京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 めし代あるの?

2009年12月19日 | 日々の暮らしの中で
「お前、めし代あるの?」

駅改札口付近で、仲間待ちをしているらしい高校生の集団だった。
飯代がない(持ってこない)ってことがあるの?…。

「無常の世にも、大晦日だけは必ずやってくるのが世の定め」西鶴さんが言っている。商人なら、元旦から胸算用も油断なくして“一日千金”ともいう大晦日に備えよ、と。

大晦日は経済的な極限状態。
「銭金(ぜにかね)なくては越されざる冬と春との峠」。
この日を無事に越すために、借金持ちは何としてもどんな策をとっても切り抜けようとする。一方で、掛取り(借金取り)はそうはさせじ!とこれまた奥の手で迫る。金銭の支払いの様子や金策に走り回る町人の悲喜こもごもを見る…。

なのに一夜明けてしまえば、常世の松も色鮮やかに、輝く朝日が「豊かに静かに万民の上を照らし、人々は日本晴れの新春を楽しむ」、という具合。
頑張って生きようとか。笑いを交え、“哀れにもまたをかし”の『世間胸算用』。

教会の隣の店舗前。コンクリート上にシートを2枚敷いて、紙袋と枕とペットボトルと…、あのおじさんの居場所になってしまっている。
この年の瀬、現代版の「哀れにもまたをかし」の救いはあるのだろうか。

今日の高校生とは関係のないことだけれど、「めし代」は大問題だ。

ネットより拝借の挿絵。正月用に、大きなブリが手前に見える。左、手まねきしているのは話し中の借金取り、ということ。 

コメント (13)
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