田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 「ノー・アザー・ランド ~故郷は他にない~」 №393

2025-03-29 20:00:27 | 映画観賞・感想
 非常に心が重くなる映画である。今まさに衝突を繰り返しているパレスチナとイスラエル…。その根幹は土地の奪い合いである。ある意味で強引に武力で土地を奪おうとするイスラエルに対して、パレスチナの人々が必死に抵抗する姿を追ったドキュメンタリー映画である。

      

 昨日(3月28日)午後、シアターキノで上映されている「ノー・アザー・ランド ~故郷は他にない~」を観ました。
 観ようと思った動機は、この映画の共同監督の一人であるハムダーン・バラール氏がイスラエル人から暴行を受け、その後イスラエル軍に拘束されたうえリンチを受けた末に釈放されたというニュースに接したのが直接の動機でした。

 映画は、イスラエルが占領を主張するヨルダン川西岸のパレスチナ人居住地区(マサーフェル・ヤッタ)にイスラエル軍が訓練基地を造成するという理由で、そこに住むパレスチナ人の住居や小学校などの家や施設をブルドーザなどで強制的に破壊する様子を映し出します。
 映画を撮った共同監督の一人、バゼル・エイドラはそこで生まれ育ち、イスラエルの横暴の様子を幼いころからカメラに記録し、世界に発信していました。そこへイスラエル人ジャーナリストであるユーバール・アブラハムが訪れた。ユーバールは、自国政府の行いに心を痛め、バゼルの活動に協力しようとこの地を訪れたのでした。
 
 二人は同じ年齢だったこともあり意気投合し、二人に加えてさらにパレスチナ人とイスラエル人の友人を加え、4人が共同監督となりイスラエルの破壊行動を記録し続けました。
 イスラエル軍の破壊活動は容赦ないもので、地上にある建物はほとんど全てを破壊し、はてはパレスチナ人のライフラインである水道管さえ破壊してしまいます。パレスチナ人たちは洞窟のようなところで生活するしかない状況を追い込まれます。
 
 カメラは執拗に、そして事細かにその様子を映し出します。現代はスマートフォンの動画、あるいは手持ちのカメラで容易に映像として残せる時代だからこそ、こうした現状を映し出すことが出来るということを改めて教えられた思いです。 

 2023年10月まで撮り続けた記録は、一つの長編ドキュメンタリーとして一応の完成をみます。
 映画は世界に大きな衝撃を与え、各種映画祭において圧倒的に評価され、各賞受賞しますが、今年3月には最も影響あるアカデミー賞において「長編ドキュメンタリー賞」に輝くという栄誉に輝きました。

    
 ※ アカデミー賞「長編ドキュメンタリー賞」のオスカー像を手にした4人の共同監督たちです。

 そのことがイスラエル側を怒らせた結果なのでしょうか?前述したように共同監督の一人が暴行を受けたうえ、拘束され、リンチに遭うということに繋がったようです。
 俗にいうパレスチナ問題というのは、私のような浅学菲才の者が軽々に述べるほど簡単なものではなく、非常に複雑な経過を辿り現在に至っているようです。

 ただ、現象面だけを見ると、圧倒的な武力を背景としてイスラエル側が無慈悲とも思える攻撃をくり返しているという事実があるようにも思えます。
 武力の行使によって悲惨な思いをするのは、いつも無力な住民たちです。
 武力に頼らずに解決する術をなんとか見いだせないものでしょうか?

 ドキュメンタリーの最後も悲惨でした。イスラエル入植者の一人がカメラの前でパレスチナ人に向けて発砲したのです。私は画面を観ながら、思わず「ワッ!」と声を出してしまいました。 



宮沢賢治と新見南吉の作品を読む朗読会

2025-03-28 11:14:46 | ステージ & エンターテイメント
 宮沢賢治、新見南吉というと、童話作家として超一流のお二人である。そんな二人の作品を取り上げた朗読会があった。朗読の世界に若干の疑問を抱いていた私だったが、思い直す契機となったような気がしている。

     

 3月26日(木)午後、渡辺淳一文学館で朗読スクール「みんなの朗読 第6期 受講生発表会」があり参加してみました。
 朗読スクールとは、渡辺淳一文学館が主催するスクールで、ドラマチック・リーディング・グループ「蔵」などに所属する栗山博氏が3カ月にわたり指導した結果、発表する会のようでした。今回は8名の受講生の皆さんが朗読されるのを聴くことが出来ました。

    
    ※ 渡辺淳一文学館の外観です。

 渡辺淳一文学館のホールは地下にあって、座席数100名程度のミニホールですが、とても落ち着いた雰囲気のホールだなぁ、と映りました。

 朗読された作品は…、
 ◇新見南吉作「手袋を買いに」
 ◇宮沢賢治作「風の又三郎」

の二作品でした。

 朗読する受講生は計8名の皆さんでした。
 最初に新見南吉作の「手袋を買いに」が朗読されましたが、およそ20分程度の作品を3名の方によって読み継がれました。受講生のみなさんの朗読については後述しますが、私が今まで体験した朗読会と異なっていた点についてまず触れたいと思います。
 それは、朗読と共に効果音が流されたことです。併せて、バックには絵本に描かれている絵が投影されたことです。このことが大変効果的に私には映りました。

   
  ※ 朗読中は写真撮影はNGでしたので、開演前のステージを撮らせてもらいました。

 続いて、小休止の後、宮沢賢治作の「風の又三郎」が朗読されました。こちらは約80分間という長編で、8人の方々によって読み継がれました。
 こちらももちろん効果音とバックに画が投影される中での朗読でした。

