Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

五島列島の旅 3 隠れキリシタンの大将

2010-11-10 16:48:36 | 国内旅行
10月30日 続き

奈良尾の昼食会場は小さな漁港に面した公民館の一室。
  

今回の上五島の旅、現地のコーディネートはなんと五島地域雇用創造推進協議会がしてくださっている。観光誘致によって雇用を促進しようという活動の一環なのだそうだが、おかげで本日のお昼は「奈良尾郷土料理研究会」のみなさんによる伝統料理。

 
割烹着が素敵な研究会の皆さん。料理の説明をして下ったリーダー、美人です。

そしていただいたお料理。
 アジを一匹丸ごと使ったお寿司は「紀寿司」。もともとは「生寿司」だが、その昔紀州の漁師がここまでやって来て伝えた料理と言うことで「紀寿司」と命名した由。
その下の丸いのはおからの寿司にサンマを乗せた「おかめ寿司」。おからには半分お米も入っているそうで、おかげでしっとり、とても食べやすい。
どちらもちょっと甘めの味付けがお母さんの手作りらしくいい感じ。
 昆布、干し大根、てんぷら(すり身かまぼこ)の煮物の向こうの大きな卵焼きは「厚焼き」というこの地区の郷土料理。卵に魚のすり身が入っていてこれもちょっと甘い味付け。とても弾力のある伊達巻のような感じで、これもおいしい。
 お吸い物の中にはすり身団子とあおさ。
 デザートの豆羊羹のむこうにあるのは五島の名物、かんころ餅。さつまいもともち米でできた餅は固めのういろうのような食感。

地元らしい料理がいただけて、研究会の皆さん、ご馳走様でした。

さて、昼食の後はまた山神神社や桐教会のある地域に戻ってある一軒の民家を訪問する。
この家の主、釣り船の船長をされている方が実は隠れキリシタンの大将(リーダー)なのだ。
 こちらがその大将、坂井氏
(写真はご本人の許可を得て掲載しています)

この方、実は元々隠れキリシタンだったわけではなく、結婚された奥様のお父さんが大将(帳方という)だった。その後継は別の家の方がされていたそうだが、その方が高齢になり、しかしその息子さんはカソリックに転向されたということで、元の大将の家の娘婿にその役割が回ってきた(どうやら女性はこの役を継げないらしい)。

添乗員にもらった資料によると五島に残る隠れキリシタン組織は2つだけ、しかも坂井氏によればこの組織の人数も微々たる物。坂井家の子供(高校生)が最年少の信者であり、隠れキリシタンの存在が近い将来に消えてしまうことは確実だと言う。

であるならばその存在と内容を明るみに出して記録を残したい、と坂井氏は公に出ることを決意されたのだそう。
そして見せていただいたロザリオやマリア像、独特の暦
  
 こちらの祈祷書はラテン語の音をカタカナで記録したものでオラショと呼ばれる。これを大将になった者が代々引き継ぎ、祈る時は一人で暗室に引きこもり、口の中で唱えるのだそうだ。
死者が出たときにも祈りはその家ではなく、その近所の家に大将が出向き、1人で祈ると言う。信仰を隠し続けるための苦労がしのばれる。

その他にもカソリックに転向した者は同じ神様でも隠れの神様は二度と拝めないとか、その密室性を示すような興味深い話がいっぱい。
ただしこのように公に出ることを組織の信者がすべて快く思っているわけではないらしく、現に元々の信者であった大将の奥様には「できることならやはり隠すべき」との葛藤がある様子。しかしそのような葛藤までお話くださることが我々にはありがたい。

隠れキリシタンのお家を訪問した後は桐修道院で、今度はカソリックのシスターのお話を聞く。
  
このシスターのご先祖はやはり隠れキリシタンで、明治初めの迫害時代、洞窟に隠れて信仰を守ったという。
しかし坂井氏の強烈なお話の後では印象が薄く、どんなお話だったかあまり覚えていない。すいません

桐修道院を辞した後はまた海上タクシーに乗って福江島の隣の久賀(ひさか)島へ。
 
今夜の宿泊は静かな湾に面した民宿深浦荘。
この島では一番大きな民宿だそうだが、なにしろ島民500人のところだから24人の団体は大変。
家族の居住スペースにまで侵入してもまだ部屋が足りず、男性陣は近所の空き家をお掃除してもらっての宿泊となった。

