(若葉祭 愛知県豊川市)
牛久保八幡社の祭礼であるこの祭りは、練りの囃子方である「ヤンヨウガミ」の衆が道で寝転び、その様が尾長蛆(おながうじ)に似ていることから、訛って「うなごうじ」と呼ばれるようになったとされる。然し、これに類似した祭礼は笹踊りと称してこの地方には何ヶ所かあり、その起源も鎌倉時代に遡るとされる。江戸時代前期に中神行忠が記した「牛久保密談記」によると、牧野成時(古白)が、四月八日に若宮社に参詣の折、駿河今川氏の使者に会い、「当国馬見塚(豊橋市今橋町)に一城を築くべし」という知らせを受けた。成時は、「身の誉れ何事か是にしかん。殊に当社に参詣の折に、この吉事を聞くことはひとえに神の御恵み」と大いに喜び社前の柏の葉で神酒を献じた。このことから成時は、牧野家代々の菊桐の家紋を三つ柏に改めたという。以来、四月八日には成時の句「きのふ けふ 若葉なりしか杉の森」を神前の若葉に結んで供え、牧野家の武運長久を祈った。これ以後、句にちなんで若葉祭という名称で祭りが行われるようになったという。また、牛久保城主である牧野氏が、ある年の若葉祭で領民を城中に招き酒食を振る舞った。お酒に酔った領民は真っ直ぐに歩けず、帰る途中にごろごろと路上に寝転んだことから、以来、祭りでその光景を表して行われている風習ともいう。
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(神奈川県座間市入谷)
寛正元年(1461)この地に住む白井氏の持仏堂であったものを、建長寺第七十五世悦岩興惟(えつがんこうい)の法弟、成英玉(せいえいぎょく)が久光山心願寺として開山したのが始まりである。後に座間山心巌寺と改められ、江戸時代には現在の座間山(ざけんさん)心岩寺と改められた。
(くくりのみや 岐阜県可児市久々利 市指定史跡 1990年4月3日)
崇神天皇は、景行天皇四年(A.D.74)行幸際しこの地に七ヶ月間滞在し、皇子である八坂入彦命(やさかいりひこのみこと)はこの地に残って付近を支配した。跡地には万葉の碑が建ち、椋の古木がいにしえの歴史を伝えている。
(京都市上京区梶井町)
昭和4年(1929)に築造された、RC造、地上3階地下1階、延床面積1914m2のゴシック様式の建物である。昭和29年(1954)からは同大学附属図書館と改称された。平成4年、新図書館竣工で一時は存続が危ぶまれたが、現在は同大学の施設として活用されている。
(愛知県北設楽郡設楽町田口字居立 1990年6月3日)
応永九年(1402) 創建の福田寺は、寺伝によると、天正元年(1573)武田信玄が野田城を攻略の際、病に冒された信玄は帰国の途次、当寺において暫しの療養の後、卒去され、当所に尊体を埋むとある。信玄最期の地については、他に伊那駒場・浪合(阿智村)・根羽等がある。