〈 ・・研ぎ澄まされた文体は「翻訳できない」とも言われたようだ。先日亡くなった古井由吉さんである。・・ 〉
朝刊のコラムを読んでいて、訃報欄を見落としたのか、氏が2月18日に逝去されていたことに気づかされた。
昭和文学全集(23)に収められた作品や『雨の裾』などを読んだ程度だが、1年前に対談集『文学の淵を渡る』を読んでいた。「百年の短編小説を読む」と「文学の伝承」内の -文体上の渋滞- が興味深かった。帯には、二人の小説家が【何を読みどう書いてきたか】とある。お二人のその姿勢に目を見開かされ、教えられた…。
古井さんはヨーロッパでご自分の作品の朗読会を開き、日本語で読み、その傍からドイツ語に訳して読んでもらったそうです。
お客さんの反応は、日本語で読んでいるときのほうが耳を傾けていた。何かを聴き取ろうとしていた、と。(大江・おそらく文体を聞き取ってくれようとしてる…)声だけ聴いて文体の在りかがちょっと感じとれるのではないでしょうか。文体とは構造であると同時に、音律でもあるようです。
などとお話でした。そんなこともあるのかと思ったくらいです。

小説なのか随想なのか、とても入りずらい文章で、難解…、これが古井さんの作品の一貫したイメージでした。
「相続とは、死んだ人の人生をいただくのです。亡くなった人の物語、命、魂を受けて渡していくのです」
かつてお聞きした姜尚中氏の言葉に重ね、作品を読み返すことで新たにどんな思いが生じるか。『雨の裾』と対談集をもう一度、と思った。
朝刊のコラムを読んでいて、訃報欄を見落としたのか、氏が2月18日に逝去されていたことに気づかされた。

古井さんはヨーロッパでご自分の作品の朗読会を開き、日本語で読み、その傍からドイツ語に訳して読んでもらったそうです。
お客さんの反応は、日本語で読んでいるときのほうが耳を傾けていた。何かを聴き取ろうとしていた、と。(大江・おそらく文体を聞き取ってくれようとしてる…)声だけ聴いて文体の在りかがちょっと感じとれるのではないでしょうか。文体とは構造であると同時に、音律でもあるようです。
などとお話でした。そんなこともあるのかと思ったくらいです。

小説なのか随想なのか、とても入りずらい文章で、難解…、これが古井さんの作品の一貫したイメージでした。
「相続とは、死んだ人の人生をいただくのです。亡くなった人の物語、命、魂を受けて渡していくのです」
かつてお聞きした姜尚中氏の言葉に重ね、作品を読み返すことで新たにどんな思いが生じるか。『雨の裾』と対談集をもう一度、と思った。