flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

大覚寺と大沢池

2023-10-08 00:00:00 | ほとけのいおり
(真言宗嵯峨山 京都市右京区嵯峨大沢町 国指定重要文化財 国指定史跡 国指定名勝)
 嵯峨天皇の離宮が存在したこの地は、貞観十八年(876)皇孫の恒寂入道親王によって大覚寺に改められた。以後、主に皇族の住職(門跡)が明治維新まで続き、後宇多法皇は大覚寺で院政を行っている。延元元年(1336)と応仁二年(1468)、天文五年(1536)に伽藍を焼失し、その都度再興されている。













 伽藍東側の大沢池は、嵯峨天皇の離宮時代に築造された、唐の洞庭湖(中国湖南省)を模したものという。池の水源であった名古曽の滝は、貴族で画家の百済河成(782-853)が築造したものとされる。また、池と島、岩の配置は、華道嵯峨御流の基盤とされ、発祥の地でもある。










































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化野念仏寺

2023-09-30 00:00:00 | ほとけのいおり
(浄土宗華西山東漸院 京都市右京区嵯峨鳥居本化野町)
 弘仁二年(811)空海によって五智山如来寺として開創されたと伝わる。付近は化野(あだしの)という地名が物語るように、儚い死生観を表す風葬の地であった。その後は多くの墓標が築かれたが、明治に至り付近の墓標を念仏寺に集め「西院の河原」として整然と並べられた。

























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祇王寺

2023-09-26 00:00:00 | ほとけのいおり
(真言宗高松山往生院 京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町)
 法然の弟子良鎮によって往生庵として開山という。平家の家人江部時久の娘である祇王は、白拍子(歌舞)によって平清盛に寵愛されたが、若い仏御前にその座を奪われて追放された。祇王は妹の祇女、母の刀自と共にこの往生庵で尼となり、後に仏御前も加わって四人で余生を送った。その後、庵は次第に衰退し廃寺となり大覚寺預かりとなったが、明治28年(1895)京都府知事北垣国道の別荘を移築して本堂とし、大覚寺の塔頭として再興された。






















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中院山荘跡

2023-09-24 00:00:00 | ほとけのいおり
(京都市右京区嵯峨二尊院門前北中院町)
 清涼寺から二尊院までの愛宕道沿いに、鎌倉幕府御家人宇都宮頼綱が出家して実信房蓮生と名乗り、営んだ中院山荘があった。蓮生は和歌の名手とされ藤原定家と親交があり、蓮生が定家に山荘の障子に貼る色紙を依頼して執筆したものが、後の小倉百人一首の原形とされる。
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清涼寺嵯峨釈迦堂

2023-09-20 00:00:00 | ほとけのいおり
(京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町)
 嵯峨天皇第十二皇子である源融(みなもとのとおる)の山荘栖霞観(せいかかん)があったこの地は、源融が発願した阿弥陀三尊像により、棲霞寺として成立したのが始まりとされる。永延元年(987)東大寺の僧奝然(ちょうねん)とその弟子盛算によって華厳宗五台山清涼寺として開山し、釈迦堂が造立された。その後、融通念仏宗の道場となるが、享禄三年(1530)浄土宗に改宗されている。釈迦堂(本堂)は慶長七年(1602)豊臣秀頼により改築されたが、寛永十四年(1637)嵯峨大火によって焼失した。現存する釈迦堂(府有形)は、元禄十四年(1701)徳川綱吉の母桂昌院の発願と住友吉左衛門の援助によって再建されたものである。





























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神泉苑

2023-09-16 00:00:00 | ほとけのいおり
(京都市中京区門前町 国指定史跡)
 延暦十三年(794)に禁苑(宮中の庭園)として作庭されたのが始まりとされる。現在の法成就池は当初から存在した湖沼を利用したものとされ、現在より大規模なものであった。天長元年(824)干魃の際、淳和天皇の勅命により、空海が善女龍王を勧請し、雨乞いを行った。以後、真言宗の道場となり、貞観五年(863)疫病流行の際には、御霊会が行われている。その後は衰退と再興を繰り返し、慶長八年(1608)二条城築城の際に苑の敷地が取り込まれて縮小して、天明の大火では伽藍を焼失した。現存する伽藍の殆どは大火以後の再建である。





