flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

横浜元町

2009-09-15 00:00:08 | 漂い紀行
 横浜の旧市街があったことから、元町と呼ばれる。今も個人商店が隆盛を誇っている。
 
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今治の朝

2009-09-14 00:00:18 | 海道・みなと
(愛媛県今治市)
 港と城の見える宿での目覚めとなった。この後は再びしまなみを渡り、福山に戻る。
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Yokohama Customhouse warehouse’09

2009-09-13 00:00:25 | STRUCTURE-構造物残影-
(横浜税関新港埠頭保税倉庫 横浜市中区新港)
 夜の赤レンガ倉庫である。
  
(関連記事:横浜税関倉庫’06
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今治城 平成二十一年

2009-09-12 00:00:00 | 城郭・城下町
(吹揚城 美須賀城 愛媛県今治市通町 県指定史跡)
 鉄御門が完成し、往時の姿に近づいた。市民の寄付等により再建され続けている城郭の姿は、この地域の社会性を現している。 このときは、夏の夜店に訪れる人と吹揚神社の参拝者で賑わっていた。
     
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原宿駅舎

2009-09-11 00:00:35 | 木のたてもの
(東日本旅客鉄道山手線 東京都渋谷区神宮前)
 大正13年(1924)二代目の駅舎として建てられた、木造二階建て塔屋付き、ハーフチンバー(軸組露出)方式の駅舎である。
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鹿ノ子池 平成二十一年

2009-09-10 00:00:46 | 水のほとり
(愛媛県今治市町谷)
 墓参の後、そのすぐ西側にある鹿ノ子池に向かった。
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赤坂

2009-09-09 00:00:46 | 漂い紀行
(東京都港区赤坂)
 私が一時期住した場所から程近いこの辺りは、オフィス街からショッピング街へと変貌しつつあった。
 
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墓参

2009-09-08 00:00:31 | 孝霊天皇流族関係記事

 一年半振りに祖先の墓に訪れた。ここには、私の祖父以前、天正十年以降の祖先が眠るが、私の祖父の墓碑は無い。また、台風や山崩れ等により塀が壊れても、今の我が家にはそれを直す力も無い。
   (新家墓所)  (中家墓所)(塀を壊す松を撤去)
(霊仙山、世田山を望む)

 我が家は代々一代一基である。一族は今でもそれが実行できているようだが、我が家は違う。山頂に同姓の一族墓群があり、周辺には同氏族、遠縁が眠る。
 
(私の法号のもとである我が一族の菩提寺)

(我が家の歴史が刻まれた思源碑)

 
(菩提寺の南隣に鎮座する、奈良時代越智玉澄勧請の三島神社)

   
(菩提寺の北隣に建つ、天慶三年(940)河野氏祈願寺として創建された歓喜寺と河野殿)

  
(墓地の入口に建つ、上朝倉村龍門山城主河野源六通明一族墓所跡碑)

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永田町

2009-09-07 00:00:57 | 漂い紀行

(東京都千代田区永田町)
 国会図書館から、国会議事堂横に差し掛かった。このときは、混迷する会期中であったためか、多くの警備が取り巻いていた。

  
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国分 春日神社

2009-09-06 00:00:26 | かみのやしろ
(愛媛県今治市国分)
 伊予国分寺に隣接して鎮座する神社である。祭神は天児屋神(アメノコヤネノミコト)、比売神(ヒメノカミ)
 永承五年(1050)国分寺十二世雲海が同寺の鎮守として春日神社を勧請したものという。慶長十六年(1611)松山城主加藤嘉明は社殿を再建したと伝わっている。
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国立国会図書館

2009-09-05 00:00:49 | 学びのやかた
(National Diet Library 東京都千代田区永田町)
 約2千3百万点という日本最大の蔵書資料数を誇る図書館である。
 目的は法定納本制度による国内出版物の収集保存、全国書誌の作成、国会や行政及び国民への資料提供等を行うことである。一般の利用もできるが、一般公共図書館に比べ、利用基準が厳しい。
 また、近代デジタルライブラリーは約15万点の明治、大正時代の図書資料を収録している。
 
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へんろ道 国分

2009-09-04 00:00:23 | 街道・宿場町
(四国八十八ヶ所巡礼第五十九番札所 真言律宗金光山最勝院国分寺 愛媛県今治市国分)
 孫兵衛作から唐子山を越え、伊予国分寺に差し掛かった。私が昭和57年に初めて訪れたときと変わらず、お遍路さんを多く見かけた。
   
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築地本願寺

2009-09-03 00:00:28 | ほとけのいおり
(浄土真宗本願寺築地別院 東京都中央区築地)
 元和三年(1617)江戸浅草御坊として開基したのが始まりである。然し、明暦三年(1657)の振袖大火により焼失し、現在地付近を埋め立てて「築地」を築き、寺院を再建した。
 現在の伽藍は、昭和9年(1934)に建てられたRC造りで、天竺様式を採用している。
 
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唐子山

2009-09-02 00:00:26 | 城郭・城下町

(国分山城 国府城 愛媛県今治市国分・古国分 市指定史跡)
 昭和60年に今は亡き父とこの山を訪れた際の話を思い出す。「昔、城のお姫さんがカラカラと笑ったから「カラコ山」呼ばれるようになった」と。然し、一般的にはいかが山頂に生える松が、唐子の髷の形に似ていることから、こう呼ばれるようになったとされる。
 標高105mの唐子山には、今治城が築かれるまで、城が存在した。
 興国三年(1342)新田義貞の弟脇屋義助がこの城に入るが、間もなく病死。その後、村上武吉が城主となった。四国征伐の後の天正十三年(1585)からは十一万三千二百石で福島正則が入り、城郭及び城下町を整備、東麓に館を構え、頓田川を挟んで城下町(拝志町)を築いた。
 文禄四年(1595)正則は尾張清洲に転じたため、池田景雄が入った。然し、慶長三年(1598)景雄は病死し、代わって小川祐忠が入った。祐忠も、関ヶ原では西軍に属して戦ったため、除封となり、宇和島から藤堂高虎が二十万石で移封した。
 慶長七年(1602)高虎は、瀬戸内海に面した蒼社川と浅川の間に今治城を築城開始、国分山城の石垣など、今治城築城のために転用されたという。
 付近の地名には、お屋敷、上屋敷、小姓町、吉兵衛屋敷、久右衛門屋敷、土手の内、中堀端、堀之内、元屋敷等が伝わる。
  
 父と訪れたとき、山頂付近をフィルムカメラで撮影をしたが、二重撮影のようになってしまった。今回も、山頂付近の撮影ができず、デジタルカメラが正常に動作しなかった。唐子山の怪なのかもしれない。

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築地

2009-09-01 00:00:13 | 漂い紀行
(東京都中央区築地)
 銀座に程近い場所には、東京の食を支えている一角がある。
 大正12年(1923)の関東大震災によって、日本橋魚河岸等から移転されたのが築地市場の始まりであり、昭和10年(1935)に整備され、ほぼ現在の形になった。然し、手狭さや老朽化等の面から、豊洲に移転する計画が持ち上がり、反対運動が起こった。
     
(関連記事:築地本願寺
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