
まだまだ蕾の蝋梅の花。
年末には生花店と物々交換のようなお付き合いが続いています。花のない時季に仏さんのお花をあげてくださるのが本当にありがたく、代わりにこの蝋梅の枝を剪定して好きなだけ持ち帰っていただいているのです。
寝る前に読んでいる『嵯峨野花譜』(葉室麟)。京都大覚寺の花務職に就いた不濁斎広甫を師として修業する少年僧の胤舜。師は形の美しさばかりではなく、人の心を見て花を活けよと教える。京の四季、寺々を舞台に、生きることに荷を背負いながらも、人との出会いの中で胤舜は成長している。
昨夜、西行桜を活けるシーンを読んだ。どのように活けるか…。
まだ花弁が開いていない桜の一枝だけを白磁の壺に活けたのでした。西行が見たかったのは「これから開こうとする桜のいのち」ではなかったか、と感じ取ったのは胤舜の生きることの喜びの心と重なり合うようでした。
おおかた蕾の蝋梅を見て、昨日の今日のこと、この場面を鮮明に思い出していた。
未生の美。満開の盛りはどれほどきれいかと想像し、芳しい、ちょっと濃い目の香りを鼻先に感じてみる。これが日本人。何ごともちょいと足らぬがいいのだな~。と思いつつ蕾がほころぶのを待っているわけです。
見つけたり。

娘家族が住むクイーンズランド州では今日の感染者数が12000人だったとか。24日から新年度の学校が始まる予定だが、2週間ほど延期になるかもしれないとか。「もうかなんわ!」
長い休みの更なる延長なんてたまらないと嘆く母親でした。