(2004年6月18日の日記から)
まつり太鼓の町から高原を越え鉱山の町へと向かった。
両町と二村が今年になって合併し、市制が施行されたが、未々一体感は薄い。
また、施設的なムダも多い。
前者は太平洋側文化圏であるのに対し、後者は、水系的にも産商業的にも、交流的にも日本海側の要素が色濃いといえよう。
また付近の構造物にいわゆる ヘタリ が多く見受けられた。
豪雪地帯故の摂理であろうか。
未来の宇宙線研究をしている部分、越中東街道時代の町屋文化の名残部分、産業衰退による退廃的な部分。
これらを全て受け入れて、これからを挑戦しようとしているこの まち の姿を垣間見たようであった。
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