどこの組織は年齢制限がないのです。もちろん私が一番年下です。二年前に自治会の役員をやった時に、書記もやって福祉もうっかりやってしまったわけですが、その時ちょっと思う事があってその翌年に入会したのです。この思った部分は、正解かどうかは分からない事ですしけっこうマジメな部分で、ここを語り始めると、いつタイトルの話に行きつくのかと言う事になると思うので、「老人会」なるものに入っていることをカミングアウトしましたので、また書くこともあるかと思います。だけどあまり話したくはなかったかも。なぜなら、私のイメージが変わっちゃうかもって、見栄っ張りの余計な心配をしてみたりして。

だから少々の言い訳をしてしまうと、今日の会合に行って席に着いたら、

「そこに霧島さんが座っていると違和感しか感じない。」と言われたので、

「若作りしています。」と言っておきました。ホホホ。

だけどきっとあと数年で、この会にぴったりな年齢になってしまうのだなあと、ちょっと複雑な気持ちにもなるのですが、

私、まだこの会では片隅の人で居たいのですよ。ねぇ、違和感感じるって言ったじゃないの・・・・・ !?

それなのに、順番で、今年、私、代表なんだって~~~ !!!

タメ息、タメ息、タメ息

 

と言うわけで、75年前の3月10日は東京大空襲のあった日でした。

なんお話でそうなったのかは早くも忘れてしまいましたが、87歳の方が強制収容所に居たと言う話をしました。

その人の口からそんな話など聞いたことが無かったので驚きました。平壌から38度線を超えて・・・・・と彼女は言いました。

強制収容所では腸チフスが流行り餓死の人もいて、死体がゴロゴロとしてたと言いました。その時12歳だった彼女。

「今日は『東京大空襲』の日なので、このような話を話したり聞いたりすることに意味があったと思います。」と言ったら、彼女は彼女の旦那さんを指して

「東京大空襲の話はこっちよ。」と言いました。

なんと彼は日本橋で被災したのでした。

「その昔は、小学校の卒業式が3月10日で、9日の日に疎開から帰って来ちゃったんだよね。それで日付が変わった10日にあの空襲で・・・・・・・。

だから私はいまだに小学校を卒業していません。」

私は奥さんの話も凄く興味深かったのですが、そのお話の10分の1しか語られなかった旦那さんのお話ももっと聞きたかったような気がしました。

 

そして、この先はいかにも私だからという部分だと思うのですが、

「あの、先ほど死体がゴロゴロとおっしゃいましたでしょ。そんな死体がゴロゴロなんて言うのは、私なんかだと映画の世界でしか分からない事で、それを目の当たりに見たら、その時どのように感じられたんですか。」と言う質問をしました。

すると彼女は少し考えるような顔をしてから言いました。

「私、少し変わっていたのかな。確かに収容所で自分たちの近くに住んでいた人が死んだら、その日は怖かったけれど、そうじゃない時は何も感じなかったの。」そして彼女の夫に

「あなたなんか同じように死体がゴロゴロでも、その死体はもっと凄まじかったんじゃないの。」と話を振りました。

「それが、まっ黒焦げに焼けた柱と人がまるで同じようになっていて、やはり何も感じなかったのだ。」と言いました。

 

きっと死体ゴロゴロと言うのは、過去の出来事にばかりではなく、震災の時にも、また地球の場所を変えた所では、今もそうなのかも知れません。

だけど何も感じなくなってしまったその時、本当の恐怖がそこには存在しているのではないでしょうか。

 

やっぱり私は、いろいろな方のお話を聞くのが好きです。そしてこのような話は、彼らだからこそ出来るのですよね。またの機会を設けて、またお話を聞きたいと思いました。

「もの好き」と言われていても、今年度のお仕事が増えてしまっても、やっぱりこの会に入っていて良かったと思いました。

 

75年前の3月10日、東京大空襲がありました。

明日の卒業式のために疎開先から帰って来た少年。きっと同級生の多くもそうしたのではないかと思います。

「みんなやられた・・・・。」と呟くように、かつての少年は小さな声で言いました。

行われなかった卒業式。

そして会えなくなってしまった同級生・・・・・・・・。

 

