(神奈川県鎌倉市十二所・横浜市金沢区朝比奈町 国指定史跡)
鎌倉と房総への港であった六浦津(むつらづ:金沢区六浦)を結ぶ六浦道の峠である朝夷奈切通(あさいなきりどおし)は、鎌倉幕府執権北条泰時のときに、それまでの峠道を改修したものという。また朝夷奈の由来は、改修に携わった人夫たちが安房国朝夷郡(千葉県南房総市)出身であったからとされる。長らく双方を結ぶ役割を担ってきたが、昭和31年(1956)新道(県道204号金沢鎌倉線)が開通し、その後は歴史の道として今に至っている。
古道を跨ぐ横浜横須賀道路
大刀洗水
(愛知県新城市野田字西郷 2001年1月5日)
曹洞宗泉龍院末である龍澤山白神寺は、島田氏陣屋跡に隣接し、永禄三年(1560)字下り城(おりじろ)の観音堂に泉龍院の僧が住したことに始まる。慶長元年(1595)現在地に移り、慶長十五年(1610)伽藍を整備し、白神軒という名称となったが、万治三年(1630)白神寺と改称されている。白神の名の由来は、かつて下り城の城に堂宇があったことから、城神が白神に転じたものという。
(東京都港区南青山)
昭和29年(1954)建築家坂倉準三によって設計された、芸術家岡本太郎の自宅兼アトリエである。平成8年の没後は、翌々年から記念館として開放されている。
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(愛知県豊橋市高師町 2000年12月30日)
高師駅留置の初代1800系半鋼製電車。昭和3年(1928)製造、元愛知電気鉄道(1935-名古屋鉄道)3350+2340形電車(台車は国鉄客車14系)。豊橋鉄道では昭和42年(1967)から平成9年(1997)の渥美線1500V昇圧化前まで使用された。
(神奈川県藤沢市片瀬海岸)
江ノ島大橋の付け根、湘南相模湾の境川河口付近の海岸である。江ノ島最寄り駅である小田急江ノ島線片瀬江ノ島駅があり、昭和4年(1929)に建てられた、竜宮城を思わせる駅舎がある。
(1800系×7300系 愛知県豊橋市南松山町 2000年12月30日)
平成9年の渥美線1500V昇圧時に、名鉄5200系(足回り国鉄101系)を改造した1900系から、名鉄7300系(車体1971年製・足回り3800系1948年製)に置き換えられ、合わせてダイヤ改正が行われた。然し、5200系カルダン駆動から7300系吊り掛け駆動に性能退化したためダイヤが乱れ、三年で東急7200系(豊鉄1800系)に置き換えられることになった。
(神奈川県鎌倉市西鎌倉)
鎌倉山西方のこの地は、かつて津村初沢、腰越村赤羽と呼ばれる地であった。高度成長時代に入り、西武鉄道の住宅開発がされ西鎌倉と名付けられ、昭和43年(1968)には湘南モノレールが開業し、人口が急激に増加した。
(愛知県豊橋市石巻西川町道上 2000年11月26日)
郷道川は上流部の別名を堂下川と呼び、寒之谷池付近から発し一級河川間川に注ぐ普通河川である。間川の河岸段丘から郷道川河岸段丘の導入部には落差約5mの滝があり、滝より下流側の川床は砂地となってザリガニやドジョウ等が棲息している。
(神奈川県鎌倉市長谷)
大仏トンネルの入り口にあるスクラッチタイルの近代建築は、昭和10年(1935)に築造されたRC造2階建で、相模川の水を寒川浄水場・長谷配水池を経由し、加圧して送水する施設である。昭和40年(1965)からは「鎌倉市大仏坂体育館」として利用されたが、平成14年に閉鎖され、その際、窓がアルミサッシに交換されている。