flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

無縁坂

2011-07-20 00:00:41 | 街道・宿場町

(東京都台東区池之端・文京区湯島)
 坂の途中にあった無縁寺に由来する。現在は浄土宗専修山講安寺となっている。無縁寺は元和二年(1616)湯島天神下より移転し、正保二年(1645)講安寺となって現在に至っている。
  

(関連記事:三菱史料館 旧岩崎邸

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青蓮院の楠

2011-07-19 00:00:55 | ふるさとの木々

(京都市東山区粟田口三条坊町 市指定天然記念物)
 青蓮院の神宮道側に五本の楠がある。鎌倉時代、白川沿いにあった青蓮院が移転した際に植えられたものという。

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かんざし灯篭

2011-07-18 00:00:25 | 民俗・伝承

(広島県尾道市久保)
 尾道本通りの東、八坂神社の境内には伝説を秘めた簪形の石灯篭がある。昔、富豪の息子に見初められた娘がいた。娘は貧しく、かんざしも持っていなかった。息子の父親は「かんざしない者嫁にはできぬ」といい破談になった。悲しんだ娘は、明神さんの井戸に身を投げ命を落とした。その後、町の人々は娘のために、井戸の傍に簪形の石灯篭を建てて弔ったという。

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「西豊川」の桜 2011

2011-07-17 00:00:46 | ふるさとの木々

(愛知県豊川市)
 昭和31年(1956)まで、この場所に国鉄飯田線支線西豊川駅が存在した。その駅前跡地に造られた桜木公園にある桜である。
 

(関連記事:西豊川駅跡の桜2009

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湊山公園

2011-07-16 00:00:24 | 水のほとり

(錦公園 鳥取県米子市西町)
 米子城の存在した湊山の麓にある公園である。明治40年(1907)大正天皇が皇太子時代に訪問の際、整備された公園である。
 (加茂川河口)
(中海)
 (茅島)

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地産地消

2011-07-15 21:00:58 | kourei-ki-日記-

知人が自分のところで採れたいろいろな野菜を持ってきてくれた。
ふと考えてみると、我が家は肉も魚も米も地元産を使っている。
肉は渥美牛、黒潮牛、鳳来牛、みさき牛、田原豚、三河地鶏、三河湾の魚介類、葉物野菜生産日本一の豊橋田原、そして古来は穂の国と呼ばれた米どころこの地である。

私はどんなに困窮しても、食物だけは確保できるので有り難い。
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三菱史料館

2011-07-15 00:00:06 | 学びのやかた

(東京都文京区湯島)
 我が家の系図をつくるための調べ事もあり、平成8年に開設された財団法人三菱経済研究所付属三菱史料館を訪れた。
 

(関連記事: 旧岩崎邸 三菱一号館 旧三菱第2ドックハウス 夕張南部 ウィルソンウォーカー邸
(地域関連記事:無縁坂 御茶ノ水 神田上水復元遺構 本郷給水所公苑 東京大学建築群 旧加賀藩前田家上屋敷御守殿門 向岡碑 弥生二丁目遺跡 湯島天満宮 実盛坂 天神図書室 湯島聖堂 根津 根津神社

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八坂庚申堂

2011-07-14 00:00:12 | ほとけのいおり

(天台宗大黒山金剛寺 京都市東山区金園町)
 八坂の塔から西に進むと、こぢんまりとした境内に庚申堂はある。金剛寺は平安時代に創建したとされ、現在の庚申堂は、延宝六年(1678)に再建されたものである。軒下には無数の「くくり猿」(欲望抑止を形にしたお守り)が弦されている。
 

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尾道の町並み

2011-07-13 00:00:37 | 街道・宿場町

(広島県尾道市)
 尾道の朝を迎え、本通り商店街を歩いてみる。観光地ながら生活感があり、瀬戸内の自然な風情が漂っていた。
       (浄土真宗浄泉寺入口)(山陽線下トンネル)  (天文十二年創建)  (日限地蔵)         (この後は、正念寺 西國寺天寧寺に向かう)