トップ画像はベランダにあるミニ薔薇です。

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麒麟がくる 第七回「帰蝶の願い」八回「同盟のゆくえ」

2020-03-08 23:49:07 | ドラマ (大河)

二回分の感想を書くと言っても、残念ながら二倍中身が濃いと言うわけではありません。

なにげに遅々として物語は進んでいないように見えて、実はゆるーくしっかりと進んでいるのですよね。

明智光秀の信長に仕える以前の資料が少ないゆえに、自由度が高いなと感じています。

帰蝶の夫になる人を見て来てと言う理由で、美濃に出掛けて行く光秀でしたが、実はそこで彼にとっての運命の人に出会わせるのですものね。

運命の人との対面・・・・

そりゃ、かっこ良くなくちゃね。だけど見方によってはうつけに見えなくてはならないわけで、たぶん、そのうつけって言うのは、変わり者と言う事なのかも知れませんね。

朝日と共ににこやかに現れて、獲った魚を切り身にして売る信長。

光秀は母から、すべては国の為ぞと言われるまで、あのような男に嫁ぐなどと悩んでいるようで、夫としての合格点はあげ辛いものがあったのかも知れませんね。

だけどこの時代の結婚観は、今とは違うはずです。

帰蝶こそ、最初から分かっていたのですよね。逃れられない自分の運命を。だけど光秀を今でも思っているがゆえに最後に自分の想いのままにしてみたかったのだと思いました。

 

帰蝶が去って、そして駒が去る。

帰蝶が去る時、光秀は書物の整理なんかしちゃって・・・・・。

 

「本当は、帰蝶さまを手放したくなかったのではないですか。」と光秀の気持ちに迫る駒。

自分の胸に問いただすような顔をして「そうかも知れぬ。」と言う光秀。

 

駒は光秀の心が自分にはないものと思って、涙をこらえて去って行きました。

 

ちがーう、こま~ !!!

ちがーう、光秀~ !!!

 

思わず心の中で叫びたくなるような気持ちになりました。

どんなに手放したくなかったとしても、その人は想ってはならない人。気持ちを切り離して書物の整理をしていた・・・・。気持ちを切り離せた人だったんだよ。

だけど、あの峠まで見送るよと言い、きっとそこにたどり着いたら、また少し先までと言ったかもしれない光秀。

そう言わせる想いは何なのかと、駒は思わなかったのでしょうか。

「そうかも知れぬ。だが」と「だが」と言わないのか光秀。

月の光の中で、駒が残したお手玉を見て何を思っていたのでしょう。

セリフであれやこれやと語らない光秀の本当の気持ちを分かろうとするのは、その辺のサスペンスよりも難しいなと思いました。

 

駒と帰蝶のキャピキャピ女子会風景や、道三の国衆には何にも伝わっていない熱き想い、また今回も帰蝶の婚姻が決まってハイテンションに喜ぶ道三、高政のあれやこれや(雑)、婚姻時に行方知れずになっている信長と見どころがいっぱいだったのですが、なんだかんだと言って、私の中ではあの光秀と駒との峠の入口での別れが一番印象強く感じてしまいました。

 

二人はどうなっていくのでしょう・・・・・・って、次回には後の正妻となる熙子が出てきちゃうわけだから、ああ、切ないなぁ。

 

 

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逃げたか、2月 !

2020-03-08 01:02:02 | 梢は歌う(日記)

3月も7日も過ぎようとしていますので、そろそろ2月のおまとめ記事を書いておこうと思います。

2月はだいたい仕事的にはある種のヤマ場で、とにかくつべこべ言わずに目の前の仕事上の事をやり遂げなくてはなりません。

本当のヤマ場は1月と言えるかもしれませんが、まだ完璧に終了と言うわけにはいかず・・・・・・って、あまり仕事の事は露骨にはっきり書かないので、これでは何を言っているのか分からないと思いますので、はっきり言えば、高校受験のお手伝いをしてきました。もうここまで来るといきなりのジャンプアップはあまりない事で、大事な事は培ってきた能力をいかんなく発揮できることなのですよね。

ただ「自信ない歴」を何年も重ねて来て、3年になって初めて塾と言うところに来た子供などは、この一年でそうとうに実力を伸ばしたと言うのに、自分自身を信じられずに凡ミスを繰り返すのです。

