10月30日
朝7時50分の便で福岡を発ち、福江空港へ向かう。
飛行機はB-737と予想より大きく、おかげで急なスケジュール変更でも24人の団体が乗りこむことができた。
空港に着いたら息つく暇もなく福江港へ直行。
海上タクシーに乗って福江島から中通島へ向かう。
この地図の福江島、久賀島、奈留島までが下五島、若松島から上が上五島、我々はまず上五島へ行くのだ。
台風が過ぎたばかりで波が高いから、と大きな船を用意してくれたと言う海上タクシー、
前半分は普通の椅子席だが、後ろは靴を脱いで転がるお座敷席。
窓の外は波しぶきが上がってすごい迫力で、50分ほどの船旅もあっという間。
やがて到着した中通島の桐港は小さな漁港だが、天気も次第に良くなってきていい感じだ。
ここで大きなバスに迎えられ、すぐに山神神社へ向かう。
その信徒の多くが実は隠れキリシタンだという神社の例大祭を拝見しようと言うわけだが
行ってみるとこんなに小さな村の神社。
しかも扉が閉まっているので誰もいないのかと思いきや
中には村の方々が集まり、神主さんが祝詞をあげている最中だった。
そこへよそ者が大勢どやどやとやって来たものだから村の方々はびっくり。
「いったいどこからいらしたの?」「こんななんにもないところになんでわざわざ」
と頭の上に?マークが飛び交っているのが見える。
やがて祝詞を終えた神主さんが我々のためにお話をしてくださった。
この神主さんは正真正銘、神道の神主さんでこの神社を12年前から管轄しているとのこと。しかし今回我が添乗員からの問い合わせで信徒に話を聞き、はじめてこの神社が隠れキリシタン神社であると知った、というからこれにはこちらもびっくり。
要するにこの神社のお祭りはあくまで神道にのっとったお祭りであって特に変わったことをするわけではない。しかし実は決して明かされることのないご神体がキリシタンがらみで、それは隠れの信者たちだけがこっそり言い伝え、しかしキリシタンのお祭りは別に、これまたこっそりと行っているのだと言うことがわかった。
「そのご神体とはなんですか」と添乗員が聞くと、村の話好きそうなおばあちゃんが「それはこの神社ができた200年以上前から誰も見たことはない。私達はそれが何か知っているけど、それは決して言うわけにはいかない」とミステリアス。
自分達が隠れキリシタンであることをほのめかしてもそれ以上は教えてくれないのだ。
なんとなく狐につままれたような気分のまま、昼食にはまだちょっと早いからということで次は丘の上に立つ桐教会へ。
内も外も真っ白で簡素な教会は建って50年ほどのようだが、
きれいな入り江を見下ろす位置には「信仰の先駆者顕彰碑」が。
この海を指しているのはガスパル与作。17歳で真っ先に大浦天主堂へ参り、キリシタン復活の緒口を開いた人物なのだそうだ。
そうこうしているうちにちょうどいい時間になった、ということで奈良尾の昼食会場に向かう。
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朝7時50分の便で福岡を発ち、福江空港へ向かう。
飛行機はB-737と予想より大きく、おかげで急なスケジュール変更でも24人の団体が乗りこむことができた。
空港に着いたら息つく暇もなく福江港へ直行。
海上タクシーに乗って福江島から中通島へ向かう。
この地図の福江島、久賀島、奈留島までが下五島、若松島から上が上五島、我々はまず上五島へ行くのだ。
台風が過ぎたばかりで波が高いから、と大きな船を用意してくれたと言う海上タクシー、
前半分は普通の椅子席だが、後ろは靴を脱いで転がるお座敷席。
窓の外は波しぶきが上がってすごい迫力で、50分ほどの船旅もあっという間。
やがて到着した中通島の桐港は小さな漁港だが、天気も次第に良くなってきていい感じだ。
ここで大きなバスに迎えられ、すぐに山神神社へ向かう。
その信徒の多くが実は隠れキリシタンだという神社の例大祭を拝見しようと言うわけだが
行ってみるとこんなに小さな村の神社。
しかも扉が閉まっているので誰もいないのかと思いきや
中には村の方々が集まり、神主さんが祝詞をあげている最中だった。
そこへよそ者が大勢どやどやとやって来たものだから村の方々はびっくり。
「いったいどこからいらしたの?」「こんななんにもないところになんでわざわざ」
と頭の上に?マークが飛び交っているのが見える。
やがて祝詞を終えた神主さんが我々のためにお話をしてくださった。
この神主さんは正真正銘、神道の神主さんでこの神社を12年前から管轄しているとのこと。しかし今回我が添乗員からの問い合わせで信徒に話を聞き、はじめてこの神社が隠れキリシタン神社であると知った、というからこれにはこちらもびっくり。
要するにこの神社のお祭りはあくまで神道にのっとったお祭りであって特に変わったことをするわけではない。しかし実は決して明かされることのないご神体がキリシタンがらみで、それは隠れの信者たちだけがこっそり言い伝え、しかしキリシタンのお祭りは別に、これまたこっそりと行っているのだと言うことがわかった。
「そのご神体とはなんですか」と添乗員が聞くと、村の話好きそうなおばあちゃんが「それはこの神社ができた200年以上前から誰も見たことはない。私達はそれが何か知っているけど、それは決して言うわけにはいかない」とミステリアス。
自分達が隠れキリシタンであることをほのめかしてもそれ以上は教えてくれないのだ。
なんとなく狐につままれたような気分のまま、昼食にはまだちょっと早いからということで次は丘の上に立つ桐教会へ。
内も外も真っ白で簡素な教会は建って50年ほどのようだが、
きれいな入り江を見下ろす位置には「信仰の先駆者顕彰碑」が。
この海を指しているのはガスパル与作。17歳で真っ先に大浦天主堂へ参り、キリシタン復活の緒口を開いた人物なのだそうだ。
そうこうしているうちにちょうどいい時間になった、ということで奈良尾の昼食会場に向かう。
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