flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

楊梅山観音寺

2024-07-24 00:00:00 | ほとけのいおり
(長野県塩尻市贄川 2014年11月8日)
 大同元年(806)創建とされ、武田勢が木曽氏を攻めた際、兵火により焼失した。慶長二年(1597)再興され、現存する楼門は寛政四年(1792)、本堂は安永四年(1775)に造営されたものである。









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寝覚山臨川寺

2024-07-10 00:00:00 | ほとけのいおり
(長野県木曽郡上松町上松 2014年11月6日)
 浦島伝説のある木曽川寝覚の床のほとりに臨済宗臨川寺はある。創建時期は不詳ながらこの地に浦島堂と呼ばれる弁天を祀ったのが始まりとされ、寛永元年(1624)尾張藩主徳川義直の命により木曽代官山村良勝が堂宇を造営したという。






























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聖岩山玉林院

2024-07-08 00:00:00 | ほとけのいおり
(長野県木曽郡上松町上松 2014年11月6日)
 天正十年(1582)木曽義元二男で出家した木曽玉林によって創建された。明治27年(1894)上松宿の大火によって伽藍を失ったが、江戸時代中期に造営された楼門と黒松は現在も残る。















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東勝寺跡

2024-07-04 00:00:00 | ほとけのいおり
(臨済宗青龍山東勝寺 神奈川県鎌倉市小町 国指定史跡 2017年1月17日)
 鎌倉幕府第三代執権北条泰時によって創建されたという。元弘三年(1333)新田義貞の鎌倉攻めの際、北条高時が東勝寺に逃げ込み、火を放って自害したことから寺は焼失した。その後間もなく再興され、関東十刹第三位になる程に復興されたが、戦国時代に廃寺となっている。昭和50年(1975)の発掘調査では石垣、石敷、門跡が検出され、北条家の紋である三鱗の紋瓦片が出土している。













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太平寺跡

2024-06-28 00:00:00 | ほとけのいおり
(神奈川県鎌倉市西御門 2017年1月17日)
 弘安年間(1278-88)開創の鎌倉尼五山筆頭の尼寺である。弘治二年(1556)里見義弘の鎌倉攻めの際、住職の青岳尼が義弘と共に安房に向かい正室となったため廃寺となった。仏殿は舎利殿として円覚寺に移築され現存(国宝)。本尊は安房に持ち出されたが、後に東慶寺に移された。



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満光山来迎寺

2024-06-24 00:00:00 | ほとけのいおり
(神奈川県鎌倉市西御門 2017年1月17日)
 永仁元年(1293)創建の時宗寺院である。





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福聚院観音寺

2024-02-26 00:00:00 | ほとけのいおり
(天台宗威徳山 茨城県牛久市久野町 2014年4月13日)
 嘉禄二年(1226)創建。大永五年(1525)に領主土岐原治頼が同寺の十一面観音の再興を行い、天正五年(1577)には土岐治英が土岐越前守と共に同寺の修復工事を行っている。宝永四年(1707)現存する本堂の改修、仁王門の建造が行われた。























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江戸崎不動院

2024-02-24 00:00:00 | ほとけのいおり
(天台宗医王山東光寺 茨城県稲敷市江戸崎 2014年4月13日)
 江戸崎城主土岐氏や蘆名氏によって保護され、徳川家康側近であった天海も住持し繁栄したが、明治9年(1876)火災により焼失し衰退した。
 
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阿弥陀浄土院跡

2024-02-10 00:00:00 | ほとけのいおり
(奈良市法華寺町 2014年7月17日)
 天平宝宇四年(760)光明皇后の追悼のため、総国分尼寺法華滅罪之寺の子院として創建されたが、平安時代までに衰退している。
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常林寺

2023-12-16 00:00:00 | ほとけのいおり
(浄土宗光明山摂取院 京都市左京区田中下柳町 2014年2月12日)
 天正元年(1573)念仏専修僧魯道によって開山されたが、寛文十一年(1671)大火により焼失し、寺町荒神口(上京区)から現在地に移転された。
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龍護山満福寺

2023-12-06 00:00:00 | ほとけのいおり
(神奈川県鎌倉市腰越 2014年1月1日)
 天平十六年(744)行基により開山と伝わる真言宗の寺である。元暦二年(1185)壇ノ浦で平家を滅ぼした源義経は、平宗盛、清宗父子を護送して鎌倉入りをしようとしたが、義経の兄範頼や梶原景時からの告げ口により、源頼朝はそれを許さなかった。その誤解を解き許しを請うため、義経が頼朝の側近大江広元宛てに書いた「腰越状」は、この寺で書かれたという。



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寿福寺観音堂

2023-11-30 00:00:00 | ほとけのいおり
(横浜市都筑区茅ケ崎東 2013年2月16日)
 浄土真宗綱崎山寿福寺は承元四年(1210)多田行綱の孫智空(福寿丸)によって真言宗長福寺として開山した。
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興雲庵陀枳尼尊天堂

2023-11-16 00:00:00 | ほとけのいおり
(京都市東山区大和大路四条下ル小松町 2013年11月30日)
 建仁寺塔頭である興雲庵は、建仁寺二百九十五世三江紹益(1572-1650)によって再興された。紹益の父母が陀枳尼(だきに)天を信仰し、紹益が授かったことから紹益も陀枳尼天を守護神とし、境内に鎮守社として祀ったのが始まりという。



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富山観音堂

2023-11-08 00:00:00 | ほとけのいおり
(愛知県北設楽郡豊根村富山字下栃 2013年10月19日)
 永正元年(1508)八名郡中宇利村(新城市中宇利)宇利城熊谷氏裔、熊谷直盛によって建立され、十一面観音が祀られた。現存する観音堂は文政七年(1824)に再建されたものである。
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大本山壬生寺

2023-10-10 00:00:00 | ほとけのいおり
(律宗心浄光院宝憧三昧寺 京都市中京区壬生梛ノ宮町)
 正暦二年(991)三井寺の僧快賢が自身の母のために、仏師定朝の地蔵菩薩を本尊として小三井寺を創建したのが始まりという。建暦三年(1213)現在地に移されたが、正嘉元年(1257)火災に遭い焼失している。正元元年(1259)融通念仏宗の円覚によって再興され、以後江戸時代に渡って繁栄した。然し、天明の大火によって焼失し、以後次第に衰退したが、幕末には新撰組の兵法調練場として使われた。後世、新撰組隊士十一名の末裔によって境内壬生塚に墓標、記念碑が造立された。















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