なんだか精神論ばかり語り、檄を飛ばしつつ1,5か月。私自身が中身のない実力のない人になりつつあるような気がします。

それに加え、だいたい3月は燃え尽き症候群状態になっていて、今はボーっと空っぽ。

さあ、そこに新たなる何かを詰め込んでいくぞという意欲が出てくるのが4月くらいなんですね。

それなのにその空っぽ状態の私に、マンションのサークルの一年間の締めの事務処理を山のようにやれとお達しが来て、「あー、やりたくない。」「あー、めんどい。」と已む無くやっています。

そんな毎日を繰り返していると、「2月は何をやってたかな ?」とやはり思えて来て、「2月は逃げる」と言う言葉にしみじみと頷けるものを感じたのでした。

いや、私の事だからきっと何かやっていたに違いないと言う事で、おまとめ日記を書いていこうと思います。

毎度前置きが長いね♪

 

 ひとつ歳を重ねました。

2月1日の出来事の記事は→お約束の電話

下の画像は、星子さんから頂いたもので、錫で出来ているので柔らかく手で動かす事が出来、好きな形にして、フラワーベースにして使えるのです。劣化して折れてしまったら、ブレスレットとか指輪にも出来るそうですよ。トップ画像は、ベランダの薔薇などを入れて飾ってみたものです。

 

   

誰かに誕生日を覚えていてもらえるのって、嬉しいものですね♪

 映画

珍しく映画館には行けませんでした。「ジョジョラビット」とか見たかったのですが。

その代わり「おうち映画」では、なかなか良い作品に巡り合えたと思いました。

◎「鈴木先生」は公開時から見たかったのですが、単館上映で公開映画館が遠かったので行けなかったのでした。ただ今見ると、あまり面白くはなかったかも。だけど長谷川さんと太鳳ちゃんの、とあるシーンでの必死の形相を見る事が出来るのがツボかも。paraviで見ました。
他の方の映画評の星の数は悪くはありません。

私的にはこれは、知ってる公園、知ってる家、知ってる坂道などが映されていたことが最大の見どころでした。

◎「名探偵ピカチュウ」。実家にてレンタルで姉妹で見ました。映画公開時、ルート君を誘ったのに断られ見逃した映画でした。意外とフツウに面白かったです。なぜおじさんくさいピカチュウが存在したのか、ちゃんと理由も分かってなるほどでした。やっぱりピカチュウは可愛いですね。

そう言えば、ルート君ったら。私だって、その昔、君にアニメの「ピカチュウ」の映画に連れて行けと言われた時、いやいやだったんだぞ。だけど仕方がないから行ったんだよ。その恩も忘れてだな。。。。。まあ、あの時は映画館で二人で大泣きしたんだっけ(笑)

◎「ジョーカー」。同じく、姉妹で見ました。見ていたみんなの顔も歪みました。

「このフォアキン・フェニックスがアカデミー主演男優賞を取ったのよ。」と私が言うと、妹が

「うん、凄く納得だわ。そうに違いないと思ったわ。」と言いました。

誰が何を取ったのかなど、誰でも知っている情報と言うわけではないのですよね。アカデミー賞などは、意外とみんなが興味があるかと言うと、そうでもない情報だったりもすると感じる時がありますよ。映画好きさんには信じられない事だと思いますが。

彼の笑いは止まらない。だけどそれはまるで泣いているようです。そして楽しくてとっても幸せな夢を見て、それがすべて夢に過ぎなかったのだと気が付いた時の、あの虚しくてそして感じる絶望感とこの映画から感じさせられるものは同じような気がしたのでした。

その日の夜、布団の中に入っても「ジョーカー」の事で頭がいっぱいになってしまいました。

ふとピカチュウの可愛らしい「ぴかぴかぴかっ」と言う声が聞こえたような気がしましたが、「ゴメン、もう君の映画は私の中では消えちゃったよ。」と呟いてみた・・・・・なーんちゃって。

◎「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」 実家から帰って来た翌日、やはりparaviでチケットを使ってみました。この映画、いろいろな所でツボにはまり、子供の時から映画好きだったので本当に面白かったです。ラストシーン一歩前のレオさんとブラピが侵入者と闘うシーンは、笑っちゃうと言ったら笑っちゃいましたが、タランティーノの映画らしくちょっと女性には残酷。「ウシャッ」とか言いつつ片目瞑りつつ見たと言う感じ。だけどラストシーンを見ると、もうそれだけでポイントを30ぐらい加算したくなるような衝動に駆られます。なんていうかタランティーノの優しさが伝わってくるような気がしました。