 しっかり手のかけられたお夕飯、ご馳走様でした。


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五島列島の旅 2 隠れキリシタン神社

2010-11-09 19:18:20 | 国内旅行
10月30日

朝7時50分の便で福岡を発ち、福江空港へ向かう。

飛行機はB-737と予想より大きく、おかげで急なスケジュール変更でも24人の団体が乗りこむことができた。
  

空港に着いたら息つく暇もなく福江港へ直行。
 海上タクシーに乗って福江島から中通島へ向かう。

 

この地図の福江島、久賀島、奈留島までが下五島、若松島から上が上五島、我々はまず上五島へ行くのだ。

台風が過ぎたばかりで波が高いから、と大きな船を用意してくれたと言う海上タクシー、
 
前半分は普通の椅子席だが、後ろは靴を脱いで転がるお座敷席。
 窓の外は波しぶきが上がってすごい迫力で、50分ほどの船旅もあっという間。

 やがて到着した中通島の桐港は小さな漁港だが、天気も次第に良くなってきていい感じだ。

ここで大きなバスに迎えられ、すぐに山神神社へ向かう。
その信徒の多くが実は隠れキリシタンだという神社の例大祭を拝見しようと言うわけだが
 行ってみるとこんなに小さな村の神社。
しかも扉が閉まっているので誰もいないのかと思いきや
 中には村の方々が集まり、神主さんが祝詞をあげている最中だった。

そこへよそ者が大勢どやどやとやって来たものだから村の方々はびっくり。
「いったいどこからいらしたの?」「こんななんにもないところになんでわざわざ」
と頭の上に?マークが飛び交っているのが見える。

やがて祝詞を終えた神主さんが我々のためにお話をしてくださった。
この神主さんは正真正銘、神道の神主さんでこの神社を12年前から管轄しているとのこと。しかし今回我が添乗員からの問い合わせで信徒に話を聞き、はじめてこの神社が隠れキリシタン神社であると知った、というからこれにはこちらもびっくり。

要するにこの神社のお祭りはあくまで神道にのっとったお祭りであって特に変わったことをするわけではない。しかし実は決して明かされることのないご神体がキリシタンがらみで、それは隠れの信者たちだけがこっそり言い伝え、しかしキリシタンのお祭りは別に、これまたこっそりと行っているのだと言うことがわかった。

「そのご神体とはなんですか」と添乗員が聞くと、村の話好きそうなおばあちゃんが「それはこの神社ができた200年以上前から誰も見たことはない。私達はそれが何か知っているけど、それは決して言うわけにはいかない」とミステリアス。
自分達が隠れキリシタンであることをほのめかしてもそれ以上は教えてくれないのだ。

なんとなく狐につままれたような気分のまま、昼食にはまだちょっと早いからということで次は丘の上に立つ桐教会へ。

  
内も外も真っ白で簡素な教会は建って50年ほどのようだが、
  
きれいな入り江を見下ろす位置には「信仰の先駆者顕彰碑」が。
この海を指しているのはガスパル与作。17歳で真っ先に大浦天主堂へ参り、キリシタン復活の緒口を開いた人物なのだそうだ。

そうこうしているうちにちょうどいい時間になった、ということで奈良尾の昼食会場に向かう。


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五島列島の旅 1 プロローグ・福岡

2010-11-08 00:24:52 | 国内旅行
2010年10月29日から11月4日 五島列島・隠れキリシタン紀行

10月29日

秘境添乗員・金子貴一氏の主宰するツアーに参加するため、集合先の福岡へ。

集合時間は五島行きのフェリーが出る23時半だが、せっかく久しぶりに福岡へ行くのだから、と朝8時半の羽田発で出発する。

 福岡空港はその便利さが一番の魅力。
空港地下から地下鉄に乗ればわずか15分で福岡の中心街に出てしまう。

福岡に来たからにはこれははずせない、とまず向かったのは博多ラーメンの店。
隠れた名店でも探そうかと思ったが、結局面倒になって最も有名な天神のこの店へ。
 周りに何店舗かある中でも一応本店にこだわってみたが、そんなことをするのは結局観光客らしく、最近改装したばかりらしいモダンな店内はよそ者ばかり。
 
