(静岡県周智郡春野町 2005年6月1日)
天竜という街からバスに乗り、天竜川の支流、気田川を遡る。車内は思いの外混んでいて、古希を下回る者はいないであろうと思われる程、高齢者が多い。次第に標高を上げるなか、まるで天国への旅立ちかと思わせる程の光景である。先ず、秋葉神社からと考えていたが、役場へと予定を変えた。終点でバスを降り、役場の窓口へと赴いた。ここでようやく同年代かと思われる人と出会った。町内の歴史的な質問をされたことがあまりないのであろうという感もあったが、親切に対応していただいた。
川を渡り、図書館、歴民館へ。ここで町の歴史、町勢、今後を修得した。先土器時代からの人々の営み、狩猟による生業、中世は細川家臣天野氏による統治。近世以降は林業による発展、そして現代は過疎化、来月には近隣市町村合併によって政令都市へ歩んで行く…。単独の町としては先僅かな訪町となった訳である。図書館でこの町の郷土史がどのくらい世に送り出されているか確認したところ、今は町外へと転出して行った出身者が、生まれ故郷の歴史を後世へ送ろうと著述した冊子が多数見受けられた。自らの将来の為に旅立った人も、故郷の事を思い出し残したものである。書物に目を通すなか、昔話、伝承が豊富であることがわかった。それを求める為再び役場へ。そこで様々な会話をする中、この地の名が「宮川」であることが分かった。「日本一きれいな川を目指しているんですよ」という会話の中に、ある種のご縁と親近感を感じた。
役場を後にし、今度こそ秋葉さんと思ったが、もう少し付近を散策したいと思い、川を上る。川沿いの山村開発センター敷地内にはこの地方の伝説のメインである大天狗の面、高下駄などが有るほか、宝塚歌劇団の育ての親、白井鐵造の記念館が建っていた。「すみれの花 咲く頃…」のフレーズの地なのである。
夕刻を迎え、川を下り秋葉橋を渡る。秋葉山麓の下社は思ったより質素でこじんまりしていた。古来より秋葉街道を経て人々が多く参詣に訪れていたこの地。黄昏時は過ぎ、辺りは薄暗く静寂となっていたが、それがまた山岳神秘を現していた。
残る帰路の時間まで気田の河原で過ごし、濃緑の春野を後にした。
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