但し「シャロン・テート事件」を知らなければ、このポイント30の加算はないかも知れませんね。

この4作品の中では、実はこの作品が一番好きです。

ブラッド・ピットが助演男優賞を撮った作品です。

2月は、けっこうおうち映画をたくさん見ていて、まだありました。

◎「シャザム」。wowowにて。意外と思っていたより面白かったです。少年はやっと自分の家(居場所)を見つけ、そして「ただいま」と言うのです。ジーンとしました。

◎「ワンダー 君は太陽」Amazonプライムで。感動的ではあった。何も悪いところなどないです。素直に涙が出ました。

 

 お芝居

「髑髏城の七人 鳥」をようやく見る事が出来ました。parapiにて。そのサイト、何気に活用しています。

お話は一緒でもキャストが違うと違って見えるのが本当に面白いと思います。捨之介(すてのすけ)に 阿部サダヲ。アドリブ部分もとっても面白かったです。サダヲさんはハンサム過ぎない所が魅力的なのかも。

2月はたくさん録画しました。3月はそれらをみんな見て感想をアップして行きたいと思います。

 

 家族の事と2月の飾り→その記事は「2月の飾りはお雛様」

妹の退院祝いで15,16日と実家に帰ってきました。

凄く楽しいイベントになると楽しみにしていましたが、妹の一言でみんな心が重くなり、それを復活させるのに数日かかりました。それを例えば夫殿に言うと、「可哀想に、普通にものを考えられなくなっているんだな。」などと言うのです。そうかもしれませんが、元々の人間性ではないかと思うのです。

私は思います。いついかなる時も、自分の命を人質にしてはいけないのではないかと。

だからと言って、「それは違うよ。」と言ってしまっては、私は後に後悔してしまうのでしょうか。それともその人質の存在に負けて沈黙したことを後悔するのでしょうか。

今の私には分からない事です。

 お出掛け

今月の東京散歩は、「谷中散歩 その1」☆「谷中散歩 その2」☆「谷中散歩 その3「朝倉彫塑館」」

ルート君とも出掛けました。

「麒麟がくる」のロケ地、小目沼橋へ !」☆「「間宮林蔵記念館」からの鰻屋へ」

 

 ランチ日記(すでにアップしたものは覗く)

 

 

ブロンコビリーには2月には2回も行ったのね。サラダバーが魅力的なんだけれど、この前ビュッフェの所が何か言われていたから、ここもちょっと考え始めているかもね。←私がふと思っただけ。

 aun。

 居酒屋さんも、今は昼間ランチをやっているのですね。空いていて穴場かもと思いました。

 コメダのシロノワールを知らないと言うので、紹介しつつ頂きました。

ひとりで入った餃子さんの餃子ランチと、義母と頂いたガストのオムライス。

 

サークルのメンバーとご用があって出掛けました。入った中華屋さんは素敵な雰囲気(四川亭)

 

確かにランチ回数が多すぎるような気もします。だけど私の平日なんか

 賞味期限が切れてしまった災害用のドライカレーのアルファ米にお湯を入れて15分待つと言うのとか、昨日のカレーを食べていたりするのですからね。

 その他の暮らし

最近の私は「花追い人」になってどこかへ出かけていく事は、あまりなくなってしまいました。だけどやはり私は花追い人なのだと思います。2月中のお散歩は回数は多くなかったのですが、たくさんの花を見たように思いました。

それからあとはピアノのお稽古。なかなか上手く弾けません。

色鉛筆画は三枚目。

色鉛筆で点描の世界を描くことは難しいですね。目が行った先が明るい気分になれるようにと色づけしたので、そこだけはまあまあの出来だと思います。

 

と言うわけで、やっぱり2月もいろいろありました。

3月も楽しい毎日でありますように♪

(最後は雑なまとめになってしまったかも。(^_^;))

 


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とりとめのない話を延々と

2020-03-06 01:29:04 | 梢は歌う(日記)