でもおかげできょときょと写真を撮っていても大丈夫だし、やっぱり細麺のとんこつラーメンはおいしい。スープが濃厚だけれどへんにくどくなく、テーブルの上のもやしがこれまた妙においしい。

とまずはお腹を落ち着かせて、ここからは西鉄に乗って太宰府へ。
 駅前の広場から大きな通りを行けばすぐに天満宮の参道だが、駅の裏手から静かな道を10分ほど行くと
  
九州国立博物館の裏手(?)に到達する。ここから予想外に急な階段をえっちらのぼると
 ガラス張りの壁面にまわりの森が映る巨大な博物館。
 内部の木組みの天井も見事で見とれてしまう。

この博物館の展示室は3階と4階。
 まずは4階の文化交流展示室へ。

こちらの常設展示はアジアとの交流をメインテーマに縄文時代から遣唐使の時代、中世、近世へと時代順になっているのだが、中央の時代順展示室から横につながった部屋の展示にはいささか唐突なものもあり、時代順というわりには全体にあまり流れが感じられない。テーマ展示の中には面白いものもあるのだが、なんだかバラバラとした印象。
アジアとの交流のメインテーマもわかるようなわからないような。
常設展のための展示品が余り充実していないので苦労している、といったところだろうか。

ちょっとがっかりしつつ、3階の特別展「誕生!中国文明」へ。
 河南省出土のものを中心としたこの展示、それほど期待していなかったのだが、こちらは良くまとまっていて見やすく、かなり面白かった。
広大な中国の地域を絞り、時代も一応夏王朝から宋代までとしつつ、古い時代に絞っているのがいいのだろう。
王朝の権威品、技術、美の三部に分けた展示も時代をまたぎつつわかりやすい。

この博物館は常設展よりも特別展を見に行くべきところなのかもしれない。

文句を言いつつ4時間も展示を見ていたら疲れ果ててしまった。
カフェで一休みしたところで後から来たツアー同行者のお姉さまと合流。
二人で天満宮にお参りに行く。

博物館から天満宮へはこんなトンネルをくぐっていく。
  
こちらには動く歩道にエスカレーター。出るとすぐに天満宮の境内につながる、こちらが正面入り口だったのだろうか。

  
もう受験とは縁のなくなった二人はお参りもおざなり。微々たるお賽銭を上げ、飛梅を眺めて太宰府を後に博多へ戻る。

さて、今回の旅、当初の予定では最初に書いたように博多港からフェリーで五島へ渡るはずだった。
ところが折悪しく台風が接近中、博物館見学中に添乗員から電話が入り、フェリーが欠航してしまったので今夜は急遽福岡泊まり、明朝の飛行機で五島に入ると言う。

そこで指定された博多駅前のビジネスホテルにチェックインし、もう1人ツアーの同行者を伴って、今夜はゆっくり行こう、と西中洲の水炊きのお店へ。
 金曜の晩とてどこも大盛況らしいなか、やっと予約を入れられた「華味鳥」さん
博多 華味鳥|西中洲店(水炊き料理)

コースをお願いするとまず鶏刺しと明太子、レバーが出てきて
  
いよいよ水炊き登場。
  
鍋の中は鶏だしなので、これが暖まったらまずはちょっと塩と葱を足しただけでこのスープをいただく。これがいいおだしでおいし~。そして最初のお肉をいただいた後で
  
野菜や鶏モツ、つくねを投入。このつくねを入れてくれたお姉さん、博多っ子らしく明るくてのりがいい。
 そして最後はもちろん雑炊。
これを食べなきゃねー、と言いつつお腹はパンパン。

本場博多の水炊きはやっぱりおいしかった。

満足して店を出たがまだホテルには戻らない。
次に向かったのは船の出ない博多港。
ここにある日帰り温泉施設に乗船前に入ろうと目をつけておいたのだ。

  
温泉の名前は「波葉の湯」
みなと温泉 波葉の湯 - 天然温泉露天風呂 福岡市博多区 ベイサイドプレイス博多
広くてなかなかきれいな施設、若い女の子やカップルが結構来ている。

ところでこの施設でよかったのはお風呂よりも岩盤浴。
ここには温度が違う岩盤浴の部屋が5つもあって、広い休憩室にはテレビ付きの寝椅子にマンガも完備。こんなところで出たり入ったりしていたら一日なんてあっという間に経ってしまいそう。これで1400円は安い!

