京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「あるべきようは」

2020年09月16日 | 日々の暮らしの中で

明恵上人が入滅までの数十年余を過ごした栂尾の地にある高山寺。その石水院の壁には、赤松の枝に坐し瞑想する姿を描いた像が掛けられ、秋明菊が供えられていた。

「人は阿留辺幾夜宇和という七文字を持つべきなり」。明恵上人の遺訓として有名だが、〈人は、それぞれの立場や状況における理想の姿(あるべきよう)を常に自分自身に問いかけながら生きてゆくべきである〉と語釈されている。

昨日、孫のTylerが9歳の誕生日を迎えた。オーストラリアから日本に生活の場を移して4年4か月ほどになった。誰一人知る人のいない大阪の地を選んで、
それが何ら負担にもならず、交友関係を築いてきた。これには母親の努力が大きいと思うが、そうした母の姿を見れば、子供たちの心も外に向かって自由に羽を伸ばし遊び行くことだろうと想像する。
心優しい少年に育ち、毎日たくましく生きている。どんな未来を切り開くのか。この子の内に、まだ見ぬどんな輝きを有しているか。人は、「より多くの仕方で触発される可能性があればあるほど、いっそう多くの力を持つ」。いつだったか出会った言葉が思い出されてくる。

今、彼らには彼らの生活のペースができている。私たちは平素は遠くから気にかけながらも見守り、求めがあれば(待ってましたとばかりに?)手を貸すという関わり方が続くのだろう。時には進んでオテツダイがあってもいいだろうか。

     (昨年暮れの弟の誕生日で)
「家族って温かいものなんだよ」、こんな言葉を口にした子だ。9歳、子供! と侮るなかれ、かな。

子供への思いを綴った過去のブログを開いてくださった方、目を通していただけて果報に存じます。
コメント (4)
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