金のなる木の花です。

写真と思った事を徒然に。

昨日の…というか、これを書き終える時は日付をまたがってしまうので、おとといのアクセス解析で32番目に読まれた記事は、下にリンクした2015年3月15日にアップした

「デカンショ~デカンショで♪」でした。

誰かが読んで下さると、私もふと読み直してみる事が多いのです。そしてなんだかいつもそれが何かに導かれたアンサーのような気がしてしまうー。

 

その記事の中に書いた、私が作った替え歌「女のデカンショ節」

 

『そうじせんたく 飯炊き子守 〈コリャコリャ〉 

変化なき日の繰り返し 〈ヨーイヨーイデッカンショ〉

いつの間にやら 年月すぎて 〈コリャコリャ〉

親は順繰り 鬼籍入り 〈ヨーイヨーイデッカンショ〉

可愛かわいと 育てたボーヤも 〈コリャコリャ〉

はや家を出て 帰らない 〈ヨーイヨーイデッカンショ〉

ひとりから順に 家族を増やし 〈コリャコリャ〉

いつの間にやらまた二人 〈ヨーイヨーイ デッカンショ〉

まとわりつくなと 邪険にしてたが 〈コリャコリャ〉

やがて最後は またひとり 〈ヨーイヨーイ デッカンショ〉』

 

私、思わず涙がハラハラと零れました。なんだ、この「女の一生」は。

ああ、やっぱり夫殿は大切にして長く生きてもらわなくちゃね。

 

今日ね、あっ、もう昨日か、家の前の公園がいつになくメチャクチャ煩くて、何かしてるのかなと覗いたら、小学生の男子たちがたくさん集まって大きな声で遊んでいたんです。

「そりゃ、そうだよなー。」

子供たち可哀想だなと思ったのですが、結局、子供を家に閉じ込めるなんて2日も持たなかったって事ねと思いました。

その事を夫に言うと、

「うちの会社の人の子供なんか、下の家から『うるさい』ってもう苦情が来てー。」

「えっー !」

「それで連れて来いって事になって、空いている部屋があるんで、そこで走り回ってる。」

夫殿の会社は小さな会社なんです。だけど良い会社だったのねと思いました。

 

我が家のダスキンさんは私のちょっと年上のお友達で、お孫ちゃんたちの面倒を喜んで見ている人なんです。

だけどこんなに急にその子たちが家に居るようになったら、出番が増えると言うもの。

「大変になっちゃったね。でも頑張るんでしょ。」と私が言うと、

「だけど、私の方が感染していないって言えないじゃない。そっちの方が心配で。」と彼女は言いました。

そうか~。だって、大人の方が感染リスクが多いのよね。感染確率も絶対に大人の方が高いわけだし、家に隔離されても、その家が安全かは分からない事よねと思いました。

 

 

「ねえ、本当にテレビで言ってたように、トイレットペーパーとか無いの?」と4日の日に会った友人が言いました。彼女は一人暮らしで、だけどチョー多忙に仕事をしている人なのです。

「在庫はあるのよ。だけど並べると『あー、有った~!助かった~!』って買って行く人も多いから流通が間に合ってないんじゃないかな。まだあるかどうかわからないよね。」

「ああ、そうなんだ。じゃ、帰りに一応何軒か回ってみよう。」

「えっ、無いの?」

考えるそぶりの彼女。

「たぶん4ロールはあったな。」

じゃあ大丈夫だなと、私は思いました。もし1ロールと言ったら、少し分けてあげようと思ったからです。

私、普段からトイレットペーパーなど一定数ストックしてあるんです。さすがにオイルショックでは学べなかったけれど、あの3.11が私に教えてくれたことは多かったのですよ。

だけど家庭の備品の考え方っていろいろあるじゃないですか。

ちょうど無くなりかけた頃に普通に今必要だからと買いに行って、あのデマからのパニックに巻き込まれた人は大変だったなと思いました。

  写真撮っておきましょうって、そんな気持ちにもなりますよね。

上の画像は2月29日土曜日のものなんですが、その時夫殿が

「ママ、米もないよ。」と言うので、

「あらやだ、『特売』って書いてあるから、それでじゃないの。」と呑気なことを言っていたわけですが、そうじゃなかったのですよね。

なんだかあれと同じじゃないのと思ってしまいました。

アメリカの映画で、何かあると、すぐにみんなでスーパーとかに押しかけて窓ガラスを割って何でもかんでも持って行ってしまう暴動。日本人は長い行列作ってちゃんとレジに並んでお金を払うけれど、気持ち的には似たり寄ったりじゃないのかなって。

