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孫娘が5歳だった時、通うプレップ・スクールでは金曜日の一日の始まりに「SHOW AND TELL」の時間があったことを思い出していた。
今はホリデーだとか。やがて終われば4歳のLukasも兄の小学校に一緒に通う日がやってくる。同じ体験をするのだろうか、と思ったりして…。
ぬいぐるみやゲーム、絵本にDVDとかまで、リュックに入れていくのを目撃したことがあった。縫いぐるみを持っていっていいのかと娘に尋ねたとき、「何か話したいことがあるんとちがう?」という言葉が返ってきた。
クラスメートの前で縫いぐるみを見せて、それについて何かを話す。すると質問が返ってくるという。だから、またそれに答える。単純な、いえ純粋な好奇心が楽しみを拡大させて言葉が往復し、彼らなりに相手を知り、理解を深め、共感が生まれるのだろう。時には仲良しができたかもしれない。
人と、言葉と、ちゃんと向き合って初めてそこに共感は生まれるはずだ。大人だって。
「文章を書くこともショーアンドテルなんですよね」と文章の師が言われたことがあった。
道を聞く(学ぶ)には
宜(よろ)しく耳を洗うべし
と、良寛が言う。
「耳を洗う」、耳をきれいにする、耳を澄ます、心を澄ます。そうやって耳を心を傾けたいものだな。
るーちい君は英語がわからなくても従兄弟のおしゃべりをニタニタ見ていたとか。日本語に包まれて生まれ育った彼が、どうやって言葉を豊かにしていくのだろう。それが成長だとわかっているが、不思議だ。小学校に入ると「SHOW」は「SHARE」に変わって3年生まで続いた。
セミが鳴き始めていた。