 さて、全体を通しての今回の朗読会の印象ですが、読み手の皆さんのレベルがとても高いレベルで揃っていたということが第一の印象でした。
 特に特徴的だったのは、声の質は個々それぞれなのはもちろんなのですが、どの読み手の声も聴いている者に心地良く聴こえてきたことでした。
 これはきっと指導される栗山さんが、受講生一人ひとりに様々な声を出させて最も相応しい声を見出して、その声を徹底させた結果だったのではないか、と推測したのですが、実際はどうなのでしょう?
 指導される栗山さんが「ドラマチック・リーディング・グループ」に所属されているということですが、効果音やバックに投影される絵も含めて、「これぞドラマチックリーディングなのか?」と思わせてくれました。

 今回は「受講生発表会」ということで無料で公開されましたが、受講生の方々がさらに修練された暁には、市内各所で開催されているような有料の朗読会に出演することに繋がっているのかもしれません。
 そういう意味では、一度有料の朗読会も一度体験してみなくては、と思い始めた私でした。



前札幌市長・上田文雄氏のヒューマニズム

2025-03-27 16:54:28 | 講演・講義・フォーラム等
 上田氏は前札幌市長として、政治姿勢を明確に打ち出していただけに、そのことに対する賛否は当然あるだろうと思います。しかし、今回お聴きした上田氏のお話からは、上田氏の依って立つ基盤がヒューマニズムに基づいたものであることを知り、共鳴できる部分が多いお話でした。

 一昨日(3月25日・火)、NPO法人シーズネットが主催する市民公開講座が開催されたので参加しました。
 公開講座は基調講演として「これからの市民活動に期待したいこと」と題して上田文雄氏が講演されました。
 上田氏は冒頭、自分はもともと市民の方々と一緒にNPO活動に取り組んでいたことを話されました。その中で、仲間から市長に担ぎ出されたものだと…。つまり氏はNPOの理念に深く共鳴され実践してきたことを、市政においても反映するよう努めてきたと強調されました。
 そして、上田氏が今考えていること、これからの願いなどについて話されましたが、私には共鳴できる部分が多いお話でした。
 そこで本日は、上田氏は項目別にまとめたものを提示されたので、それをそのまま転写することで本日のレポとしたいと思います。

      

◆僕が大切に思っていること
 ◇自由、人権、民主主義、平和
 ◇情けは人(他人)のためならず
 ◇豊かさを求めて 感謝から感謝への連鎖 NPO法人への誘い
 ◇高齢社会の指針と「健康寿命」から「生きがい寿命」延伸へ
 ◇ 「生きがい」の正体は「社会的存在として」心地良く、楽しく、元気
 ◇人は一人では生きていけない。生きるために不都合を乗り越えるために他
  の人の知恵や助力を得なければ…
 ◇ The Personal is Political 個人的な問題は政治的課題だ。
 ◇政治を、社会を変えるためには、社会的課題解決のための実践と政治家を
  育てるためのプログラムをNPOが提示し、政策提言をする。 

◆僕らが語り続けなければならないこと
 ◇人間が殺し合いをすることをやめさせること。
 ◇ロシア vs ウクライナ
 ◇イスラエル vs パレスチナ
 ◇日本国憲法9条を武器に、世界をリードする日本になるために平和な社会
  に生を受け、これまで兵隊にならずに生きられた世代の責任として、自ら
  の子どもに、孫に、その友だちに絶対に戦争をしてはならない心を育てる
  努力しょう。 

※ ここで上田氏は、MLBドジャース所属の大谷翔平選手が高校一年生の時に作成したという「曼荼羅チャート」を提示し、「世界平和を実現する」ための曼荼羅チャートを氏の大学時代の友人である弁護士の方と構想中であると語りました。
   

 そして講演の最後に、次のような言葉を提示して講演を終えました。

◆高齢者社会で市民は何をなすべきか
 ◇健康寿命から生き甲斐寿命へ ~ 社会的存在であり続ける
 ◇市民とは何か 社会に関心を持ち参加し続ける人々
 ◇主観的にはメディアリテラシーを磨き続ける努力
 ◇具体的行動…戦争に行かなくてよい時代に生きられた事の素晴らしさを子
  どもたちや孫たち、周りの若者に伝えること。 
 ◇多文化・多元的価値・多様性を承認する人格を育てる。
 ◇学校教育で平和のために何をなすべきかの思考能力の獲得を目標とする。
 ◇紛争解決の知恵を身に付ける 暴力 武力 不使用への努力の歴史を学ぶ 
  憲法9条の精神的価値 国際協調主義  
 ◇平和的思考回路を持つ政治家を育てる…NPO活動への参加   

 講演の最後に上田氏は、前記した「世界平和を実現する」を目標とする曼荼羅チャートを試作してものを提示し、さらに友人たちと精査し完成した暁には教科書に採用してもらえるように要請していきたいと話されました。それを参考にして子どもたち一人ひとりが「世界平和を実現する」曼荼羅チャートを作成してくれることを願ってのことでしょう。

   

 上田氏の話されたことに対していろいろとご意見もあろうかと思います。敢えて私はここで、上田氏が唱えたこと一つ一つについてコメントは避けたいと思いますが、「世界平和を実現する」という上田氏の思いはどなたからも賛同いただけると思います。問題はそこへ向かってどのようにアプローチするかについてはいろいろとご意見があろうとは思いますが…。                     


