京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

そんなもんあるかいな

2024年02月10日 | 日々の暮らしの中で
寺子屋エッセイサロン、老若男女の文章仲間が集いました。
三連休ですので、顔だけでも見せてくれた若い子たちの参加は嬉しいことです。
車で送ってもらったという中学生が、川柳だと言って披露していました。

〈おばあちゃん何になりたい孫が聞く〉

「そんなもんあるかいな」
思わず一座は笑いました。

まさに「そんなもんあるかいな」。
私も聞くたびに、この一瞬の間をはさんでクスッとしています。
これ、ラジオから聞こえてくるCM京都銀行川柳劇場の1句なのです。一度聞いたら忘れない。
開始前、膝を寄せあい、お茶をいただきながらのくつろいだひとときも、活気があります。

冬の朝、水と柄杓を入れたままのバケツがそっくり凍っていたのを発見し、句にした小学生がいました。ジュニア俳句の先生は、
「冬の大発見。自然の魔術です」
「驚いた声で音読するといいですよ。俳句は声の文学でもあるのです」と言われてました
ー という話題にも発展。 私も地元紙で読んでいました。
俳句は声の文学でしたか。
(新聞はよく読んでおこう)と思ったのでした。


先日通りかかった畑では、3畝ある真ん中一列にずらっとネギが栽培されていた(写真はネットより拝借)。出荷してるのだろうと思うほどの一畝。
夕飯の支度をしながら、思い出したのは書家の榊莫山さんの「ネギは畑の哲学者やと思う」という言葉だった。

「真っすぐ天に向かってんのよな。周囲の野菜は花を咲かせたり、横に葉を広げたりするかもしれんけどな。わしは知らんと。無駄がない。こういうふううに生きられたらええよなあ」

ネギの句…、〈ねぎ白く洗ひたてたる寒さかな〉ぐらいしか出てきませんなあ…。
どんな調子で音読したらいいのやら。



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (なおとも)
2024-02-10 23:18:30
こんばんは!

芭蕉のこの句、葱を見ると頭に浮かぶ事があります。以前、葱を題材にした俳句を調べた事があるのですが、予想以上に沢山ある事に驚きました。

榊莫山さんの「書のこころー伝統と創造ー」を若い時頂いて愛読しました。書棚に大切にしていますので、明日久しぶりに読んで見ようと思います。 なおとも
返信する
寺子屋エッセイサロン (サッ チー)
2024-02-11 09:42:18
kei様、素敵な寺子屋を続けていらっしゃるのですね。素晴らしい!!
色々な意味で寺子屋・・京都の街にピッタリですね。
老若男女と集い、色々な意見を聞く事は、自分にも
素敵なプレゼントが贈り返されてきますね。
気持ちがいつも新鮮になって、多くの意見と知識が
舞いこんできます。
 kei様の頑張りを讃えて、背中を押しています。
返信する
芭蕉、蕪村にも  なおともさん (kei)
2024-02-11 11:58:38
こんにちは。

「羅城門過ぎて南へ葱畑」は坪内稔典氏でした。
南へ。九条へはネギ畑が広がるのですね。
関西人が好むという京都産の九条ネギの畑でしょう。
何か調べるきっかけがあったのでしょうね(笑) たくさんあるのですね。

私の手元には『莫山夢幻』があります。
「寒いといっても、木の芽はもうふくらんでいるぞ。わたしはポケットに“夢”を入れて今日も画室へ、野へ。」
帯にあります。何になりたい?と聞かれれば、うーん、と返答に困りますが、
夢、…なことしたい、…たい、たいなら幾つか挙げられそうです。
返信する
いただきもの多く サッチーさん (kei)
2024-02-11 12:19:12
こんにちは。
ありがとうございます(笑)
「寺子屋…」は勝手な命名ですが、はい、ピッタリです。
提出作品の内容が、まだまだ若い方を交えたとき難しさを感じることがよくあります。
自分とは異なる考えや価値観のようなものに触れるとき、得るものは大きいのでしょうか。
価値感を合わす必要はないものの、よく聞ける、よく読める? 
難しいけど求められますよね。
楽しくマイペースでやっていきます。
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