 

とりとめもない話は延々と続くので、今日はこの辺で~。

 

いつも書いているドラマの感想は、来週から続けて書く予定です。

あー、憂鬱。自治会のあれやこれやをやらなくちゃ。やらねばならぬことをやり始める事が苦手なんです。

だから~ !!

もう終わりって言ったじゃん、私よ!

 

よそ様の家庭菜園の敷地内に咲いていた桜。

天気も悪くボケてしまったのですが、あまりの綺麗さに思わずパチリ。

 


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ある種の豊作

2020-03-05 01:46:42 | お散歩&写真日記

昨日は、友人と近所のファミレスでランチをし、その帰りに小さな公園の中を通って帰ってきました。

冬枯れの木々ばかりではなく、ブロッコリーのような緑に包まれた木などもあって、私は思わず微笑みながらその公園の中の道を歩いて行きました。

そして思いました。

私の幸せのハードルは、いたって低い。だからこんな風景を見ても、とっても幸せに感じるのだなと。

ここに載せた梅の花なども、私の低いハードルゆえの幸せな花の写真です。

 

2月21日の金曜日。

パンが無くなってしまったので、コンビニに行きました。本当は何処にも出かけたくはなかったのです。

引き籠る時は徹底して引き籠りたい私です。

 

それでイヤイヤ夕方近くにコンビニに行ったのです。

帰りは、なーんとなくいつもと違う道を通りました。

そう、なーんと無くなんです。

 

そうしたら咲いていたのですよ。梅林に梅の花が !!

何を当たり前の事をと言う感じですが、私、ここの梅林の梅を初めて見たように思いました。

ここは商業用の梅林で「見せる」を目的にしていないと思います。

それでなのか、いつもこの場所の事をまったく意識せず、梅の季節にここに来ることもなく、そう言えばと思い出した頃には、いつも梅の花など咲いていなかったのです。

 

だからとっても嬉しかったのです。

私はやっぱり梅の花が好きなんだなと思います。

 

 

そしてふと足元を見ると、小さな野の花が咲いていました。

野の花マニアの私なので、この花たちの写真を撮れて、思わず

「なんか、豊作って感じじゃん。」と呟いたのでした。

春はもうすぐそこに。

 

そしてオマケのお話。

この話の最初は、「「麒麟がくる」のロケ地、小目沼橋へ !」

です。その次からの写真日記の下に続きを書いて、そしてこのお話も終わりです。

 

【長い話・最終回】

《しばらくの間と言う時間は》

26日にルート君と出掛けた私は、帰りの車の中で彼にその日の朝に起きた「ジャムの蓋事件」を語りました。

「もうね、お母さん、パパに感謝しかないね。だからしばらくは彼の悪口は言わない事にしたの。」

と言いましても、私は子供には夫殿の悪口は言いません。基本的にはね。

だけど、ちょっと「まったく~。」と零れちゃう時ってあるでしょ。だいたい私と子供の意見は同意見で、「分かるよ。あの人はそうだよな。」的な答えが返ってくることが多いのです。言うなれば立場的に子供と言う言葉を使っていますが、彼らはもう大人なんですよね。

これはまた逆の場合も然りと言うところもあるので、まあまあのオアイコと言うところです。

だから露骨には悪口は言わなくても、少々は愚痴る人なのだと理解しているようで、ルート君にはこの話は受けました。

「圧倒的感謝!!」とか言い、笑いながら運転をしていたのです。ところが話は弾み、彼が何か言ったのですよね。

もう何を言ったのか覚えていませんが、単なる思い出話です。

だけどその時、その思い出話の中の夫殿の記憶にろくでもない事があって・・・・・

「あの時、あの人ったら~ !!!!」とむしゃくしゃして叫ぶ私。そして、

「あれっ?  確かワタクシ、先ほど、と云うか3分くらい前に、『しばらくは悪口を言わない』などと言っていたような気がするな。」

「そうだな、確かな。」

「分かった !

