森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

麒麟がくる 第三十二回「反撃の二百挺」

2020-11-17 01:41:59 | ドラマ (大河)

合戦シーンもないのに、セリフだけで緊迫感が伝わってくるような気がします。

なんだか不思議なドラマだなと思いました。

シンガリの経験を語りながら、将軍不在の戦いを遠回しに諫め、次の戦いの時に坐したままの足利義昭をとうとう立たせたと言うのに、戦況は思わしく、二条城に帰った義昭は

「あれほど信長が脆いとは・・・。」などとのたまうのでした。

それを受けて返す摂津の言葉は、これみよがしの酷いもので、「鶴ちゃん、憎らし過ぎて上手すぎ」と褒めているのか貶しているのか分からなくなってきてしまいます。

だけどこのシーン、家康が言った

「ああ見えて食えないお人」を見せているだけではなく、合戦シーンの無い合戦の流れ、または今までの状況を、私たちに見せてくれていたのだと思いました。

 

今日、夫が会社の人たちと、このドラマの事ちょっとだけ話題になったみたいです。

こんなにチンタラ進んでいて終わるのかと言う内容だったらしいのですが、私的には結構進んでいるのではないかと思っています。ただ夫を含めてその人たちが言うには、最後の方にぎゅうぎゅうと詰め込まれたらいやだなというものでした。

そして極端な話として、東庵のシーンなんか要らないからなどと言う話も出て来たらしいのです。だけど今回、東庵先生は、庭に穴を掘ってお金を埋めようとしていました。再び京が火の海になる事を恐れてでした。このシーンなども、まさに合戦シーンの無い合戦の流れ説明のシーンだったように感じました。

極めつけは、石仏を背負った信長と光秀のシーンです。

僧侶たちとのやり取りを、信長ひとりの語りで伝えます。

(今、ふと気が付きました。これはこのコロナ禍の時代の新しいドラマの作り方なのかもって。)

「仏は重くないですか。」と光秀に言われ、急に冷静になったかのように「重い !!!」と投げるように降ろす信長。

なぜ、僧侶たちは朝倉をかくまうのか。なぜ僧侶たちは闘うのか。なぜ自分はこんな事をしているのか。

その問いに光秀が答えます。

「信長さまは多くを奪い、朝倉は多くを与えたからだと思います。」

何をかと言えば、それは「お金」!!

 

昔の事とは言え、比叡山の現僧侶たちは見たく無いシーンなのではないだろうかと、思わず思ってしまったのでした。何気に次の展開に凄い説得力が出てきました。

 

今度の信長は、今まで心のうちに作り上げられてきたイメージを覆していくような気がします。

と言うわけで、次週も楽しみです。

と、書きたい所なのですが、それではあまりにもスルーした部分が多過ぎるので、特にタイトル部分とか、あと少しだけ続きます。

家康が光秀に義昭の忠告をし、武田と闘うために帰ると言った時、「ああ、あの戦いか。」と思われた方もいただろうと思います。あの戦いと言うのは、「三方ヶ原の合戦」なのですが、(あっているかしら ?)さりげなく違う場面の展開が想像できるのも楽しいですよね。

先の戦いで多くの鉄砲を失った光秀たちは、その補充の為に堺に藤吉郎と訪れます。

そこで筒井順慶と知り合い、駒の助けも得て鉄砲の買い付けに成功するのでした。

駆け引きは一瞬の間の戦いでした。

光秀は200挺の鉄砲。順慶は信長と義昭との人脈。お互いに勝ち戦だったかもしれませんね。

 

光秀は都にやって来た家族と再会し、つかの間の安らぎの時間を持ちますが、母は美濃に残りたいと言ってきませんでした。母親の美濃に対しての愛を描いていて、これって、さりげない伏線じゃないのかと思いました。

そして駒は・・・・

駒はいったいどこに向かっているのかしら。この人もだんだん分からなくなってきてしまいました。たぶん駒自身も分かっていない事でしょう。分かっているのは作者のみ!!

 

と言うわけで(今度こそ)、次回も楽しみです♪

 

コメント (4)
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