京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 ちょっと“いっぷく”

2009年12月18日 | 日々の暮らしの中で
肌を刺すように冷たい朝。やがてそれでも冬の日差しが温かく差してくる。

ちょうど一年前の今日、関空でJessieと娘を出迎えたのだった。
住まいのあるブリスベンから一旦シドニーへ、そこで乗り継いで日本、という従来のコースではなく、ゴールドコーストから搭乗したために日本での到着時間が2時間余り早まった。午後七時二十分頃には関空で対面、九時には京都駅に着。京都タワーをバックにおどけた表情のJessieの姿が今も浮かぶ。あの明るい笑顔が恋しいことだ…。

今のクリスマスムード一色も、終わってみれば門松さえ立てられだし、確かに五日もすれば、除夜の鐘が鳴る。キリスト教から神道、仏教と、何もかもごっちゃに、違和感なく楽しめる不思議さにふと思いが行くが、時間続きで初詣。

この間に、二十一日東寺の終い弘法、二十五日の終い天神がある。
神仏共存…、べつにバチも当たりませんでしょう。行ってみたいのだ。

この十三日は、京の花街や休暇が迎春の準備に入る「事始め」だった。
【祇園の芸舞妓が芸事の師匠やお茶屋を訪れ、ひと足早く「おめでとうさんどす」と新年のあいさつをする。
稽古場には鏡餅がずらりと並び、「新年もおたのもうします」と手をついて頭を下げる。師匠は「きばってください」と芸への精進を期待したり、体調を気遣いながら一人一人に細やかに言葉をかけ、祝いの舞扇を手渡す。】
行事の様子を、華やいだ雰囲気の写真と共に新聞が伝えていた。
花街では、この日を境に年末まで、「お事多さんどす・おことおさんどす」とあいさつするという。

一般には、気重い大掃除、年末年始の準備といよいよ気ぜわしい師走。
…のはずだが、そのホンのはざまのような今、わたしは“ちょっといっぷく”。
あれこれしながら、思いながらも、心は一服。な~~んか良い時間なのを感じている。

寛永堂さんの「大納言 清澄」
「大納言小豆をやわらかく煮あげ、天日干しの寒天を加えて表面のみをうっすらと固め」たものです。ついもう一つと手が… とまりません。
う~~ん、この甘さ!大好きです。


コメント (4)
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