Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

隠れキリシタンのこと

2010-11-05 23:31:11 | 国内旅行
唐突だが長崎県の五島列島に行って来た。

その名も「秘境添乗員・金子貴一と行く隠れキリシタンの旅」というツアーに参加しての旅。

元々五島列島には興味があった。景色が良く、魚がおいしいところだと聞いていたので。

そんなわけで隠れキリシタンについてはほぼ知識ゼロで参加したところ、新しく知る事実の多さにびっくり。

まず「隠れキリシタン」というと普通は江戸時代、キリスト教が禁止されていた時代の信徒を指すと思うのだが、五島ではそのような人たちは「潜伏キリシタン」と呼ぶのだそうだ。

では「隠れキリシタン」はというと、こちらは明治になって禁教が解かれて以降も江戸時代の信仰を密かに守り続けた人々を言う。

この明治以降、現代まで続く隠れキリシタンというのがびっくりで、16世紀に教わったカソリックのラテン語のお祈りを「オラショ」という音だけを語り継いだ祈りで引き継ぎ、行事などは例えばワインを酒に変え、パンを米に変えて、それをお膳に乗せるとまるで神式か仏教のお供え物のようになる。
死後49日の祈りがあるなどというのも仏教が混ざっており、これらを神父ならぬ信徒間のリーダー(大将と呼ばれる)が密室で密かに行うというところなどはシャーマンのよう。
要するにカソリックが200数十年の間に完全に土俗化して違うものになった、それが「隠れキリシタン教」なのだった。

これらの人々が禁教が解かれて以降もなぜ隠れ続けているのかがまた複雑で、あるいは存在を明かすことへの恐怖が先祖代々からのトラウマになっているのか、隠し続けることが教義の一部のようになってしまっているのか。

島という閉ざされた狭い社会と言うのも要因の一つのようで、元々五島列島にはキリシタンはいなかった。そこへ江戸時代に開拓のために長崎本土からやってきたのが潜伏キリシタン。風光明媚とは言え豊かな農地などない島へ違う宗教を信じるよそ者が入ってくれば軋轢が生じるのは当然で、村々では信じる宗教によって明確な住み分けがあったそうだし、それはおそらく現代まで何らかの形で続いている。

さらには信教の自由化後、カソリックになった者、仏教に行った者、神道に行った者なども当然いるわけだが、それらの「転んだ人たち」と「隠れ」を続ける人たちの間にも感情的なしこりがあるらしく、実に微妙で複雑。

もう一つ五島に来て知りびっくりしたのはキリシタン迫害のこと。

五島にはいくつも凄惨な迫害事件があったのだが、これらは普通に思う江戸時代のことではなく、明治に入ってからの出来事だったと言う事実。

五島では江戸時代にはキリシタン迫害はあまりなかったという。一つには潜伏キリシタンたちがその信仰を隠し通し続けたからだろうし、もう一つには上に書いたように住み分けがなされていたので、他の者は上も下も見て見ぬふりをしていたのだろう。

ところが明治の開国に伴ってフランス人などが自分達のためのカソリック教会を作り始めた。ならばもう出て行ってもよかろう、と潜伏キリシタンが名乗り出たところ、明治6年までは禁教令が解けていなかったため、明治政府の役人によって投獄、迫害がなされたというのだ。

この杓子定規な対応は明治政府だったからか、日本人の特質か。
あと数年我慢すればひどい目に合わなかったのに、と思うと暗澹たる思いがする。

といろいろ考えさせられる旅ではあったが、五島列島は期待にそむかぬ美しいところで、内部に複雑なものを抱えているとはいえ島の人々も実に親切。とても楽しい旅だった。

これからしばらくは島の旅にお付き合いいただこう。


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コメント (5)
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