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𥒎観音寺

2023-08-21 00:00:00 | ほとけのいおり
(京都市左京区八瀬野瀬町)
 平治元年(1159)平治の乱で平清盛に敗れた源義朝が東国への逃亡の際、延暦寺の僧兵に襲われ高野川に転落した。馬と共に転落した義朝は無事であり、それは観音菩薩の加護によるものだと感じた義朝は、岩に鏃で観音像を刻んだという。岩に刻まれた観音像はその後も信仰されたが、立地が険しかったことから、昭和8年(1933)現在地に真言宗の寺院が建立された。









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猿畠山法性寺

2023-06-22 00:00:00 | ほとけのいおり
(神奈川県逗子市久木)
 お猿畠の大切岸の下方には日蓮宗法性寺がある。文応元年(1260)日蓮が松葉ヶ谷法難の際、山王大権現の使いである白猿が日蓮を岩窟に導き助けたのが、祖師堂横の岩窟と伝わる。元応二年(1320)日蓮の弟子日朗が死去し、この地に葬られ、法性寺が創建された。祖師堂前には日朗の墓標が納められた廟がある。





















































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明善寺の楼門

2023-05-20 00:00:00 | ほとけのいおり

(岐阜県大野郡白川村荻町 県指定有形文化財 2012年2月22日)
 享和元年(1801)に造営された、浄土真宗松原山明善寺の楼門である。鐘楼部は茅葺きであり、門部は板庇が施されている。

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護持院ヶ原跡

2023-05-19 00:00:00 | ほとけのいおり
(東京都千代田区神田錦町)
 千代田通り沿いの小公園に「ごじいんがはら跡」と刻まれた石碑が建つ。筑波山神社の別当(神宮寺)に信吾知足院中禅寺があり、その別院として湯島に江戸別院が存在した。元禄元年(1688)徳川綱吉のとき、この地に護持院として移転され、五万坪の敷地に七堂伽藍が造営された。享保二年(1717)大火により焼失し、江戸城に隣接しているため、以後護持院ヶ原と呼ばれる火除け地となった。護持院は護国寺(文京区大塚)に移転されたが、明治維新の神仏判然令の際に廃寺となっている。
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麻布山善福寺

2023-05-11 00:00:00 | ほとけのいおり
(東京都港区麻布十番)
 天長元年(824)空海によって開山されたと伝わる。寛喜元年(1229)了海によって真言宗から浄土真宗に改められている。また、東国において布教中の親鸞が訪れ、杖を地面に挿しそこから芽吹いたのが現存する逆さ銀杏(国指定天然記念物)という。本堂は明和四年(1767)東本願寺八尾別院大信寺の本堂として造営されたものを天明八年(1788)焼失した東本願寺の御影堂として移築され、寛政十一年(1799)八尾別院に返却移築、第二次世界大戦によって焼失した善福寺の本堂に充てられるため、昭和36年(1961)三度移築された。背後の旧境内地には、ビル風対策のため独特な造形の元麻布ヒルズが聳え立っている。









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豊川寺

2023-04-04 00:00:00 | ほとけのいおり
(曹洞宗平塚山長流院豊川寺 神奈川県平塚市明石町)
 昭和4年(1929)曹洞宗平塚教会所として発足され、昭和8年(1933)豐川吒枳尼眞天の分霊が祀られて堂宇が建立された。昭和21年(1946)火災により焼失したが、昭和31年(1956)再建の際に寺号が豊川寺とされた。







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豊川閣総門

2023-04-03 00:00:00 | ほとけのいおり
(曹洞宗円福山妙厳寺 愛知県豊川市豊川町 2013年8月7日)
 明治17年(1884)に改築された欅造銅葺の門である。旧伊那街道に面する
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万堂

2023-04-01 00:00:00 | ほとけのいおり
(万燈堂 愛知県豊川市豊川町 2013年8月7日)
 文久三年(1863)に造営された曹洞宗円福山妙厳寺の堂宇である。当初は参拝者が諸仏へ燈明を献ずるために開放されていたが、終戦後から昭和40年(1965)の僧堂衆寮竣工まで坐禅堂として使用された。
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如意山観明寺

2023-01-23 00:00:00 | ほとけのいおり

(東京都板橋区板橋 2013年2月16日)
 中山道板橋宿の真言宗観明寺は室町時代初期の創建とされるが、本尊の聖観音像は平安時代後期の作とされる。延宝五年(1677)に再興され、境内の稲荷神社は明治維新後に近隣の加賀藩下屋敷から遷座されたものである。

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