さわやかな初夏の陽気に恵まれた18・19の両日、念願だった熊野古道(紀伊路・中辺路)を語り部と歩くウオーキングツアーは無事に熊野本宮大社へと達し、終了した。同時に、那智大社と青岸渡寺、那智の滝、熊野速玉大社と合わせて参拝、「熊野三山」への参拝がかなうことになった。
【上・左はわらじ峠への上り。右は女坂の一部だが、実際は段差の大きい、急な石段をひたすら下った。全行程通して初めて膝に痛みが生じた。まだ早い時間帯だったにもかかわらず、左足を着地させる際、この先が不安になるほどの辛い痛みだった。下・岩上王子への男坂は通行止めのままで別ルートに。明るく豊かな緑を目にしながら先の見えない上りが続いたが、膝の痛みもなく、とにかく一歩を刻み続けるだけだった】
和歌山県ははるかに遠い。交通の便も良いとは言えないし時間もかかる。行ってみたいと思いながらも、はるかに南、その先は海という地の果てまでは面倒だった。絶好の機会と意を決したが、初回は土砂降りの雨の中、2回目には藤白・拝ノ峠という難所が待ちうけていた。おっ、雨で懲りたかと思ったけれど? この険しい山道にはギブアップするではないのか? そこかしこに宿る神は私を試したのか。な~んの、「挑戦」というよりも、1回ごとを楽しんで積み重ねることができた。行き交うたくさんの出会いに心を寄せて、語り部さんの案内を得て知り得たことは多い。
【上・左から、再びの下り坂を経て 中・湯川王子。 右・この先はこの日三つ目の急な上り坂となり、最もきつく感じた。言葉もなく黙々と三越峠の関所跡まで。ミンミン蝉が鳴いていた。きれいな杉の人工林は、根を張らずに地盤をもろくさせていると語り部さん。樹齢40年の“中途半端”な杉1本は300円にしかならないそうだ。間伐しても、腐るのを待つだけと。崩落現場の間を通ったが、恐ろしさを実感した。山中、かつての熊野銀座街だったか、人家の礎石が多く残っていたし、一升瓶が縁に置かれたまま朽ちつつある廃屋もあった。古い石の流し場、甕、浴槽、覗けば二層式の洗濯機もあると。きれいな田んぼがあった所もすべて杉が植樹されている。右・音無川沿いに下って猪鼻王子へ】
【発心門王子の鳥居をくぐって、いよいよ聖域に入った。勝浦温泉までバスで移動、夜は4人の相部屋を楽しんだ。早くから横になりおしゃべりしているうちに眠ってしまったみたい…。ひどい筋肉痛!】
静かに、ただ照り返る海の輝きに目を見張った紀伊路は、陶酔の感ありだった。「緑の海」新緑の美しさ、5月の熊野を2度も味わった。濃くて深い緑が幾重にも連なる山並みは、情にさえ訴えかけてくる。息を切らし上りつめていく自分との戦いだったが、座り込んでいつまでも見ていたい眺望が待ち受けていた。黙々と声もなく歩く時、木の葉擦れの音はやさしい風を運んでくれた。
【19日、朝から温泉に入ろうと、かけておいた目ざましの時刻を上回る早起きになった。最後の一日に限りなく力を与えてくれるかのような日の出を、部屋のベランダから見つめていた。 上、左・朝一番に大門坂はこたえた。どこまで行っても段々道、石段続きだ。中・那智大社へ。右・鳥居をくぐってすぐ隣の西国第一番札所の青岸渡寺。下、左・そこから三重塔とお滝を遠望。その後、那智の滝、熊野速玉大社と参拝して、発心門に戻った。神仏習合の熊野の世界】
古来、多くの人が極楽往生を願い、蘇りを期してひと足づつ踏みしめた熊野詣での道。その上を自分もなぞりながら、常に試され続けていたのかもしれない。かつてない体験は、その1回ごとが非日常で新鮮だった。
【お昼は、高菜の漬物でくるんだ目を見張るほど大きな「めはり寿司」などのおにぎり弁当。毎回“前田のおばちゃん”の手作りで工夫され、味噌汁付き。おいしく頂いて、上、左・発心門王子を出発。中・水呑王子跡。右・緑に癒されながら伏拝王子を目指す。下、左・果無山脈の眺め。説明板によると、和田ノ森1049m・安堵山1083m・黒尾山1235m・石地力山1140mの連山を呼び、東西に18km、稜線は奈良県境となっているとある。中・右とも伏拝王子からの眺めだが中央は振り返った方向になる。右・中央より少し右寄りの白っぽく見えるところに、本宮大社を望む】
【左・三軒茶屋で合流している小辺路。この先は高野山へと続く 中・最後の上り 右・最後の道標は祓戸王子のところ。滝尻王子を1として、500mごとに建つ。山中で事故があった時など、現在地を知らせるのに役立つと】
