(神奈川県鎌倉市浄明寺 2017年1月10日)
上杉朝宗は室町幕府第二代鎌倉公方の足利氏満、満兼の執事として仕え、犬懸上杉家の祖となった。子の氏憲も執事となり、出家して禅秀と名乗っている。その後、足利持氏が上杉憲基を執事としたことから、朝宗は持氏と対立するようになり、応永二十三年(1416)反乱を起こした。当初は持氏に不満を抱く足利義嗣、満兼も禅秀に味方したが、幕府は持氏支援を多くの武将たちに命じたため、禅秀は追い詰められ、雪ノ下の鶴岡八幡宮別当坊で自害したという。
アクセス | |||
---|---|---|---|
閲覧 | 439 | PV | |
訪問者 | 293 | IP | |
トータル | |||
閲覧 | 6,211,900 | PV | |
訪問者 | 1,627,727 | IP | |
ランキング | |||
日別 | 3,188 | 位 | |
週別 | 2,668 | 位 |