著者の山野井泰史は言う。「クライマーは常に上のレベルを目ざして登り続ける」と…。そして山野井はこうも言い切る。「いつの日か、僕は山で死ぬかもしれない。死の直前、僕はけっして悔やむことはないだろう」という。私たち常人には計り知れない世界的クライマーの胸の内を覗いた。
私が山野井泰史を知ったのは今から15年前、ノンフィクション作家・沢木耕太郎が「凍」を著したときだった。「凍」は山野井泰史・妙子夫妻が、ヒマラヤの高峰・ギャチュンカンに登頂後に雪崩に遭い、瀕死の重傷を負いながらも生還した一部始終を著したノンフィクションである。山野井夫妻はこのとき生還はしたものの、山野井が右足の指5本全部と、左右の手の薬指と小指を、妙子夫人は手の指全てを付け根から切断するという大怪我を負ってしまう壮絶な山行の記録を読み、戦慄を憶えたことをよく記憶している。
また、その後NHK特集で山野井夫妻が住む奥多摩山奥の住宅にカメラが入り、山野井夫妻にインタビューする番組も視聴することができた。その時、彼らの手や足の指はほとんどない姿だったし、妙子夫人は顔にも後遺症が残っているように見えた。
※ 自宅で寛ぐ山野井夫妻です。妙子夫人の頬には後遺症が残っているように見えます。
そのNHK特集で印象的だったのは、山野井夫妻が手足の指を失ったことに対しての悲壮感などみじんも感じさせなかったこと、手の指全てを失った妙子夫人が不自由な両手を工夫し家事をしっかりとこなしていたことが印象的だった。そして夫妻は不自由になった手足を使ってさらに岩壁に挑もうしていることを知り驚愕したものである。
山野井の登攀スタイルは、アルパイン・クライミングと称されるクライミングスタイルで、もともとは「ヨーロッパアルプスでのクライミング」という意味のようだが、そこから派生し「難易度の高いルートを選んだ登山」とも言われ、非常に危険性の高いクライミングである。
本書は、その当人がギャチュンカンに登頂そして遭難も含め、印象に残っている7つのアルパイン・クライミングの挑戦の様子を自ら綴ったものである。その一つ一つのクライミングは、一つ間違えばそこには死が待ち構えているような過酷なクライミングの連続である。その表現力はさすがに沢木耕太郎には及ばないものの、クライマー自身が語っているところに説得力がある。
また、世界的なクライマーと称されるようになった背景には山野井が中学生のころから絶え間なくクライミングを続けてきたこと、そしてそのクライミング一つ一つに全身全霊を傾けることによって培ってきた体力、知力の総合力が今の山野井を形成しているということが理解できる書だった。
※ 失くしてしまった手の指を見つめる山野井氏です。
山野井のようなクライミングは、いつもが死と隣り合わせのクライミングである。だから彼はいつも死を感じているという。だから彼は言う。「ある日、突然、山での死が訪れるかもしれない。それについて、僕は覚悟ができている」と…。もうこのレベルになると、私たち素人が彼のやっていること、やろうとしていることをとやかく言う資格はないということかもしれない。できうるなら、山野井夫妻にはこれからもアルパイン・クライミングを追求していただきながら、いつの日か山から離れ安穏な生活も味わっていただきたいと思うのだが…。
今日、山野井泰史氏は50歳に到達したはずであるが、彼は今もなお不自由な手足を駆使しながらいまだにクライミングを続けているという…。
読後感はいかがでしたか?
ここまで自らの命を賭けてクライミングに徹する山野井氏の生き方は私などの凡人には想像を絶する生き方に映ります。