DVDフォーラム「中島みゆき『夜会』シリーズ」

2025-03-26 19:56:46 | 「めだかの学校」関連
 今や女性シンガーソングライターの盟主と称しても意義を挟む声がないくらい中島みゆきの名声は知れ渡っています。そんな彼女の中期を語る際に欠かすことのできない「夜会」シリーズの一つ(一巻)を観賞しました。

 一昨日(3月24日・月)、私が所属する「めだかの学校」は、3月の2度目の学習会を実施しました。内容は会員が保有するDVD「中島みゆき『夜会』」のシリーズの中の一巻を視聴し、会員同士で感想を語り合うというものでした。
 今回、私たちが視聴したのは「中島みゆき『夜会』DVD全8巻」の中の第2巻「夜会VOL.3「KAN-TAN(邯鄲)」という一巻の放映時間が126分という長尺ものでした。
     
 視聴した巻が「夜会」の第3回目の作品で1990年暮れに全国20公演したもので、中島みゆきが38歳の時の作品のようですが、この作品の中で彼女は26曲の歌を披露しています。
 サブタイトルの「KAN・TAN」とは中国故事「邯鄲の夢(かんたんのゆめ)」のことだそうですが、それに彼女自身の新たな解釈を加えて一人の女性の心理を「一炊の夢」として演じたものだそうです。「一炊の夢」とは、人の人生は儚いという意味だそうです。

   

 さて、実際の視聴ですが、これが非常に残念でした。というのも、再生機(プロジェクター)の音声が不調のため、中島みゆきが話すセリフがほとんど聴きとれなかったのです。(歌の方はなんとか聴こえたのですが…)これは主催者である私たちの責任なのですが、これまで使用して何の問題もなかったことから事前チェックに甘さがあったと言われれば返す言葉もありません。
 私はこのことですっかり興が覚めてしまいました。始めてしまったからには止めるわけにもいきません。私にとって、いや他の方々にとっても忍従の126分間だったのではないでしょうか?申し訳ない気持ちでいっぱいです。 

 ということで、中島みゆきが中国の故事から得たヒントも、「一炊の夢」と考えた意味もまったく理解できぬまま126分になってしまいました。
 ある意味で期待していた私でしたが、ストレスばかりが積もる時間でした。
 DVDを提供していただいた中嶋みゆきファンのK氏には大変申し訳ないことをしました。

 こんな愚痴ばかり並べたてる文章を見せられても、読んでいただく諸兄にもストレスを与えだけになってしまいそうなので、若干私の ‟中島みゆき論” を述べてみたいと思います。
 中島みゆきの作詞・作曲の能力の高さは私が述べるまでもなく、素晴らしいものがあると思っています。彼女が多くのミュージシャンに楽曲を提供していることからも、そのことが裏書きしています。
 ただ、私は彼女の歌唱についての印象はそれほど高くはないのです。彼女のある種凄みのあるような歌声には、どうもついていけないところがあるのが正直な気持ちです。
 
 そうした中で、私は中島みゆきの曲をカバーするアマチュアミュージシャンをある日見出したのです。それは北海道在住の夫婦デュオ「ひで&たま」という二人なのですが、妻のたまが歌う中島みゆきの曲が、中島みゆきの曲の良さを際立たせる歌唱だと私には思えたのです。

    

 感激した私はさっそく拙ブログに「珠玉のデュオ「ひで&たま」を見つけた!」と題して投稿しました。投稿したのは2021年3月12日のことです。すると、私と同じ思いの人がけっこういたのです。いまだにこのブログにアクセスが続いているのです。興味のある方はぜひアクセスしてみてください。

 その中でも触れていますが、私が中島みゆきの数多い曲の中で(知らない曲の方が多いのですが…)最も気に入っている曲は「ホームにて」です。「ひで&たま」ももちろんカバーしています。ユーチューブにもUPされていますので、興味のある方はそちらもアクセスしてみてください。なお、たまの魅力がより感じられるのは「美唄」でのコンサートの方が良いと思われます。
 ただ、残念なことに「ひで&たま」の二人はなぜか活動を中止してしまい。彼らのライブを聴くことが不可能です。

 とぐだぐだと述べてきましたが、このままでは中島みゆきの「夜会」が私の中では残念な印象しか残りません。できればK氏からDVDを個人的に借用してもう一度じっくり視聴してみたいと思っています。



二つの市民向けコンサート

2025-03-25 11:46:45 | ステージ & エンターテイメント
 市役所で行われた「市民ロビーコンサート」でクラシックギターを、そして東区民センターで行われた「ハッピータッピーコンサート」で和洋楽器と舞踊のコラボレーションという珍しいコンサートを楽しみました。

 少し時間が経ってしまいましたが、3月21日(金)に2ヵ所で市民向けのコンサートが開催されので、2ヵ所を梯子して楽しませてもらいました。

 一つは、札幌市役所が主催し、毎月一度開催されている「市民ロビーコンサート」です。毎回12時25分から55分までの30分間のミニコンサートですが、毎回素晴らしいゲストを招いてのコンサートなので楽しみにしています。
 今回のゲストは、クラシックギターの山本朝香さんでした。山本さんはアラフォーといった年代の方でしょうか?ネットで調べたところ二人のお子さんの母親でもあると出ていました。
 プログラムのプロフィールによると、山本さんは、幼少の頃よりギターに取り組み、学生時代には各種コンクールで優秀な成績を収め、その後国内外で研修された後、現在は旭川・札幌の両市でギター教室を主宰されている方ということです。

