flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

徳島城

2014-07-27 00:00:00 | 城郭・城下町

(徳島市徳島町ほか 2005年7月18日)
 フェリーから市営バスに乗り換える。市街地に近付くにつれ、乗客も増えていった。駅まで行き、鳴門方面へと出向こうとも考えていたが、城跡が見えたのでここで降りることとした。鋭角な石垣の城内に入り、博物館へと足を進めた。終始、マンツーマンのガイドが付き、「徳島は蜂須賀二十六万石の藩で…」蜂須賀氏といえば、尾張の武士。愛知のことを振ってみると、中々詳しい解説者。これだけの城下の規模でありながら市指定史跡(表御殿庭園は国指定)に止まっているのは、都市計画開発の思惑があるからだ…等説明していただき、この場所の歴史の裏表が分かった気がした。
         
 天正十三年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の功により、蜂須賀家政が十八万六千石で阿波一宮城に入封したのが始まりである。間もなくして大規模な城郭、城下町を築造し、徳島城となった。家政の子、至鎮(よししげ)のとき、大坂の役の功により、淡路一国八万一千石を与えられ、二十六万七千石となっている。以後、蜂須賀氏十四代で廃藩を迎える。
 
 今は残存しないが、本丸ではなく二の丸に天守が有ったといわれる城を後にし、市街地へ向かうこととした。四国で一番小さい県都であるが、商業が栄えている。やはり水が豊富で港のある城下町がポイントであろうか。また水辺がしっかり整備されているのも、観光が廃らない理由の一つであろう。そして、ゴミを殆ど見かけないところも、このまちの陰の努力があるからであろう。

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