(関連記事:尾道へ 尾道城 千光寺山 かんざし灯篭 向島

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佐奈川の春 平成二十三年

2011-07-12 00:00:07 | ふるさとの木々

(愛知県豊川市)



(関連記事:佐奈川の春平成二十年 平成二十一年

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孝霊山遠望

2011-07-11 00:00:54 | 孝霊天皇流族関係記事

 米子城の天守跡から、大山(だいせん)との背比べ伝承がある、標高751mの孝霊山(こうれいさん)を望むことができる。孝霊山の名は、第七代孝霊天皇(大日本根子彦太瓊尊:おおやまとねこひこふとにのみこと)が、孝霊四十五年(171)から孝霊五十八年(184)にかけて、この地を行幸したことに由来するという。山麓には孝霊天皇を祀る高杉神社があり、鬼退治伝説が残っている。更に、山麓に居を構えたと伝わる。(弥生時代後期から古墳時代前期かけての高地性集落である、国指定史跡の妻木晩田遺跡が該当か) また、孝霊天皇及びその皇子を主人公とした伝承、社伝等がこの地から瀬戸内海にかけて分布している。順番にみていくと、現安来市広瀬町梶福留の伊邪那美陵御墓山に孝霊天皇が参拝したという伝承がある。日野川沿いである日野郡伯耆町、日南町には楽楽福神社(ささふく)があり、共に孝霊天皇を祀っている。神社には「鬼退治」として凶賊を征したという伝承が伝わっている。社名にある「ささ」は砂鉄を表し、製鉄を意味する。この地方の古代製鉄による繁栄が伺える。また、孝霊天皇の幼名は御時楽楽清有彦命(ささふくきよありひこのみこと)と言い、笹福(ささふく)と号したとされる。この孝霊山の別名は高麗山、韓山であり、地名もかつては高麗村であった。孝霊と高麗の関係性を想像させる名でもある。孝霊天皇の皇子には彦五十狭芹彦命(ひこいさせりびこのみこと:大吉備津彦命)と、異母弟の若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと:吉備児島三宅氏祖)があり、共に吉備国を平定したと伝わる。更に彦狭島命(ひこさしまのみこと:伊豫皇子:越智河野氏祖)があり、父の命により伊予国を平定したという。

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南風

2011-07-10 18:00:48 | ご近所漫ろ歩き

生涯学習のスクーリング授業が終わり、頭を冷やすため近隣のまちに出かけた。
海風が入るため、周辺他所より3~4度気温が低く、涼やかな風が流れていた。
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浅草駅ビル

2011-07-10 00:00:58 | STRUCTURE-構造物残影-

(東京都台東区花川戸)
 昭和6年(1931)に築造された、SRC造、地上7階地下1階建、延床面積34613㎡の駅舎商業ビルである。この駅が完成するまで、東武伊勢崎線は業平橋駅を始発駅としていた。浅草駅は2階部分に伊勢崎線が隅田川から急角度で乗り入れ、「浅草雷門駅」(現浅草駅)とし、地下1階から地上7階までは「松屋浅草支店」(現松屋浅草店)として開業した。昭和20(1945)空襲により内部を焼失したが、戦後に修復され、外壁も改修された。近年、4階より上層を売上低迷を理由に閉鎖したが、東京スカイツリー完成を機に、外壁を旧態に復元する計画という。

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今日の近所

2011-07-09 21:00:14 | ご近所漫ろ歩き

標高800mの山の上に、入道雲が上がっていた。
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八坂の塔

2011-07-09 00:00:43 | ほとけのいおり

(臨済宗霊応山法観寺 京都市東山区清水八坂上町 国指定重要文化財)
 法観寺の伽藍である高さ46mの五重塔は、治承三年(1179)に焼失して以降、何度も再建され、現存の塔は室町時代に足利義教により再建されたものである。 暦応元年(1338)夢窓疎石の勧めによって、後醍醐天皇をはじめとする戦没者を弔うため、足利尊氏が全国に安国寺及び利生塔を建てた。京の利生塔はこの塔が利用されている。

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