雨の降る昨日午後。パソコンに向かっていた時、右耳でカサコソと音がした。「あっ、これは!」
即座に目をつむり、手のひらで目を軽く覆って下を向き、頭の中がくるくる回るような時間を耐えた。どこか異空間に連れ去られそう、というか放り出されそうな不快な感覚の中で、自分を引き留めるのに必死という時間だった。
一分あったかどうかくらいだと思うが、吐き気がしないといいなと考えた瞬間を覚えている。
これまで生きてきて、過去に4回ほどあっただろうか。今回はむかつきが生じて数時間横にならざるを得なかったが、どうにか回復。
一夜が明けたが少し後を引いていて本調子ではなく、静かに家で過ごすことにした。
老いが病が、私に生を問いかけている? うーん…。
うーん、「迷いのこの世」。
(辰巳明子さんの絵)
2 / 16日に出した絵葉書3枚、今日着いたと連絡がきた。
人として生まれた限り「老病死」は避けられません。
そのことを「世の非常」という言葉で教えていただくのですが、老病死を知っていることと、
わが身の課題となることとは違うのですね。
他人事ではなく、私の身の事実として、わが身の課題となったとき初めて、
その身をどう生きるかを問い尋ねていく歩みが始まるのだ、と教えてくださっています。
普段何気なく出会っている言葉に心が向きますが、私はなかなか身の内で処理できないままです。
繰り返し繰り返しの咀嚼が続きます。おかげさまでこうして今も…。
ほんまに迷いのこの世ですね。
日々こうした老病死と向き合うような現場でお仕事されて、深い思いをお持ちでいらっしゃいますね。
回復なさったようですが、侮らないでください。
過去にもご経験なさったとか、
何かの警告ではないでしょうか?
私の齢になりますと、持病のせいもあって
次々と不便不都合がでてきます。
「生老病死」の4文字が頭をよぎります。
今日1日過ごせたことに感謝しています。
お孫さんたちの嬉しそうなお顔が見えるようです。
静かに座って何かをしているときの突然の出来事です。
めったにないので過ぎてしまえば忘れています。
健康に感謝しつつの日々ですが、こんなことがあるせいで、ふと思いがこうしたところに飛びます。
老病死に流されることなく、いただいた命を精一杯生きていきたいものですね。
…と気づかされては意識して暮らせている気がします。
お寿司食べに行きたいって口々に。
期待させて、楽しみます。