
(愛知県西尾市 2005年6月10日)
昭和57年以来、何度か訪れている幡豆地域中心の地。
交通の不便さもあるのか、近年の人口増加率は鈍くなっている。然しながら、抹茶生産日本一、バラ生産県下一を誇る。
平成8年に西尾城丑寅櫓を再建し、城下町の落ち着きもあるのだが、観光にもう一つのところがあるというか、案内看板のようなものが殆んど無い。久し振りに足を運び、若干迷った。
西尾城は承久三年(1221)足利義氏が西条城として築いたのが始まりである。
その後義氏の長男長氏に西条城を、三男義継に吉良東条城を構えさせ、義氏は次男泰氏とともに下野足利に帰った。
以後、この地の足利氏は吉良氏と改姓し、十四代にわたってこの地を支配した。
永禄四年(1561)酒井正親が入城し、西尾と改める。
そして天正十八年(1590)酒井重忠のとき、武蔵川越に移り、岡崎城の田中吉政が入城する。
その後、慶長六年(1601)には本多康俊が入城、元和三年(1617)に近江膳所へ移封し、続いて下野板橋から松平成重が入城、元和七年(1621)伊勢亀山へ移封した。
膳所より本多氏戻り、寛永十三年(1636)に伊勢亀山移封する。そして下総山川より太田資宗入城、正保元年(1644)遠江浜松へ移封した。
翌年上野安中より井伊直好が入城し、万治二年(1659)遠江掛川へ移封した。
そして増山氏二代・土井氏四代・三浦氏二代と続き、明和元年(1764)からは山形より大給松平氏五代続き廃藩となった。
(以上3枚は昭和57年5月撮影)
市内栄町に、井桁屋という戦前の百貨店の建物が残っている。取り壊しか保存かで地元民によって討議されたが、市は道路拡幅と財政難を理由に、持ち主が寄贈するというこの建物の受取りを辞退した。市刊行物も、他市より割高であり、この街の財政力を現しているようである。
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