『しばらく』と言うのは、朝のその時間から、たった今までの間って事よ。だから、『しばらく』は終了~!!!」

 

と言うわけで、私の改心の時間『しばらく』は短かったのか、それとも長かったのか・・・・?

 

※ 主婦の話の着地点は、意外と予想外だったりするのですよね。

 

コメント (2)
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「椿寒桜」も満開でした♡

2020-03-04 01:40:40 | お散歩&写真日記

2月27日の河津桜を見にお散歩に行った時、公園に着いて最初に目に飛び込んできたのがこの桜です。

これは河津桜ではないみたい・・・・・

と、思いました、これは「椿寒桜」と言うのですって。

2月の終わりに満開なのですから、やはり今年はいつもの年より早いのではないでしょうか。

やっぱりピンクは可愛いです。

だけどお友達は、あまり好きではなかったみたいです。

このもじゃもじゃの髭のような花弁を嫌ったのかしら。

以下は河津桜ですが、ひとつ前の記事にアップした河津桜とは離れた所にある桜です。

 

【長い話その4】

その3はひとつ前の記事の下。その2はまたひとつ前の下にあります。

《心の底から感謝しました》

義母から栗ジャムを頂いたその翌日の26日の朝、私はいそいそと起きて、その瓶の蓋を開けようとしました。

―うんうん(力を入れる声)、開かないわ。

瓶の蓋などが開かないのは、まあよくある話だと思います。

「開かないなら、貸してみ。」と夫殿。

「えっ? パパが ?大丈夫なの ?」

普通、妻に開けられなければ夫に渡す。これは自然の流れだと思います。だけど我が家の場合、私の方が怪力と言うわけではなくて、夫殿がリュウマチと言う病気になって以来、不用意に指先に力を入れて、また痛みが再燃してもらっては困ると言う想いの方が強いのです。

だけど近頃はクスリが効いていて、そのような事はないみたいで、その瓶を渡したのですが・・・・・

歯が立ちませんでした。

で、ふたを開ける為のグッズなるものを使いましたが、ダメで、本当はジャムなので遣りたくはないなと思ったのですが、熱湯を蓋の方に掛けました。普通はそこでパカッと開くものなのですよ。

が、開かない。

なんて強者の蓋なの !

ここまでの話を、友人たちにしたら直火にかけるとか、逆さにしてお湯につけると言うアイデアを教えてもらいましたが、その時はそのような発想もなく、「もう今日はいいか~。」みたいな気持ちになって来てしまいました。

 

すると夫殿がその瓶を玄関の方に持って行ったので、何をするのかと思ったら、ワニ口と言う工具で開けて来てくれたのです。

 

「嬉しい~ !!   これを楽しみに起きてきたものだから。」と私が言うと、

「だと思ってさ。」と彼は言ったのでした。

 

彼はこれから仕事に行くわけで、朝の貴重な時間をジャムの蓋を開けるために使ってくれたのかと思うと、申し訳ない気持ちになり、そして心の底から感謝したのでした。

近頃の私は、

心の中で夫殿の悪口を言っていることが多いなと感じていました。

それで思わず誓いました。

今しばらくは、夫殿の悪口を言うのは止めにしましょうって。

 

と言うわけで、私が改心しさらに良き妻になったように見えた所で、次回につづく。


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河津桜が満開でした♪

2020-03-03 09:14:23 | お散歩&写真日記

この場所の一輪二輪と咲いていた2月14日の記事は→「河津桜が咲いていました♪」です。

26日にルート君と出掛け、その帰りに車の中から河津桜の並木を見た時に、明日は公園の河津桜を見て来ようと決めました。

それでも、今日は夕方からほんのちょっとのお仕事だからとのんびりと姉などと長電話などしていました。

そこへ仕事が忙しくてなかなか会えないお友達から連絡が入り、急きょ会う事になりました。

ランチのお誘いかと思ったら、お散歩のお誘いでした。

そう言えば彼女のお連れ合いの方は、次のお仕事を探しているのでリタイアと言うわけではないのですが、今は家に居るのでした。だからランチではなくお散歩だったのだなと思いましたが、私的にはその方が助かります。なんたって前日はウナギのお昼だったので、毎日散財するわけにはいきませんから。