        

 僅か30分間という短い時間で次の4曲を披露してくれました。
 ◇横尾幸弘/さくらの主題による変奏曲
 ◇イギリス民謡/グリーンスリーブス
 ◇J.S.バッハ/アヴェマリア
 ◇A.ルビーラ/愛のロマンス~禁じられた遊びより

 私はギターのコンサートを聴くと、あの繊細な指さばきをマスターするにはどれほどの時間を要したのだろうといつも思ってしまいます。今回の山本さんはプロとして活動されていますから、私はその指さばきを最前列で見惚れていました。
 僅かな時間でしたが、至福のひと時でした。

 続いて、地下鉄で東札幌に移り、午後2時から東区民センターで開催された「ハッピータッピーコンサート」に足を運びました。
 ‟ハッピータッピー”というネーミングを不思議に思われる方はいらっしゃらないでしょうか?私も以前はそう思っていました。ある時、何かの文書を目にしたところ、東区はもともと札幌市内でも玉ねぎ産地(「札幌黄」という品種)として有名でした。その由来を受け「たまねぎ」の「た」と「ハッピー」を掛け合わせて「タッピー」というネーミングが生まれたそうです。

 こちらのゲストは「故新和樂(こしんわらく)というピアノと日本の古楽器、そして舞踊とが一つのステージで演ずるというちょっと珍しいコンサートでした。
 「故新和樂」とは、札幌発のジャンルを超えた新しい音楽舞踊集団による、古から伝わる伝統的な和楽器、それに日舞に「洋楽」と、「現代」と「古代」との要素を融合をさせたクリエイティブなステージを提供することを目指すグループだそうです。

 故新和樂は数名の方々で活動されているようですが、今回はその中から4名の方が出演されました。その4名とは…
 ◇西崎 鼓美さん(にしざき つつみ)  日本舞踊
 ◇望月左喜佳さん(もちづき さきか)   長唄囃子囃子方
 ◇鳳聲 小晴さん(ほうせい こはる)   長唄囃子笛方
 ◇守屋 亜樹さん(もりや あき) ピアノ演奏

  
※ この写真は昨年夏のコンサートの際のポスターのようです。写真の6人の中から、今回はこうの紫さん、津野田智代さんの二人を除いた4人の方が出演されました。

 演じられた曲目、そして舞踊は次のとおりでした。
 1.舞踊 長唄 越後獅子
 2.春の歌メドレー
 3.朧月夜
 4.春が来た
 5.荒城の月(会場と合唱を求めながら、踊り付きで)
 6.語り舞 桃太郎

 出色は日本舞踊の西崎鼓美さんの存在でしょうか。彼女のしなやかな舞い、そしてユーモアのあるリード、コンサートが明るい雰囲気の中で進行されました。
 特に、最終演目の「語り舞」というのが珍しく思いました。「桃太郎」のお話を語りながら舞い踊るのです。もちろんそれに和楽器とピアノも合わせて…。これぞ新たな芸の在り方なのでは、と思わせてくれました。
 長唄囃子方の二人も、長唄のかなりのキャリアの持ち主ではと思われたのですが、 今回のように果敢に新たな試みに挑戦されていることを尊敬したいと思います。
 「故新和樂」の皆さんは定期的に発表の場を持っているようですが、札幌発の新たな挑戦が実を結ぶことを期待したいと思います。              

※ 二つのコンサート共に写真撮影はNGでした。最近は規制が厳しくなかなか写真撮影ができなくなってしまいました。そこで今回は止むを得ずウェブ上で公開さそれている写真を拝借しました。

北海道低山紀行 110 奥手稲山

2025-03-24 20:09:11 | 北海道低山紀行 & Other
 何を血迷ったのか、数年前に卒業したはずなのに、突然「山に登ろう!」と思い立ってしまった。もちろん、それなりの理由はあるのだが…。(後述します)それにしても数年のブランクは大きかった。喘ぎ喘ぎの登頂だった…。

 昨日(3月23日)、スノーシューを駆って奥手稲山登山に挑みました。
 「奥手稲山に登ろう!」と決心したのは2週間前くらいでした。それまでは山に登ろうなんて、これっぽっちも考えていなかったのに…。
 ある日のことでした。札幌を中心としたアウトドアのイベントを網羅して紹介する「北海道ウオッチングガイド」という「自然ウオッチングセンター」が発行する機関紙がありますが、そこで「遊悠倶楽部」という団体が「奥手稲山 スノーシュー登山」を計画し、参加者を募っていました。私は思わずそれに飛びついてしまったのです。

 というのも、私は退職後の2010年から20年にかけて「北海道低山紀行」と題して、札幌を中心に道内各地の山の単独登山を楽しんでいました。そして密かに目標としていた100座登頂を果たしたので、一応登山に区切りを付けたつもりでした。
 ただ心残りは、北海道新聞社が発行する「夏山ガイド 道央の山々」編の中に「札幌・小樽近郊」という箇所があるのですが、そこで紹介されている山々17座のうち唯一「奥手稲山」には登ることが出来ないままとなっていたのです。というのも、奥手稲山は登山口が民有地となっていて日曜以外は入るのが困難だったり、山頂直下は夏はコースそのものが曖昧だったり、登山コースが開設されていなかったりと、単独登山ではおおよそ無理らしいということで諦めていた山でした。
 それが突然、「グループ登山で行ける!」と知り、思わず手を挙げてしまったということなのです。

