京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

九月九日重陽の節句

2020年09月09日 | 日々の暮らしの中で

九月九日、中国では近くの小高いところに登って酒を飲み、小さな赤い実がなる茱萸(しゅゆ)を髪に挿して、その匂いの強さで邪気を払う習慣があった。「九」という陽の数字が重なるので「重陽」の節句と呼ばれる。

ただ一人他郷に旅の身となった王維が、重陽の節句の日、故郷の兄弟たちの様子を瞼に浮かべ、その場に自分だけがいないことを思う詩がある(「九月九日山中ノ兄弟ヲ憶フ」)。
高校時代に習ったもので、赤線や書き込みがいっぱいの当時のテキストが手元にある。漢文の基礎を確認するにはとても使いやすかった。
漢文は古文ととともに古典乙に取り入れられていて必修だったし、大好きな教科だった。古典の教科担任との出会いが私の将来の道を決めた。そんな若い頃を手繰り寄せる一冊であり、紙も柔らかく、すっかり手に馴染んで、ページもばらけるので補修を重ねつつ、換言すれば、ぼろくなったということだけれど、手放せず大事にしている。
今年もこの王維の詩を通して、こうして懐かしむひと時ができた。その師はもういないのだけれど。

15日には孫のTylerが9歳の誕生日を迎える。あのキムズカシヤさんのプレゼントを何にしようか。最近歴史に興味があるみたいだと聞いて、丸善へ。また、ラグビー少年にふさわしいマンガがないかとネットでも探してみたが、見当たらない。
サッカー少年だった息子が高校3年の最後となる試合の直前まで『オフサイド』を座右に置いていたのを憶えている。試合の前夜に目を通していたのか、机の上に残されていた。そんな作品があればなあと思ったのだった。
感動は人間のこころを刺激し、さまざまな力を養う。折々にどんなご縁をいただくか、孫もだけど私も楽しみ楽しみ。                    
         (写真は三条大橋の西詰めにある弥次さん北さんの像。旅の安全を祈願)
コメント
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