京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

疫病退散を願う護符

2020年09月23日 | こんなところ訪ねて
室町中期に九条兼良が著したとされる「公事(くじ)根源」には宮中の一年間の行事や儀式(公事)の由来や移り変わり(根源)が説明されていて、そのうちの6月の祇園御霊会(祇園祭)に関する中に、「蘇民将来」と書いて貼る護符の由来になった話が記されている。…という。茅野輪くぐり関連で蘇民の名を聞いたことはあるだろうか。今の流行り病に際して、「蘇民将来」と記してウイルス退散を願うお札やお守りが話題になったらしいが、今まで知らなかった妖怪アマビエの話もずいぶんと耳に入ってきた。



かつて参拝したときに写真に残した記憶をたどったが辿り着けず、では今一度と19日に紫式部邸宅跡とされる蘆山寺を訪ねた。京都御苑の東、寺町通沿いにある。式部は祖父・兼輔が100年ほど前に建てた旧い家で一生の大部分を過ごし、ここで源氏物語執筆にもあたったことになる。ここから内裏に出勤(?)などと空想も広がる。白砂の源氏庭に咲く桔梗も清楚な趣だったが、本堂脇入り口の柱の上部に貼ってある護符を拝見するのが目的だった。


異様な鬼の護符。「元三大師」の話が、『街道をゆく16 叡山の諸道』(司馬遼太郎)に収められている。
名は良源。正式には滋恵大師で、正月三日に亡くなったことから遺された弟子たちによって〈元三〉と呼ばれるようになった。晩年、大きな鏡の前で禅定に入っているうちに、鏡に映っている元三大師の姿が骨ばかりの鬼になった。絵心のある弟子が素早く写し取り、あとで大師に見せたところ、「これを版木に刻んで刷れ」といったのが、古くから疫病除けの護符とされる〈角大師〉だそうな。奇妙な鬼の頭に昆虫の触角のような角がついていることから「角大師」の名がつけられた。

大師という称号は、真言宗の空海(弘法大師)、天台宗の最澄(伝教大師)がよく知られている。大師には真言宗に史上7人、天台宗には6人いるが、高野山で単に大師と言えば空海一人を指す絶対的個人崇拝が宗風であるが、叡山での〈厄除け大師 おみくじ大師〉などとご利益の対象として拝まれる元三大師のような存在は珍しい、と。太子堂で手を合わせ、道路を挟んだ向かいの梨木神社の萩を覗きに寄った。

21日に娘宅で一日留守を預かることになったが、兄のほうは連日ラグビーの練習やサッカーの試合で不在。3歳の孫と二人での留守番になった。すること言うこと、会うたびに成長が感じられていとおしいものだ。不安だし、とても行楽地に連れて行く気がしないという娘。だが孫たちには近所のお連れがたくさんいて遊び相手に困ることはない。

多くの人の移動があったこの連休。疫病除けという現世御利益を授かりたいもの…、とすがってみようか。
コメント (2)
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