 当日は、午前7時に市役所前で「遊悠倶楽部」のワゴンが拾ってくれ、満員の10人で登山口のある定山渓の奥に向かいました。
 メンバーの構成は、男性が4名、女性が6名という構成でしたが、私以外の男性はどうやら主催者の方々で、リーダー役といった感じでした。女性は聞いていると全てが「遊悠倶楽部」の会員の方といった印象でした。つまり会員外は私一人で、とんだ闖入者だったようです。
 道路は途中までは雪はなかったものの、山奥深く入ったところではまだまだ雪道でした。

   
  ※ 登山口には雪に埋もれた「春香山小屋」と記された小屋が建っていました。

 午前8時30分、登山口の「道々朝里線春香山登山口」に着き、さっそくスノーシューを装着して登山を開始しました。

   
   ※ スノーシューを装着し、スタートしようとしている私たちの集団です。

 最初は林道歩きです。コンデイションは曇っていましたが降雪はなく、林道のために風も感ずることはありませんでした。そしてコースも結構な登山者がいるとみえ、スノーシューの踏み跡が残りけっこう堅雪状態でスムーズに歩は進みました。約1時間超、林道歩きは続きました。

   
   ※ 長い林道歩きが続きました。

 そして林道の終点近くから、尾根に登る急登が始まりました。この急登が最難関でした。スノーシューの先についた爪を雪の中に蹴り込んでずり落ちないように注意しながらの登りが続きました。
 ここで私は倶楽部の方々の脚力、スタミナを嫌というほど見せつけられました。私はすでに息が上がり、かなりの疲労を覚えながら一歩一歩刻んでいるのに、私の後ろに付く二人の女性は、ずーっとおしゃべりをしながら登り続けているのです。これにはガックリしました。彼女らだって年代的には少なく見積もっても60歳代後半に見えたのに…。やはりふだんから登山に親しみ、それだけ体力も付いているということなのでしょう。

   
   ※ 急登に取り付き、登り始めたリーダーです。

 約30分の格闘の末、尾根に取りつきました。そこからはじわじわと高度を上げ続けるコースでした。急登でスタミナを使い果たした私には辛い辛い上りが続きました。
 集団登山では、周りから遅れることは迷惑をかけることに繋がるので、それだけは避けたいと必死に喰らいつくのが精一杯でした。

   
   ※ 途中の休憩の様子です。

 思い返せば、私の最後の本格的な登山は2020年10月に青森県の白神岳(標高1,231m)を総行動時間9時間30分もかけ、悪戦苦闘の末に登頂したのが最後です。それ以来なのですから、もう山へ登る体力など遠くに消え失せてしまっていたのです。

 尾根に取りついてからじわじわと登り続けること1時間20分、精も根も尽き果てたと思ったころにようやく登頂することができました。
 ところが山頂は小雪が降り、風も強く、眺望はゼロという状態でした。山頂近くの立ち木に記された山頂標識の前で記念の写真を撮っただけで、すぐさま下山となりました。

   
   ※ 山頂はご覧のように眺望はなく、真っ白の状態でした。
       
       ※ 疲れ果てた様子で山頂標識(木の上部)の前に立つ私です。

 山頂から15分ほど下った山林の中の風のないところで、立ったままで一口だけ握り飯を頬張ったのが昼食でした。
 登りに比べるとはるかに負荷は小さくなりましたが、疲れた体にはそれなりに辛い下山でしたが、約2時間かけて無事に下山することが出来ました。

   
   ※ 下山の様子はこれ一枚しか撮れませんでした。
  
 下山後は、定山渓温泉で倶楽部が手配してくれた温泉場で心地良い汗を流し、無事に帰宅することが出来ました。
 体力が著しく減退している中で、ちっょと無謀にも思われる冬山登山でしたが、私の中に微かに残っていた「奥手稲山を登ってみたい」という夢が実現できたことをヨシとしたいと思っています。
 倶楽部の皆さんからは「ぜひこれからも参加してください」とお誘いを受けましたが、私にとってはこれで本当に本格的登山に終止符を打とうと思っています。
              
【奥手稲山 登山データ】
標 高  894m(標高差約450m)
行 程  道々朝里線春香山登山口(8時30分登山開始)⇒(10分)⇒春香山との分岐点⇒(1時間)⇒林道から尾根に取りつく分岐点⇒(1時間50分※途中何度か休憩)⇒山頂(11時30分※吹雪で視界が悪いため5分の休憩で下山開始)⇒(その後15分ほど行動後に昼食休憩15分間)⇒(1時間20分)⇒林道から尾根に取りつく分岐点⇒(1時間)⇒登山口(14時10分)
駐車場  道々朝里線春香山登山口(7~8台駐車可能)
天 候   曇り時々粉雪、山頂では突風(眺望無し)
登山日  ‘25/03/23


北海道イエロースターズ苦杯

2025-03-23 20:26:15 | スポーツ & スポーツ観戦
 札幌市を本拠地とする男子バレーボールVリーグ(2部)所属の「北海道シエロ―スターズ」が快進撃を続けている。そんなチームを応援しようと昨日観戦したのだが、残念な結果となってしまった…。  

    
   ※ 観戦者には応援用のハリセンが配布されました。そこに描かれていた図案です。

 昨日(3月23日)午後、北ガスアリーナにおいてVリーグの1位と2位の対決となる北海道イエロースターズ vs 埼玉アザレアの対戦があり観戦しました。
 私は以前から一度男子バレーボールの試合を観戦してみたいと思っていました。その訳は、女子バレーとは一味違う、あの迫力あるプレーを間近で一度観てみたい、という思いがありました。今回たまたま、観戦招待のチケットを入手することが出来たので知人を誘い観戦することが出来ました。

