京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

嵯峨嵐山の地の果てで

2023年09月02日 | 講座・講演
中古文学会関西部会の例会でピーター・J・マクミラン氏が「心ときめく古典の世界 - 外国人から見た日本古典文学」と題して講演され、会員以外に一般にも公開されると知り参加させていただいた。一度お姿拝見、お話を拝聴したい思いをかなえる機会を得た。


地元紙の月曜日には、氏による「不思議の国の和歌ワンダーランド 英語で読む百人一首」が連載されている。楽しみに拝読後は、とにかくこうして切り抜いて保存…。

わたしには5行分けの英訳より、そこに至る過程も含めて鑑賞の解説などが大変に興味深いのだった。時に辞書を引いて、和歌の英訳はただ“読む”(素通りも多くなってきていた)のだが、今日、氏は和歌の原文と英訳のものとを吟じて下さった。


英語が押韻、韻を踏んでいるのか!? 一行一行の音韻が、英語であるのにだ、余韻となって響き、鐘の音を聴いているようだった。
ただ読むのとはわけが違った。こうして詠うのか!と目が覚めた。

芭蕉の句には、例えば『伊勢物語』を下地にした句がある。「腕の見せどころ」と口にされた。
思えば『源氏物語』も『枕草子』も、『徒然草』だって、古今東西の言葉を引用している。
たくさんの本を読んで、「いい言葉を見つけ、それを引用していくのが随筆の根本にある」と川本三郎氏が言われることが、もっともだとうなづける。引用によって文章を作るのだ。

日本の古典文学を現代社会にどう生かすか。
発展途上国の留学生たちが日本の文学を学んだことで自国の文学に思いがいくようになった。それを世界に発信することで関心を持ってもらい、ひいては自国に招き寄せる。
ジャイカで講師を勤めるなか、彼らの発想は大きな喜びになったという。

西欧における美は普遍的なのに対して、日本の美は、いうなら“無常”だろう、他国には類を見ない様相の中に美を見いだすところに驚きを覚えられたと。アイルランドから日本に来られて30年。和歌こそ日本文学の原点と、自分の生きる道を見つけたと話された。
それは若い院生たちへのエールともなっていた。

これからのビジョンなどお聞きしながら、現代社会にどうなどとは今の自分に縁遠くはあるが、学生時代に「中古文学」にのめり込んだ自分が思い出されるし、それが私の文学への嗜好の端緒であり、今もって枯れずに脈々と流れ続けている。若かった自分を懐かしみ、とても楽しい時間を過ごした。



あのとき…。
もし卒業後すぐに社会に出ず大学院に進んでいたら、何か変わっていただろうか。しかし、思い描きようもないこと。
あの時別れた自分があって、今の自分がいる。ただ、いくつもの自分と別れてきている。
今日はそんな自分の一人と出会えたことになるのかもしれない。



コメント (4)
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