本作は、著者の回想録、つまりは私小説だ。著者のモーリス・サックスは、奥付の著者紹介によれば、ユダヤ系でパリ生まれ。少年時代から作家を志し、ジャン・コクトーやココ・シャネルなどの庇護をうけ、最後は第二次大戦末期にドイツ軍に銃殺されたという。
著者は自分が女だという気持ちがあるようだ。
<私は女の子になりたいと心底願っていたので(中略)これは私が四歳の頃の話であるから、すでに同性愛の兆候は明らかであったと言わざるを得ないだろう>(pp17-18)
今なら「性同一性障害」などの診断が下されるのだろうが、当時は残念ながらそのような概念はなかった。そしてキリスト教的な価値観に照らせばは(彼は、1925年にキリスト教(カトリック)に改宗している)、同性愛は忌み嫌われるもの。昔は、死刑が当然だった。かっての日本のように衆道という文化はなかったのだ。ただ、こういう記述もあるので、女性が絶対だめだという訳ではなかったようだ。
<その豊かな生活を邪魔したのがリズベットだった。彼女は私に性体験を与えた最初の女性である。>(p170)
<男になってから、私は女性の愛人を四人しか持たなかった。男たちとは数えきれないほど愛し合ったから、それに比べればあまりに少数だし・・・>(p175)
四人もいれば十分だと思うが、その後の記述から薔薇寄りの今でいえばバイセクシャルだったのだろう。
このような記述もある。
<私の場合、盗みは思春期以前に始まっていた。>(p23)
これも今なら、クレプトマニア(窃盗症)と診断されるのだろう。
これも特筆すべきだろう。
<過去にも私を苦しめた、生まれつきの虚言癖が再び鎌首をもたげてきた。>(p98)
これもパーソナリティ障害のようだ。書いてあることをそのまま信じれば作者は、色々な問題を抱えていたようである。
本書を読んでいても、私には、そう面白いとは感じられなかった。シニカルな語り口は私の好みなのだが、もってまわったような言い回しも多く、早熟の子供が、知っていることを精一杯散りばめて、一丁前のことを言っているだけとしか思えないのだ。一生懸命偽悪ぶって、自分の性癖をこれでもかというくらいカミングアウトしているように感じる。この辺りは、私が基本的に理系の人間で、文学読みではないというだけのことかもしれないのだが。
☆☆