京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

ぱつちり金の瞼かな

2022年09月27日 | 日々の暮らしの中で
境内の隅に五輪塔が保存されている。球形や三角形、宝珠形など、部分がいくつかばらばらに残っているものと一緒に。
砂利の上を這ってはびこる雑草を抜いていると、小さなアオガエルが飛び出してきた。


        青蛙ぱつちり金の瞼かな      川端茅舎

日中の残暑はなかなかゆるまなくて、30度に近い日が続く。寝た子を起こしたというには時季が早いようだ。

 

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる

 秋たつや川瀬にまじる風の音  

上田三四二は、この有名な古歌と飯田蛇笏の句とを比べて、
「短歌はリズムを主として内容はむしろ乏しく、俳句はリズムに欠けるのを物の把握で補っている」という。
【短歌は本来主観の声だが、心だけでは歌にならない。心が物に託されて、初めて人を打つ。俳句の持つ、物を掴む力を歌を作る側も見習いたい】
(『短歌一生』)。

「俳句は物の手ざわりなくしては成立しない詩型」。で、
「『川瀬にまじる風の音』、この物の把握」という箇所がちょいと私の心をとらえた。
「川瀬にまじる風の音」 ―「物を掴む」、「物の把握」
わかる? わかるような? うん?

素地のない者は、“なんとなくわかる気がする”というあたりでもたもたするが、考え考え読み進めるのだ。
こういうことはいいわ、と勝手に読み飛ばしたりするから、尚更もたもた?

言わんとされることを理解するとは言い難いが、なんとなく、なんとな~く、アバウトにわかるようなこともあって、ぼっちぼっち読んでいく。

アオガエルのジャンプに話は飛躍し過ぎたかしら。
コメント (2)
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