 招待チケットの場合、良い席を確保するのは難しいと考え、開場時間の30分前に会場へ行ってみました。すると!私と同じように考える人が多数いて、なんと私たちの前に100m以上の長蛇の列ができていました。
 開場時間の2時に会場内に入ったところ、会場正面ではなく、裏正面にあたる3階のネットを真横近くに見える比較的良い席を確保することが出来ました。
 会場では両チームのウォーミングアップが盛んにおこなわれていました。

    
   ※ 対戦前の会場の様子です。白い煙は会場内の湿度を高めるためだと思われます。

 さて、ここまで快進撃を続ける北海道イエロースターズ(以下北海道YSと表記します)は対戦前の段階で26勝1敗と圧倒的な成績でトップを独走していました。一方、第2位を走る埼玉アザレアは20勝7敗でした。両チームの対戦成績を見ても北海道YSが4勝0敗と圧倒していました。
 私は当然北海道YSが勝利することを確信して試合開始を待ちました。

   
   ※ 試合前のフォトタイムですが、残念ながら正面からのものは撮れませんでした。

 午後3時、試合が開始されました。北海道YSの小気味よい試合運びでゲームが進行します。高い打点からの豪快なスパイクがさく裂します。また、男子バレーボールらしいスパイクサーブも時折り豪快に相手コートに突き刺さります。期待していた男子バレーボールの迫力を感じながら、当然のように第一セットを25-21で北海道YSが奪い取りました。

   
 ※ ネットを挟み両チームの攻防です。これは埼玉のブロックが決まった瞬間のようです。

 第二セットにはいっても北海道YSのリードで試合は進みます。「これは今日も楽勝かな?」と思っていたのですが、第二セットの後半になり北海道YSにもたつきが見え始めました。なんと粘り切れずにこのセットを23-25で落としてしまいました。

 こうなると埼玉アザレアは勢いが付き始めました。第三セットも28-26と接戦を落としてしまいました。埼玉アザレアにはキーマンがいました。ジェイコブというアメリカ国籍の選手で身長がなんと205㎝もある選手です。この選手がなぜか先発メンバーではなかったのですが、第二セット後半から交代で出てきてから様相が一変しました。高い打点から打つ彼のスパイクを北海道YSの選手は誰も止められず、簡単に点を与えてしまう状況となりました。埼玉はなぜ最初からこの選手を出場させなかったのでしょうか?

 第4セットに入り、ジェイコブ選手が先発で起用されなかった理由の一端を見た思いでした。それは彼の場合、一度失敗をすると、それが尾を引く選手のようなのです。失敗をすると次打球の強さは半減していたように見えました。それが第四セットに入って見え始めました。

 そうしたこともあり第四セットも延長に入ったもののかろうじて北海道YSが26-24で競り勝ち、セットカウント2対2となり、第五セットにもつれ込みました。

 第五セットは15点先取ゲームです。しかし、北海道YSは勝ち切れません。最終盤に痛いミスが二つ重なり、13-15でこのセットを落とし、今シーズン2敗目を喫する結果となってしまいました。

   
 ※ 北海道YSの選手のスパイクサーブを打つ瞬間ですが、動きが早くいくら撮っても静止画は撮れませんでした。

 う~ん。残念な結果ですが、勝負ですから仕方がありません。
 Vリーグに参戦するチームは、東地区と西地区に分かれています。東地区には8チームが所属していますが、シーズン最後には東地区と西地区の上位2チームが集まりプレーオフが行われることになっていますが、北海道YSはすでにプレーオフ進出が決定しているそうです。
 新制度となった今シーズン(2024-2025シーズン)のチャンピオンとなって初代王者に輝いてくれることを期待したいと思います。
 
 なお、対埼玉アザレアとは本日(3月23日)も第6戦を行い、本日はセットカウント3-1で見事昨日の雪辱を果たしたとネットで伝えていました。
 頑張れ!我らの北海道イエロースターズ!!

※ 私はスポーツ観戦の場合だけ、望遠の利くカメラを持参しています。今回も持参したのですが、なんとバッテリーを入れることを失念するという大失態をしてしまい、いつものカメラの使用となりました。望遠の利くカメラだと、もっと迫力のある画像を撮れたのですが…。(大した変わらないかな?)
 



ウクライナの歌と物語の朗読会

2025-03-22 10:09:06 | ステージ & エンターテイメント
 戦争中のウクライナから避難された方、日本語を学ぶために来日し札幌に住まわれている方、俳優として演劇、朗読活動をされている方、そしてピアノ伴奏を担われた方、いろいろな人たちが集い「ウクライナの歌と物語の朗読会」が催されました。


 どこにでも出没する田舎オヤジの面目躍如です!この日(3月20日)は南8条西2丁目の住宅街にある「ギャラ―リー土土(どど)を訪れました。
 「ギャラリー土土」は民間の小さなギャラリーだったので、30名も入れば満員になるくらいの規模の催しでした。

    
    ※ ギャラ―リ土土の外観です。探すのに苦労しました。

 この日の催しは、NPO法人の「とんでけ!車いす」の会の主催で、今回の戦争で負傷した方々のために、ウクライナに100台もの車いすを送ったことが契機となって実現した催しだということでした。

