京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

遠くなった耳?

2022年09月22日 | 日々の暮らしの中で

「Keiさん、『サバカン』見ましたか。今やってませんかね? 見てほしいわ」
友人からのラインでのご案内だ。

「サバカン? 見てません。どんな話かな、題名も知らないでいるわ。
このあいだ『アンデス、ふたりぼっち』を見てきましたよ。生きることのうつくしさ、むつかしさ? 複雑でした」

「和製スタンドバイミーです。すごく心温まる作品でした。娘に一押しって言っといたから感想が送られてきて、嬉しくて。Keiさん、ぜひ見てほしい」

「『ドライビング MISS .デイジー』みました? 舞台化もされて名作だって知ってるんですけど」
「見てないし、聞いたこともない。毎日映画館通いしてるの?」

(あなたにも私にもそれぞれに関心事や興味ってものがあるんだけどぉ、ひと言、アンデスの話にコメントしてもいいんじゃないのー?)って思い始めていた。
人の話に興味ないって感じ。
まあ、私にも人の関心事にまるっきし興味持てないってことはあることだから、責められないが、相手への想像だけは欠かすまいと言葉を継ぐことに努めているつもりだ。まして一対一でのオシャベリならなおさらのこと。

「来年1月の話ですが、夏井いつきさんの句会ライブが枚方であります。行きませんか?」
「前にも一度誘っていただいて。夏井さんのオシャベリが苦手です。あのときだけでもう十分。せっかくだけど遠慮させてもらいます」
ここははっきりさせた。

「京都大丸店での『長谷川義史さんの絵本原画展』に行きませんか? ああ、まだやってるかな。お会いできたらいいなあ」
「……」


ちょっと意地悪? 知らん顔してしまった。最後までアンデスの話など触れられない。
彼女の案内で、映画も舞台も枠を広げてこれたことには感謝しているのだ。
一聞いたら十話す、昔からそうなんだよね…。ただね、私の言葉をいったんミットに収めてよ。こんな思い、おそらく想像すらしないだろうな。

「やはり映画はどこか小さな映画館で上映されているのを発見し、何か悪事でもはたらくように、というのは大袈裟だが、こっそり一人でみに行くというのが私の流儀」
と山田稔さん(『某月某日シネマのある日常』)。大作より小品を、評判より滋味を、と。
コメント (4)
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