京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 いかにおはすや…と

2013年07月03日 | 展覧会
昨年5月3日、東大寺ミュージアムの開館記念「特別展 奈良時代の東大寺」展で、法華堂の不空羂索観音像、日光・月光両菩薩像を拝観した。
堂内の像をすべて移動し、仏像や須弥壇を始め壁や床下調査にまで及んだ修理、補強、調査がなされていた法華堂。それは3年に及んだ。その間ミュージアムに移られた三体の像を、ガラス越しに間近にする機会を得たのだった。この3年間を、ABC放送が「天平の美を守れ! 東大寺法華堂・修理の記録」として放映したのをご存じの方は多いかと思う。

法華堂(三月堂)内陣にもどられている不空羂索観音像はいかにおはしますやと、お参りすることにした。いつも、東大寺大仏殿の裏手、土塀が両脇に続く参道からお水取りで名高い二月堂の前を過ぎ、三月堂へと歩くことにしている。
慣れ親しんだ道を、遠く二月堂の舞台を目にしながら一歩づつ歩む楽しさ。期待も膨らむが、なにより和らいだ気持ちになっていくのがわかった。価値観の相違、とまではいかなくても、生じている溝を埋めたくてなんでもきっちり考えようとする自身の性格の弱点が現れてきていた。いらだちや高ぶりを抑え、静かな心を持って仏と対面するために用意されている道だったかもしれない。
朱赤色のザクロの花が咲く二月堂付近だが、小さく口をポッとあけた実がいくつも生り、ねらっていた花の盛りに遅かったことは悔やまれた。  
    花石榴久しう咲いて忘られし  正岡子規

 
法華堂の建立に関しては資料が残っていないという。が、使用されていた木材が年輪から730年ごろの伐採であることが判明している。聖武天皇と光明皇后の御代である。お世継ぎの病気平癒を祈願して建てられた「若草山のふもとに寺」の寺に当たるのではないかとされている。

古くは僧侶以外に堂内にはいることは許されず、礼堂から手を合わせ拝んだそうだ。
薄暗い堂内の須弥壇の上で、両手を強く合掌された祈りの姿が目の前だった。その両脇には、柔らかに手を合わされた日光・月光の両菩薩の姿があったはずなのに、それが消えた。残念でさびしい。
今回の修理で、床下には日本で初めて免震装置が施された法華堂。それでも、塑像である両菩薩像が倒れて壊れることを回避するために今後はミュージアムでの保存が決まったのだという。隙のない合掌の姿に気持ちを引き締められて…。

帰り道、西からのひんやりと心地よい風が吹き抜けていくのを全身で受けてたたずんでいた。「西の十万億土」からの風…かな?
コメント (7)
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