一歩、一歩と、心を凝らして踏みしめながら歩かせてもらった。熊野古道は「触る道」と。素晴らしい体験をさせてもらった語り部さんに感謝。ここまで足を運べたことに感謝。感謝と共にゴールした熊野本宮大社だった。これにて終了…。
【上・左はわらじ峠への上り。右は女坂の一部だが、実際は段差の大きい、急な石段をひたすら下った。全行程通して初めて膝に痛みが生じた。まだ早い時間帯だったにもかかわらず、左足を着地させる際、この先が不安になるほどの辛い痛みだった。下・岩上王子への男坂は通行止めのままで別ルートに。明るく豊かな緑を目にしながら先の見えない上りが続いたが、膝の痛みもなく、とにかく一歩を刻み続けるだけだった】
和歌山県ははるかに遠い。交通の便も良いとは言えないし時間もかかる。行ってみたいと思いながらも、はるかに南、その先は海という地の果てまでは面倒だった。絶好の機会と意を決したが、初回は土砂降りの雨の中、2回目には藤白・拝ノ峠という難所が待ちうけていた。おっ、雨で懲りたかと思ったけれど? この険しい山道にはギブアップするではないのか? そこかしこに宿る神は私を試したのか。な~んの、「挑戦」というよりも、1回ごとを楽しんで積み重ねることができた。行き交うたくさんの出会いに心を寄せて、語り部さんの案内を得て知り得たことは多い。
【上・左から、再びの下り坂を経て 中・湯川王子。 右・この先はこの日三つ目の急な上り坂となり、最もきつく感じた。言葉もなく黙々と三越峠の関所跡まで。ミンミン蝉が鳴いていた。きれいな杉の人工林は、根を張らずに地盤をもろくさせていると語り部さん。樹齢40年の“中途半端”な杉1本は300円にしかならないそうだ。間伐しても、腐るのを待つだけと。崩落現場の間を通ったが、恐ろしさを実感した。山中、かつての熊野銀座街だったか、人家の礎石が多く残っていたし、一升瓶が縁に置かれたまま朽ちつつある廃屋もあった。古い石の流し場、甕、浴槽、覗けば二層式の洗濯機もあると。きれいな田んぼがあった所もすべて杉が植樹されている。右・音無川沿いに下って猪鼻王子へ】
【発心門王子の鳥居をくぐって、いよいよ聖域に入った。勝浦温泉までバスで移動、夜は4人の相部屋を楽しんだ。早くから横になりおしゃべりしているうちに眠ってしまったみたい…。ひどい筋肉痛!】
静かに、ただ照り返る海の輝きに目を見張った紀伊路は、陶酔の感ありだった。「緑の海」新緑の美しさ、5月の熊野を2度も味わった。濃くて深い緑が幾重にも連なる山並みは、情にさえ訴えかけてくる。息を切らし上りつめていく自分との戦いだったが、座り込んでいつまでも見ていたい眺望が待ち受けていた。黙々と声もなく歩く時、木の葉擦れの音はやさしい風を運んでくれた。
【19日、朝から温泉に入ろうと、かけておいた目ざましの時刻を上回る早起きになった。最後の一日に限りなく力を与えてくれるかのような日の出を、部屋のベランダから見つめていた。 上、左・朝一番に大門坂はこたえた。どこまで行っても段々道、石段続きだ。中・那智大社へ。右・鳥居をくぐってすぐ隣の西国第一番札所の青岸渡寺。下、左・そこから三重塔とお滝を遠望。その後、那智の滝、熊野速玉大社と参拝して、発心門に戻った。神仏習合の熊野の世界】
古来、多くの人が極楽往生を願い、蘇りを期してひと足づつ踏みしめた熊野詣での道。その上を自分もなぞりながら、常に試され続けていたのかもしれない。かつてない体験は、その1回ごとが非日常で新鮮だった。
【お昼は、高菜の漬物でくるんだ目を見張るほど大きな「めはり寿司」などのおにぎり弁当。毎回“前田のおばちゃん”の手作りで工夫され、味噌汁付き。おいしく頂いて、上、左・発心門王子を出発。中・水呑王子跡。右・緑に癒されながら伏拝王子を目指す。下、左・果無山脈の眺め。説明板によると、和田ノ森1049m・安堵山1083m・黒尾山1235m・石地力山1140mの連山を呼び、東西に18km、稜線は奈良県境となっているとある。中・右とも伏拝王子からの眺めだが中央は振り返った方向になる。右・中央より少し右寄りの白っぽく見えるところに、本宮大社を望む】
【左・三軒茶屋で合流している小辺路。この先は高野山へと続く 中・最後の上り 右・最後の道標は祓戸王子のところ。滝尻王子を1として、500mごとに建つ。山中で事故があった時など、現在地を知らせるのに役立つと】
一歩、一歩と、心を凝らして踏みしめながら歩かせてもらった。熊野古道は「触る道」と。素晴らしい体験をさせてもらった語り部さんに感謝。ここまで足を運べたことに感謝。感謝と共にゴールした熊野本宮大社だった。これにて終了…。