お散歩と言う事で、予定していた河津桜を二人で見に行きました。

 

ピンクが可愛らしい。

吊るしびな展なんかも公園内の事務所のある建物の中でやっていました。

「では、お茶など頂いて帰りましょう。」とやって来た茶室前に咲いていた黄色い花。

遠目に見た時

「なんで今頃ロウバイが?」と近づいたら違いました。

「サンシュユ」と言うのだそうです。

私はこの時に初めて花の名前を知ったのですが、その後であちらこちらの皆さんのブログで、この花を見ました。

春の代表的な花なのでしょうね。

 

またも花より団子タイム。

なんと、トルコのお土産のお返しだとかで奢って頂きました。

ラッキー♡

お友達は、この公園にこんな花が咲いていることも茶室でお茶や甘味が頂けることも知らなかったし、茶室がある事自体も知らなかったのですって。そして彼女の旦那さんは、彼女のこういう新しい発見の話を聞くのが好きなんですって。

なんだかちょっと羨ましい。だってきっとこの後いつか、二人でお花見&お茶室でお茶なんて事をしそうな感じだったから。

この時いろいろな話をしたのですが、二人でだいたいいつもしてしまうのは、ガリガリの痩せの人とデブな人は等しく健康的にはダメだと言う話。

彼女曰く

「この前体調崩しちゃって、37になってしまったので・・・・」

何を言っているのか理解するのに3秒かかってしまいました。

「えっ!? 37って体重でしょ。ダメだよ~。小学生の体重じゃん。」などと、体重過多の私が言ってもなと言うところ・・・・。

何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですね。

 

そして本文も長いのに、オマケのお話。

【長い話その3】

《私がちょっとキレタわけ》

その1】【その2】の続きです。大した話ではありません。

スマホの手続きは2時からの予約で、すべて終了したのは4時半でした。12時半に義母と待ち合わせをし、家を出たのはその1時間前でしたから、一日これに費やす結果になったわけですが、それはあらかじめそうなると思っていたので、なにも問題のない事でした。

この後、夕方からの仕事の時間が差し迫っていましたが、それでも喉がカラカラでお茶などを頂いてから帰る事にしたのです。

もちろん義母の奢りです。

「一日、付き合ってくれてありがとう。」と義母は言い、

「ごちそうさま。ありがとう。」と私は言い、お互いに「ありがとう。」と言い合って気持ち良く今日が終わるのですよね。

この時義母が「本当はお昼も出してあげたかった・・・・。」と呟きました。

私は、「いえいえいえ、これで十分よ。」

義母の気持ちは分かっていたし、なんかホッコリしました。

だけど、この前来た時に買い忘れたからと言って、義母は栗ジャムを買い求めました。その時、私にも買ってくれたのです。

お値段が、聞こえてきました。なんたって栗ですからね。お安くはなかったのです。

でも私は栗ジャムなど食べた事もなかったので、とっても嬉しく思いました。

実はこの時、待ち合わせの前に「白雪ふきん」なるものを買っていました。一枚義母にもあげようと三枚買っておいたのですが、栗ジャムを頂いた後にそれを出すと、なんかタイミングが悪いような気がしてしまって、これは次回会う時に渡そうと思いました。

 

夜になりました。

夫殿に今日の出来事として、義母とのスマホを買いに行った話をしました。そして栗ジャムを頂いたことを言うと、

「気を使う事ないのにな。」と彼は言ったのです。

「いやいや、これは私の一日に対してのお礼だから。」と私は言いましたが、夫殿は私が何を言ったのか分からなかったのではないかと思いました。

この話、世の夫族には分からない話なのかも知れませんが、奥様族には頷かれる方も多いのではないかと思います。

爪の垢ほどもこの出来事に参加していないと言うのに、なんだか妻の仕事は自分のやった事のように思うのでしょうか。

そして自分の母に妻に気を使う事ないのにと、その妻に言ってしまう迂闊さ。そしてその事にまったく気が付かないと言う・・・・・

まっ、いいか。

どうせそんな奴さ。

 

と、こんなブラックなシーンで終わる今日のおまけのお話。次回に続きます。この話が終わるまで、写真日記でいこうと思います。

 

 

コメント (2)
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