 いただいたプログラムによると、出演者は…、
 ◇タヤ・バルカロバさん
   2022年にウクライナから母親、妹と3人で避難されている方です。ウ
  クライナで9歳から声楽レッスンを受けていたこともあり、4月からは大
  谷大学の芸術学部音楽科に進学してプロのミュージシャンを目指すそうで
  す。
 ◇ベロニカ・クラコワさん
   2020年に日本語を学ぶために来日し、3年前に日本で結婚したのを契
  機に札幌で生活されている方で、ウクライナの国立ザポリージャ大学で文
  学を専攻していたこともあり、詩を創ることを趣味としているそうで、日
  本語が大変上手でした。
 ◇堀きよ美さん
   室蘭市出身で俳優をされている方です。現在、主として演劇を通してア
  イヌ民族文化を発信されているそうです。
 ◇西岡裕美子さん
   北海道教育大学の芸術コース音楽科を卒業し、現在は石山東音楽教室を
  主宰して音楽指導や演奏活動を行っているそうです。

 会はまず、ベロニカさんが世界的に有名なウクライナの民話「てぶくろ」をベロニカさんがウクライナ語で朗読し、続いて堀さんが日本語で朗読しました。そこに効果音として西岡さんのピアノが加わりました。ベロニカさんの朗読はどちらかというと淡々とした朗読でしたが、西岡さんの方は感情豊かに朗読されたように私には感じられました。

        
   ※ 絵本を朗読するベロニカ・クラコワさんです。ウクライナの軽装の民族衣装です。

 続いて、タヤさんの歌のステージでした。計5曲披露されましたが、全てがウクライナに伝わる民謡(民俗音楽)だということでした。一つ一つの歌の意味をベロニカさんが説明してくれましたが、中には恋の歌もあったのですが、全体としてどこか物悲しいメロディーに聴こえてきたのは気のせいでしょうか?
 タヤさんの歌声は、素直な発声で好感がもてる歌声でした。大谷大学で学ばれ目標のプロの歌手になられることを期待したいと思います。

        
  ※ ウクライナ民謡を披露したタヤ・バルカロバさんの民族衣装の正装です。

 この日の出演者は、それぞれが個性的な衣装で現れました。
 まず、タヤさんはウクライナの民族衣装の正装を、ベロニカさんは日常でも着用することがあるという民族衣装の軽装をそれぞれ身に纏い登場されました。
 さらには堀さんは、自らがアイヌ文化を発信していることからアイヌの衣装を、そしてピアノの西岡さんは「和装のピアニスト」として知られているとのことで、この日も和装でピアノ伴奏をされるというように、皆さんそれぞれ個性的な衣装を纏ってのステージ(?)となりました。

   
   ※ 民話「てぶくろ」を朗読する堀きよ美さんと、伴奏する西岡裕美子さんです。

 休憩を挟んで、今度はベロニカさんが現代のウクライナの曲を単独で、そしてタヤさんとデュエットで披露してくれました。
 そして最後に、ウクライナ戦争が始まって3ヵ月経った頃に、戦場から愛娘に届いた一通の手紙がウクライナ語、英語、そして日本語でそれぞれ披露されました。
 ウクライナ語や英語では、まったく意味が把握できませんでしたが、堀きよ美さんの情感を込めた朗読で一気に胸が詰まらせられる思いになりました。その内容は戦場からの父親が「お父さんがいないことを哀しまないでほしい。庭の花々はきれいに咲いているかどうかを知らせてほしい」といったような内容でした。

    
    ※ 最後に出演者4人が揃って…。

 通り一遍の評は避けたいと思いますが、この父親の便りには平和な家族の営みが無残にも壊されてしまったことへの哀しみが文章の外に感じられます。
 自然の猛威によって家庭の平和が壊されてしまうことにも辛いものがありますが、戦争という人為的な行為によって他の人の平和を奪い取ることが未だにこの地球から絶滅できないことに人間を愚かさを感じてしまいます。
 ウクライナに一日も早い平穏の日々が戻ってくることを祈らずにはいられません。

 最後に、参加者に飲み物と茶菓を振る舞っていただいたNPO法人「飛んでけ車いす」のスタッフの皆さまにも感謝申し上げます。

広大な野幌森林公園が今に残ったわけは…

2025-03-21 16:32:59 | 講演・講義・フォーラム等
 札幌市、江別市、北広島市にまたがる野幌森林公園…。住宅地や農地に挟まれながら広大な公園は多用な動植物が生息し、市民の癒し、研究者の研究の場として貴重な自然です。そうした広大な自然が残ったわけは??

 一昨日(3月19日)夜、札幌市豊平館の「歴史連続講座」の第4回講座(最終回)が開講されたので受講しました。
 今回のテーマは「野幌森林公園と北越殖民社」と題して北海道開拓の村の扇谷真知子学芸員が務めました。

 野幌森林公園の面積は2,053haで、札幌ドーム372個分に相当するそうですが、これほどの面積を持ち、かつ標高が30~90mの中に収まる山がない自然公園は国内には他に例を見ない貴重な公園だそうです。
 「野幌森林公園」のことを「野幌原生林」と称する方がいるそうですが、実際には明治の初期から利用・管理されてきて、林相も時代と共に変化してきたことから、原生林と呼ぶのは相応しくないとのことです。

