あえて混み合う人中にも出たくはないし、ということで京都府庁旧本館を覗いてみた。
そのお目当ては、「容保桜」(下の写真右)だ。
1862年に京都の治安維持のために設けられた幕府の要職・京都守護職だが、その上屋敷は広大な面積で造られた。そして、その跡地を京都府庁が引き継いでいる。
旧本館は明治37年(1904)に竣工、創建時の姿を留める日本最古の官公庁建物として2004年、国の重要文化財に指定された。
ここをくぐって 中庭へ入ると
その中庭に、6本の桜の木がある。
円山公園内の初代シダレザクラの「孫」に当たる
そのうちの1本が、桜守の佐野藤右衛門氏によって大島桜と山桜の特徴を併せ持つ木だとわかった。そして氏は、この地が京都守護職上屋敷の跡地であることから、守護職だった会津藩主・松平容保公の名にちなんで「容保桜(かたもりざくら)」と命名したというわけだ。
ただ、実際は樹齢が80年前後なのに、容保公が新撰組の後ろ盾となって京の治安維持に当たったのはおよそ150年前のことだ。
昨年は龍馬に光が当たった。一方に「将軍家を守護すべき存在」と家訓に従い、幕府と運命を共にした佐幕派もあった…。
館内二階から窓ガラス越しに
様々な歴史をのみ込んできた地、150年前には同じ敷地を歩く会津藩主がいたことなどを思ってみた。白いひとえの花が可憐に咲くという山桜だが、少し大きめだろうか。それでも美しい花を咲かせている。
そのお目当ては、「容保桜」(下の写真右)だ。
1862年に京都の治安維持のために設けられた幕府の要職・京都守護職だが、その上屋敷は広大な面積で造られた。そして、その跡地を京都府庁が引き継いでいる。
旧本館は明治37年(1904)に竣工、創建時の姿を留める日本最古の官公庁建物として2004年、国の重要文化財に指定された。
ここをくぐって 中庭へ入ると
その中庭に、6本の桜の木がある。
円山公園内の初代シダレザクラの「孫」に当たる
そのうちの1本が、桜守の佐野藤右衛門氏によって大島桜と山桜の特徴を併せ持つ木だとわかった。そして氏は、この地が京都守護職上屋敷の跡地であることから、守護職だった会津藩主・松平容保公の名にちなんで「容保桜(かたもりざくら)」と命名したというわけだ。
ただ、実際は樹齢が80年前後なのに、容保公が新撰組の後ろ盾となって京の治安維持に当たったのはおよそ150年前のことだ。
昨年は龍馬に光が当たった。一方に「将軍家を守護すべき存在」と家訓に従い、幕府と運命を共にした佐幕派もあった…。
館内二階から窓ガラス越しに
様々な歴史をのみ込んできた地、150年前には同じ敷地を歩く会津藩主がいたことなどを思ってみた。白いひとえの花が可憐に咲くという山桜だが、少し大きめだろうか。それでも美しい花を咲かせている。
そんな桜の花や樹に、色んな物語や歴史、思い出が込められるようですね。
まさに昨年は龍馬一色でした。
志半ばで葬られた龍馬桜というのはないのでしょうか。
京都でさくらと言えば、桜守の佐野藤右衛門氏抜きでは語られませんね。
keiさんはそんな中を歩かれたんですね。暖かさが伝わってくるようでした。
こちらはまだまだ堅い蕾です。家の周りには雪も消えずに1mほど積もっています。
まめな人がいる家では早く消えるようにと、雪をシャベルで崩すんですが、我が家は自然に消えるまで気長に待つ方です。
「容保ざくら」ですか。容保公を哀れんで命名したんでしょうか。
その後に会津藩におきた悲劇、たった150年前のことなんですね。
たくさんの人が偲んでくださるのは嬉しいですね。
ルネサンス様式の建物に囲まれてた小さな中庭、
2階に上がってぐるっと、回廊からの眺めともあわせ美しかったこと!
桃源郷です。 桜源郷とは言わないですね。
龍馬桜もあればいいのにですね。
桜に囲まれて、あるいは眼下に花見を楽しんでいるのではないでしょうか。
円山公園にも二人の像があります。ここでも~。
本当に春が、桜の開花も待たれますね。
句末の歴史の舞台、容保公の屋敷があったこともあり悲運の藩主としてその名を残して偲べるのもいいですね。
晩年には日光東照宮の宮司になられたことを知りました。
福島にも早く日常がと思わずにはいられません。
いつか、こちらでも新聞で紹介されました。
晩年のやすらぎを優しく偲ぶように、今美しく咲いているのですね。
「王城の護衛者」として過酷な会津の歴史の1ページを生きた容保、いつも、その苦悩と葛藤を思います。
”幾人の涙はいしにそそぐとも・・・”
今年はぜひ、と思っていました。
ひとえで少しおおぶりで美しい花です。
良くぞ名付けてくれましたね。
時の会津藩の置かれた立場、以後の変遷といろいろあっても
この容保桜で凛としたお姿を藩主・容保公に重ねて見ることができそうです。