「 サイタ
サイタ
サクラガ
サイタ
何という貧しい日本語から、私たちの国語教育ははじまったことだろう。
昭和12年(1937)4月、小学校に入学したとき国語教科書の第1ページには、目に突きささる片仮名で「サイタ サイタ サクラガ サイタ」と記してあった。大声でこれを斉唱し、校庭に出ると、塀沿いにずらりと白っぽい桜の花がサイテヰタ。」
と杉本秀太郎氏が書いている(『花ごよみ』)。
そう、なぜひらがなで書かれなかったのかと思うことだった。
片仮名は鋭角的で「目に突きささる」。ひらがなはまろみがあってやさしい。感触、肌触りはまったく異なる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/bb/261b69866cc9f292de6399923577c95d.jpg)
漢字の用い方、外来語のはめ方、会話のニュアンス、文体の好み、字面のセンスは養ってあるべき。強い好みが自分のうちにできていること。漢字は遣い方でとても汚く感じられたり、下卑て見えたりする。
などと田辺聖子さんは言われる。そして「自分の情熱と、自分だけの人生の感懐をたいせつに」することが、作品の核となる力だとも教えられてきた。
ちょうど読んでいる『この地上において私たちを満足させるもの』(乙川勇三郎)では、編集者が作家の文体づくりにどのような助言するのか、幾つも示されていて興味深い。
一つ挙げてみるなら
「リズムがないし、音読みの言葉が多すぎる、やさしい訓読みの表現に直してみたら」
この指摘だろうか。
今年度も若い文章仲間の力に刺激を受けて、心にあたためてあることなどゆるゆると綴っていくことになりそうだわ。
サイタ
サクラガ
サイタ
何という貧しい日本語から、私たちの国語教育ははじまったことだろう。
昭和12年(1937)4月、小学校に入学したとき国語教科書の第1ページには、目に突きささる片仮名で「サイタ サイタ サクラガ サイタ」と記してあった。大声でこれを斉唱し、校庭に出ると、塀沿いにずらりと白っぽい桜の花がサイテヰタ。」
と杉本秀太郎氏が書いている(『花ごよみ』)。
そう、なぜひらがなで書かれなかったのかと思うことだった。
片仮名は鋭角的で「目に突きささる」。ひらがなはまろみがあってやさしい。感触、肌触りはまったく異なる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/bb/261b69866cc9f292de6399923577c95d.jpg)
漢字の用い方、外来語のはめ方、会話のニュアンス、文体の好み、字面のセンスは養ってあるべき。強い好みが自分のうちにできていること。漢字は遣い方でとても汚く感じられたり、下卑て見えたりする。
などと田辺聖子さんは言われる。そして「自分の情熱と、自分だけの人生の感懐をたいせつに」することが、作品の核となる力だとも教えられてきた。
ちょうど読んでいる『この地上において私たちを満足させるもの』(乙川勇三郎)では、編集者が作家の文体づくりにどのような助言するのか、幾つも示されていて興味深い。
一つ挙げてみるなら
「リズムがないし、音読みの言葉が多すぎる、やさしい訓読みの表現に直してみたら」
この指摘だろうか。
今年度も若い文章仲間の力に刺激を受けて、心にあたためてあることなどゆるゆると綴っていくことになりそうだわ。
何かとお気づきでしょうね。
さらにお仲間に刺激され、勉強なさっておられるなんて。
私も勉強させていただいています
昔、日本語教室に関わっていて(残留孤児、留学生)
日本語のむつかしさを知りました
専門的に勉強した日本語教師有資格者は一人だけでした。
今考えますと、私もとても勉強になりました。
教師の資格もなく、読書好きなだけで
参加していました。
そのうちの何人かは今も交流しています。
入学してくる子を迎えられていたら、などと。
時代でしょうか。
日本語って本当に豊かな言語ですよね。
その豊かさが、学ぶ者には難しさになるのでしょうね。
Reiさんと日本語教室、お聞きしたことがあったような記憶があります。
本当にいろいろな経験を積まれてらっしゃいますね。
そういえばと、親の都合で来日し日本語を理解しない子供たちと過ごしたこと思い出しました。
留学生でもないし、ほとんどの子は日本語を覚えようとはしませんでしたから
学校は苦痛だったはずです。
中には若い女性たちで日本語検定の勉強をする人もいました。
日本人なのに読んだり教わったりで意識しましてもなかなか…。
我が母語ですからね、年齢に関係なく学んでいきたいと思うのです。
藤原正彦さんが「…造語で言語を豊かにし、片っ端から駆使する、日本語は天下一品の天晴です!!」なんて言われてました。