佐伯一麦さんの『月を見あげて』第三集に、「休日はバスに乗って」が収められている。
街中へはほとんどバスを利用し、長距離バスでの移動も多いというバス好きのご様子だ。
好みの座席も書いている。
9月20日は「バスの日」だったが、その日の地元紙コラムで故宮脇俊三さんのバス旅行記『ローカルバスの終点へ』があるのを知った。
車では数えきれないほど走っている道でも、目線の高さが変わるだけでちょっとした新鮮味を味わえる。今日はわずかな移動でしかないが、市バスに乗って一乗寺下がり松で降り、圓光寺へと歩いた。
緩やかな上りが続く。詩仙堂の門前の賑わいを目にしながら手前で横道へと曲がる。
圓光寺さんは2度目になるが、市街が望めたことを思い出すくらいで、この前がいつのことだったかの記憶もない。萩の上にまあるい月が出ている写真を見て、見ごろだろうかと訪れたのだったが…。
臨済宗南禅寺派。【慶長6(1601)年、徳川家康が国内教学の発展を図るため、下野足利学校第9代学頭を招き、伏見に圓光寺を建立し学校とした。僧俗を問わず入学を許可。その後、相国寺山内に移り、さらに1667年に現在の地に移転した】ことが記されている。
うすい赤紫に色づいたフジバカマの花の蕾。ホトトギスの小さな花。「十牛図」を題材にした庭園だと言うが、よくわからない。
裏山に村山たか女の墓がある。近くの金福寺で彼女のことを知れるが、墓に参ったのは初めてだった。
訪れる人はそれなりに絶えない。脱俗的な?静けさの中、風が心地よい。にわかに思い立った、休日の小さなバスでの楽しみごと。
…だったはずが、帰途に恵文社まで歩いたのが余計だった。バス停まで難儀したこと!
街中へはほとんどバスを利用し、長距離バスでの移動も多いというバス好きのご様子だ。
好みの座席も書いている。
9月20日は「バスの日」だったが、その日の地元紙コラムで故宮脇俊三さんのバス旅行記『ローカルバスの終点へ』があるのを知った。
車では数えきれないほど走っている道でも、目線の高さが変わるだけでちょっとした新鮮味を味わえる。今日はわずかな移動でしかないが、市バスに乗って一乗寺下がり松で降り、圓光寺へと歩いた。
緩やかな上りが続く。詩仙堂の門前の賑わいを目にしながら手前で横道へと曲がる。
圓光寺さんは2度目になるが、市街が望めたことを思い出すくらいで、この前がいつのことだったかの記憶もない。萩の上にまあるい月が出ている写真を見て、見ごろだろうかと訪れたのだったが…。
臨済宗南禅寺派。【慶長6(1601)年、徳川家康が国内教学の発展を図るため、下野足利学校第9代学頭を招き、伏見に圓光寺を建立し学校とした。僧俗を問わず入学を許可。その後、相国寺山内に移り、さらに1667年に現在の地に移転した】ことが記されている。
うすい赤紫に色づいたフジバカマの花の蕾。ホトトギスの小さな花。「十牛図」を題材にした庭園だと言うが、よくわからない。
裏山に村山たか女の墓がある。近くの金福寺で彼女のことを知れるが、墓に参ったのは初めてだった。
訪れる人はそれなりに絶えない。脱俗的な?静けさの中、風が心地よい。にわかに思い立った、休日の小さなバスでの楽しみごと。
…だったはずが、帰途に恵文社まで歩いたのが余計だった。バス停まで難儀したこと!
松と碑が残って整備されています。
澤田ふじ子さんの作品は沢山お読みでしたよね。
ずいぶん昔ですが、NHK大河ドラマで「花の生涯」がありましたね。
父が見ていたのを思いだします。
紅葉も美しいことだろうと想像します。
家康の歯を納めた墓?があると示されていましたが行きませんでした。
圓光寺さんのお庭、少し個性的ですね。
私は一条寺下がり松にすぐ反応しました。
宮本武蔵と吉岡一門の決闘の場所ですね
澤田ふじ子さんの小説で(黒染の剣)
二度読みました。とても印象に残っています
これで名門吉岡家は滅びました。
村山たか女>昔小説で読みました。
本の名前は忘れました
私のは小説ばかりでごめんなさい!