文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

其中日記 (一)

2020-10-22 09:17:59 | 書評:その他

 

 山頭火は、昭和7年、50歳の時に小郡町矢足(現山口市小郡下郷矢足)に其中庵を開いた。この日記は、其中庵での暮らしぶりを記したものだ。山頭火は、昭和13年に山口市の湯田温泉に移るまで、ここで暮らした。なお、この日記の日付は9月21日から始まっている。実家の酒造場が破産し一家離散になってから、彼は九州熊本に暮らしていたが、元々は山口県防府市の出身である。やはり故郷の近くで暮らしたかったのだろう。

 彼は、まったくと言っていいほど生活力はなかったが、多くの俳友に支えられていた。この日記によく出てくる人物は、樹明と言う人と、敬冶と言う人だが、特に前者はひっきりなしに出てきて、山頭火に金銭的な援助をしたり、酒を飲ませたりしている。この樹明氏、日記の中では、兄と敬称をつけられたり、如来だとか大明神と呼ばれているので相当世話になったのだろう。しかし、彼にしても大金持ちというわけではないようだ。だから金銭的援助といっても僅かなものだが、これが貧しい暮らしをしている山頭火にはうれしかったに違いない。その割には、日記によれば酒を飲んでいる場面ばかりが目立つが。その相手をしているのも、もっぱら樹明氏である。

 日記を読むと、酒ばかり飲んでいるように見えるが、実は其中庵時代に、山頭火の精神面はあまりよくなかったのだろう。この其中庵時代に彼は自殺未遂事件を起こしている。事件を起こしたのは昭和10年のことだが、この日記の中にも彼の精神面の不安定さが透けて見える気がする。

自己清算、それができなければ私はもう生きてゐられなくなつた。いさぎよく、自己決算でもやれ(やれるかい)。



盃の焼酎に落ちて溺れて蠅が死んだ、それは私自身の姿ではなかったか。



夜は長かつた、暗かつた、朝が待ち遠かつた、とうとう朝が来た、死にたくても死ねない人生だ、死ねないのに死にたい人生だ。



死期遠からず ― 何となくこんな気分になつた、
☆☆☆☆
※初出は「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

 

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