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flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

福土山・雄総古墳群

2006-03-13 06:00:15 | いにしえびとの睡
 岐阜市の最高峰、百々ヶ峯から南に延びる雄総(おぶさ)丘陵、通称福土山。
そこには雄総古墳群と名付けられた8基の古墳があった。
丘陵南端にあった1号墳は、堀田観音堂再建の際に雲珠(馬具)、金環、碧玉製管玉(装飾品)、滑石製紡錘車(糸を紡ぐときに使う弾み車)、直刀、須恵器が出土し、その他の古墳からは、鎧、勾玉も出土したという。各古墳の内部構造、副葬品からみて、4世紀から6世紀頃の地区権力者の墓であったことだろう。

 お堂の裏方には、未だ眠っている古墳もある…。

(関連記事:八代古墳群 西山古墳群

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ここに来たの? (BALTAN(バルタン))
2006-03-13 08:11:33
ここからバルタン亭が全貌できますよ。

バルタンの庭ですがね。

ガハハハハハハハやばい。



少し前、ここの土を使用して、「おくわ焼き」という陶器を製作を手伝ったことがあった。

ここの土は、陶器によいものらしいけど、大量にはいただけない。

数個限定でした。
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そうなんですか? (kourei)
2006-03-13 12:38:49
ここと、龍門寺古墳というところにも行きました。

だいぶ前、松籟団地のほうにある、西山古墳にも行きました。

お堂から見下ろすと、大きなお家があったので、そこかな?

っていうか、この山はバルタンさんの所有地?

失礼しました__(._.)_!?



この丘の名の由来は、そのやきものにも関係ありそうですね。

陶芸家活動はされないのですか?
返信する
福土山 (BALTAN(バルタン))
2006-03-14 07:53:25
松籟団地も私の家がありますよ。

古墳がでたところも、近くですね。

前の学校長が、この古墳に詳しくて、よく一緒にコーヒーをいただきました。

歴史博物館で、学校長の説明聞いたり、ここで出た古墳が展示してありましたよ。
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コの字の地形 (kourei)
2006-03-14 13:07:15
あらら、やはり大地主だったんですね。

松籟団地の古墳は、口が開いていますね。

雪の残る冬晴れの日に、団地の南の丘から、百々ヶ峯を眺めたことがあります。
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