先日、本法寺で等伯の涅槃図を拝見した折、ガイド氏が面白かったと言われた小説があった。
題名が少し違っていたが、正しくは『闇の絵巻』(澤田ふじ子)だろうと判断し、読んでみたいと思って取り寄せた。
上巻は山梨県から、下巻は茨木県からやって来た。ようこそようこそ。ようおいで。
ちょっとのあいだ(ですむならいいけど)、積まれて待っていてほしい。
読んでみたいと思うと買ってしまう。すぐ読めばいいのに読めなくて、積ん読。そうした本がたまってしまってずいぶんな数になった。
今度はこれを読もうと目に付くところに置くけれど、ひょいと新たに手に入れた本が割り込む。と、予定の本は元の場所へと後退せざるを得なくなる。
それでもちゃんと読もうという意識はあって、そばにあることは嬉しく楽しいのだ。
画家として装幀家としてなど幅広い活躍をされてきた司修さん。
司は小学校3年のときに敗戦を迎え、中学を卒業して働かなければならなくなり、荒れていた時代があったそうだ。
絵描きだけでは生活できなかった二十代半ば。彼は桃源社という出版社で、駅売りの新書版小説の表紙絵を描く仕事にありつく。毎月小説の内容にかまわず、数枚の絵を描いて持っていくと、会計係から原稿料の小切手を渡された。
会計係の「おばさん」は小切手とともに桃源社の新刊本を司にくれた。ここでの稿料が生活の支えだったので、とても嬉しかった。
会計係の「おばさん」は、新刊本をくれるときに「ひとこと、本のことに触れて喋った」
「『ユリイカ』という雑誌、読んだことある?」
「いいえ」
「古本屋で見つけて読んでごらんなさい。きっと好きになる人がいますよ」
「そうですか」
「稲垣足穂は?」
「知りません」
「きっと好きになりますよ」
司は稲垣足穂を好きになり、後に大江健三郎をはじめ、現代日本文学の最先端の作家の作品を想定していくことになる。
こんな話を岡崎武志氏の『読書の腕前』で読んだ。
氏は言われる。
「本を読む喜びは、いつだってこうして、目立たない場所で、ひそかに伝えられる。読書の薦めは、もともと岩から沁み出した泉のような行為なのだ」
若い絵描きの青年に、「おばさん」が文学を伝道する。
魔術のようなささやき、「きっと好きになりますよ」。
私にも導師は意外なところにいた。
雨の花が咲いた日。
題名が少し違っていたが、正しくは『闇の絵巻』(澤田ふじ子)だろうと判断し、読んでみたいと思って取り寄せた。
上巻は山梨県から、下巻は茨木県からやって来た。ようこそようこそ。ようおいで。
ちょっとのあいだ(ですむならいいけど)、積まれて待っていてほしい。
読んでみたいと思うと買ってしまう。すぐ読めばいいのに読めなくて、積ん読。そうした本がたまってしまってずいぶんな数になった。
今度はこれを読もうと目に付くところに置くけれど、ひょいと新たに手に入れた本が割り込む。と、予定の本は元の場所へと後退せざるを得なくなる。
それでもちゃんと読もうという意識はあって、そばにあることは嬉しく楽しいのだ。
画家として装幀家としてなど幅広い活躍をされてきた司修さん。
司は小学校3年のときに敗戦を迎え、中学を卒業して働かなければならなくなり、荒れていた時代があったそうだ。
絵描きだけでは生活できなかった二十代半ば。彼は桃源社という出版社で、駅売りの新書版小説の表紙絵を描く仕事にありつく。毎月小説の内容にかまわず、数枚の絵を描いて持っていくと、会計係から原稿料の小切手を渡された。
会計係の「おばさん」は小切手とともに桃源社の新刊本を司にくれた。ここでの稿料が生活の支えだったので、とても嬉しかった。
会計係の「おばさん」は、新刊本をくれるときに「ひとこと、本のことに触れて喋った」
「『ユリイカ』という雑誌、読んだことある?」
「いいえ」
「古本屋で見つけて読んでごらんなさい。きっと好きになる人がいますよ」
「そうですか」
「稲垣足穂は?」
「知りません」
「きっと好きになりますよ」
司は稲垣足穂を好きになり、後に大江健三郎をはじめ、現代日本文学の最先端の作家の作品を想定していくことになる。
こんな話を岡崎武志氏の『読書の腕前』で読んだ。
氏は言われる。
「本を読む喜びは、いつだってこうして、目立たない場所で、ひそかに伝えられる。読書の薦めは、もともと岩から沁み出した泉のような行為なのだ」
若い絵描きの青年に、「おばさん」が文学を伝道する。
魔術のようなささやき、「きっと好きになりますよ」。
私にも導師は意外なところにいた。
雨の花が咲いた日。
文章の滑らかさ。
見事です♪
せいでしょう。
若い人のこれからという胸の内に、ぽっとした灯りを点せたらすてきですねえ。
「積ん読崩し」に楽しみます~。
コメント、ありがとうございます。
積ん読に座ってるかえるさんの可愛いこと(^^♪
>そばにあることは嬉しく楽しいのだ
その気持ちすごくわかります。
私も今何冊か積んでいます。
1冊だけ完読してないんです。
私の伝道師はきっとkeiさまかなって思っています。
東山にある永観堂前の小さな店に売っているのです、
かわいいでしょう(笑)
いろいろあって、孫娘も3つ買って帰りました。
ブログを通じても興味を惹かれる本と出会うことありますよね。
読んでみようかと思ったのですが、積ん読もあるしと控えました。
そしたら、この「読書の腕前」に、
「大体、本を買ったらすぐ読まないと損だ、というような今生は棄てなければいけない」というのです。
いえー、損だとは思わないのですけどね…。
「買っておくと不思議なもので、やがて読むようになるもので、身辺に置かれるのは
心に新しい刺激が加えられるということ…」ってあるではありませんか~~。
ほな、読みたいと思うものは買っておこうか?? ですが、そうむやみには。
ただ、積ん読はなにやら楽しく気分もいいですよね(笑)
こんなふうにささやいて、誰かの何かのきっかけになれるとしたら嬉しいですね。
光文社文庫上下で昔読みました。
おっしゃるように「積読」もいいと思います。
未読の本があると心豊かになりますから。
司修さんは知りませんが、画家も作家も皆さん
苦労なさって世に出られるのですね。
苦労は経済的苦労ばかりでなく、作品つくりの苦労もあります。
乙川優三郎再読中ですが、次は「闇の絵巻」に決めました
ありがとうございました。
「すぐ読めばいいのに読めなくて」といった思いは捨てることができそうです。
そうですね、苦労無くして…。
その過程には、人とのつながりで後々語られるエピソードも多々あるようですね。
私は津村節子さんの『絹扇』を読み始めたところなので、そのあとになりそうです。