flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

小針1号墳

2015-10-25 00:00:00 | いにしえびとの睡

(愛知県岡崎市小針町神田 1990年9月23日踏査)
 三菱公園の中に囲われた一角がある。二十四歳で薨御(こうぎょ)した大友皇子(弘文天皇)の墳墓だという言い伝えがある。天智天皇十年(672)天智天皇の崩御後、皇太子大友皇子が近江大津宮で政治を執ったが、天智天皇の弟大海人(おおあま)皇子(後の天武天皇)が吉野で挙兵し近江を攻め、大津宮は兵火により焼け落ち、大友皇子は敗れて自害したという。(壬申の乱)然し、近隣に鎮座する大友神社(岡崎市西大友町)の社伝によると、「大友皇子は自害したと言いふらして、密かに一族数名と三河に逃れ、大海人皇子の謀反を怨み悲憤に暮れたが、ついにこの地で崩じ、小針字神田に葬られた。従者長谷部信次が神社を創建し皇子を祭祀した。これが大友神社である。大友という村名もこれに起因する」とある。付近は14基の小針古墳群を形成していたが、明治時代の開墾により滅失し、この1号墳も前方部が失われた。直径17m,高さ4mの後円部からは円筒埴輪を確認することができる。
 

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