(東京都千代田区大手町 都指定史跡)
天慶三年(940)関東八国府を攻撃し、国司を追放した将門の乱。将門は新皇を名乗ったため朝廷から反逆者とみなされ、下総国猿島郡石井郷(茨城県坂東市岩井)において藤原秀郷、平貞盛らによって将門は討伐された。将門の首は京の都大路で晒されたが、首を繋げて再戦したいと叫びながら武蔵国豊嶋郡芝崎村(大手町)に飛来してきたと伝わる。以後、村では疫病が流行した。首塚は神田明神の別当である天台宗日輪寺が管理したが、徳治二年(1307)他阿真教が供養したことにより疫病は治まり、日輪寺は時宗に改められた。