博多っていいなあ、と思いつつ、さあ、明日から五島だ。


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隠れキリシタンのこと

2010-11-05 23:31:11 | 国内旅行
唐突だが長崎県の五島列島に行って来た。

その名も「秘境添乗員・金子貴一と行く隠れキリシタンの旅」というツアーに参加しての旅。

元々五島列島には興味があった。景色が良く、魚がおいしいところだと聞いていたので。

そんなわけで隠れキリシタンについてはほぼ知識ゼロで参加したところ、新しく知る事実の多さにびっくり。

まず「隠れキリシタン」というと普通は江戸時代、キリスト教が禁止されていた時代の信徒を指すと思うのだが、五島ではそのような人たちは「潜伏キリシタン」と呼ぶのだそうだ。

では「隠れキリシタン」はというと、こちらは明治になって禁教が解かれて以降も江戸時代の信仰を密かに守り続けた人々を言う。

この明治以降、現代まで続く隠れキリシタンというのがびっくりで、16世紀に教わったカソリックのラテン語のお祈りを「オラショ」という音だけを語り継いだ祈りで引き継ぎ、行事などは例えばワインを酒に変え、パンを米に変えて、それをお膳に乗せるとまるで神式か仏教のお供え物のようになる。
死後49日の祈りがあるなどというのも仏教が混ざっており、これらを神父ならぬ信徒間のリーダー(大将と呼ばれる)が密室で密かに行うというところなどはシャーマンのよう。
要するにカソリックが200数十年の間に完全に土俗化して違うものになった、それが「隠れキリシタン教」なのだった。

これらの人々が禁教が解かれて以降もなぜ隠れ続けているのかがまた複雑で、あるいは存在を明かすことへの恐怖が先祖代々からのトラウマになっているのか、隠し続けることが教義の一部のようになってしまっているのか。

島という閉ざされた狭い社会と言うのも要因の一つのようで、元々五島列島にはキリシタンはいなかった。そこへ江戸時代に開拓のために長崎本土からやってきたのが潜伏キリシタン。風光明媚とは言え豊かな農地などない島へ違う宗教を信じるよそ者が入ってくれば軋轢が生じるのは当然で、村々では信じる宗教によって明確な住み分けがあったそうだし、それはおそらく現代まで何らかの形で続いている。

さらには信教の自由化後、カソリックになった者、仏教に行った者、神道に行った者なども当然いるわけだが、それらの「転んだ人たち」と「隠れ」を続ける人たちの間にも感情的なしこりがあるらしく、実に微妙で複雑。

もう一つ五島に来て知りびっくりしたのはキリシタン迫害のこと。

五島にはいくつも凄惨な迫害事件があったのだが、これらは普通に思う江戸時代のことではなく、明治に入ってからの出来事だったと言う事実。

五島では江戸時代にはキリシタン迫害はあまりなかったという。一つには潜伏キリシタンたちがその信仰を隠し通し続けたからだろうし、もう一つには上に書いたように住み分けがなされていたので、他の者は上も下も見て見ぬふりをしていたのだろう。

ところが明治の開国に伴ってフランス人などが自分達のためのカソリック教会を作り始めた。ならばもう出て行ってもよかろう、と潜伏キリシタンが名乗り出たところ、明治6年までは禁教令が解けていなかったため、明治政府の役人によって投獄、迫害がなされたというのだ。

この杓子定規な対応は明治政府だったからか、日本人の特質か。
あと数年我慢すればひどい目に合わなかったのに、と思うと暗澹たる思いがする。

といろいろ考えさせられる旅ではあったが、五島列島は期待にそむかぬ美しいところで、内部に複雑なものを抱えているとはいえ島の人々も実に親切。とても楽しい旅だった。

これからしばらくは島の旅にお付き合いいただこう。


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