   
 ※ 周りを宅地や農地に囲まれながら、広大な森を今に残してくれた野幌森林公園です。

 講座はまず扇谷さんが野幌森林公園の動植物に詳しいことから野幌森林公園内に生息するさまざまな動植物を紹介することから始まりました。
 私も野幌森林公園には度々訪れたり、公園で開催される観察講習会にかなり参加させていただいた経験があり、そこで生育する生物の多様性を肌で感じておりました。扇谷さんのお話から、改めて多様な生物があの森で生息していることを再確認することが出来ました。

 さて、本題ですが 明治年間に入り北海道開拓は「北海道開拓使」の発案により「屯田兵制度」を整備し、北海道開発が急ピッチで進められました。
 一方で、国は行政の整備も進め、1886(明治19)年に北海道庁を整備し、初代長官には岩村利通が就任しました。そして北海道庁はさらに北海道開発を進めるために「北海道土地払下規則」を制定し、未開地の大面積払下げが進み、団体を組織しての移住が増加しました。
 
 そうした動きの中で、新潟県の貧窮農民の救済のために「北越殖民社」が設立され、新潟から幌向原野(現在の江別太)に17戸が入植したのが始まりだそうです。その後も新潟からの入植は続き、リーダーたちの努力によって野幌原野(現在の野幌森林公園の近縁)に1889(明治22)年には最終的には320戸もの入植者があったそうです。当初は畑作中心だったものが、1891(明治24)年には米の試作が始まり、5年後には米も主要作物として収穫するまでになったといいます。

   
   ※ 野幌森林公園の遊歩道の一部です。

 さて問題の「野幌森林公園が今に残ったわけ」についてですが、北海道は1890(明治23)年に、野幌の森を地方自治体の基本財産として分割することを内定したそうです。このことは北越殖民社にとっては一大問題でした。
 というのも、当時の野幌の森は用水溜池として森の中に25以上の溜池を作り周辺の水田に水を供していました。しかし、野幌の森が農用地として払い下げられれば水源は枯渇し、水田が荒廃してしまう恐れが出てきたのです。
 北越殖民社のリーダーたち(関谷孫左衛門を中心とした人たち)は北海道庁に払い下げの中止を申し出るも受け入れられませんでした。諦めきれない関谷たちは当時の北海道長官の岡田安賢に直訴を試み、苦難の末に払い下げを撤回させることに成功したそうです。

 もし関谷たちの必死の訴えがなかったなら……。あるいは現在の野幌森林公園は農地や宅地となっていたのかもしれません。
 そういう意味では、大都会札幌の近隣に広大な森林公園を今に残してくれた関谷孫左衛門さんを始めとした北越殖民社の方々に感謝しなくてはならないかもしれません。

        
        ※ 野幌森林公園内を縦横に走る遊歩道の図です。

 講師の扇谷さんが野幌森林公園の遊歩道マップを提示してくれました。公園内には10数コースの遊歩道が巡らされているそうです。私は札幌へ来てから足繁く野幌森林公園に通ったこともあり、そのほとんどのコースを体験したことが分かりました。
 現在は車生活におさらばしたこともあり、野幌森林公園は遠い存在になってしまいましたが、公共交通を利用してこれからも四季折々に訪ねてみたいと思っています。



春よ来い♪早く来い♪ 花の種蒔き講習会

2025-03-20 10:40:54 | 講演・講義・フォーラム等
 マリーゴール、インパチェンス、ペチュニアとけっして珍しい花種ではありませんでしたが、初めてお会いする参加者たちと楽しく交流しながら種蒔きを行い、それを我が家に持ち帰りました。

     

 昨日午前、「さっぽろ花と緑のネットワーク」が主催する「花の種まき講習会」カナモトホールで開催され参加しました。
 参加者は50名限定で募集されたのですが、会場へ行ってみると意外に男性の姿が多かったのが意外でした。もちろん全体の参加者は女性の方が多かったと思いますが、私が指定されたグループは、5名の内4名が男性の方でした。
 私を含め4名の男性は全て現役をリタイアされた方々で、それぞれが仕事を離れたことにより、花に癒しを求められる方が増えているのかもしれません。

    
    ※ 種まき講習会の会場の様子です。まだ講習の始まる前でした。

 種蒔きの要領は別に難しくありません。
 セルトレイを用いて、その中に用土を入れて、まずマリーゴールドとインパチェンスの小さな種を注意深く均等に撒いていきました。その後、薄く覆土し霧吹きで用土を湿らせました。
 一方、ペチュニアの方は、主催者の方で予め育てておいて苗をポット上げして、同じくセルトレイに移植する体験をしました。

 講習会は和気藹々、花への関心が深い人、浅い人、それぞれでその体験談などを交流しながら進められました。グループには、「さっぽろタウンガーデナー」といわれる方が、講習会のために予め事前講習を受けていて、その方が親切丁寧にアドバイスしてくれながら種蒔きを進めてくれたので、とてもスムーズに進行することが出来ました。

    
    ※ 種蒔きを終えた私のセルトレイです。左からインパチェンス、マリーゴールド、ペチュニアを2列ずつ種(苗)を植えました。


 実は私は昨年度まで14年間も「さっぽろタウンガーデナー」に名前だけ登録させていただいていましたが、昨年度かぎりで近代美術館前の花壇整備の活動を止めたことで、タウンガーデナーの方も辞退させていただきました。その関係もあり、主催者の方が私のことをご存じだったことから、会場内で「長い間ご苦労さまでした!」と労いの言葉をいただきました。
 
 今後は、今回の「種まき講習会」でいただいた花などをベランダで楽しみたいと思っているところです。春の到来が待ち遠しいですね~。