マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

485系「はくたか」

2007-07-15 03:59:59 | 特急型電車(交直流・交流)
タイトルを見て、「はくたかは489系でしょ!」と思われた方も多いのではないでしょうか?このあたりは年代差が影響していると思います。

「はくたか」と言えば、上越新幹線の開業で廃止になるまで、金沢運転所の489系(「白山」と共通運用)というイメージがあると思いますが、昭和54年頃までは向日町運転所の481系又は485系が使用されていました。昭和40年代、新幹線博多開業以前は、「雷鳥」や「なは」「日向」「みどり」「しおじ」「しらさぎ」といった広範囲の仕業と共通運用でした。
その後、50・3改正で山陽特急が全廃となり、「しらさぎ」が金沢運転所に移管されるなどの大幅な改編が行われましたが、「雷鳥」の一部や「北越」との共通運用により、昭和54年頃に金沢運転所に移管となるまで、向日町運転所の運用が継続されていました。

今日ご紹介いたします写真は、向日町運転所の481系や485系を使用していた頃の「はくたか」の写真です。


昭和48年頃 西川口~蕨間にて 赤スカートのクハ481を連結した「はくたか」(再掲)

クハ481の赤スカート車は、60Hz車の象徴であり、西日本でしか見ることのできない憧れの車輌でしたが、唯一東日本で見ることができたのがこの「はくたか」でした。
私が安いカメラを買って、2本目のフィルムで初めてカラー写真を撮ったのがこの写真です。初めて見る赤スカート車には、それまで一番好きだった583系への想いを揺るがすほどのインパクトを与えられました。


昭和51年頃 上野駅にて 尾久客車区から回着した金沢行き「はくたか」

中学生になり、お小遣いである程度の範囲を電車で移動して写真を撮れるようになった頃。赤スカート車の写真を撮りたくて、上野駅へ行くと必ず「はくたか」をチェックしましたが、上の写真のとき以来、逢うことはありませんでした。おそらく、新幹線博多開業後に九州(南福岡電車区)に集中配置され、関西からも消えてしまっていたのでしょう。


昭和53年3月頃 東北本線 西川口~蕨間にて 金沢を目指して走る「はくたか」

489系への置換えが迫った頃ですが、そのときは知る由もありません。ご注目いただきたいのは、手前が最後部の上野よりクハ(1号車)ですので、489系ではないことがわかる写真です。

赤スカートの写真が撮りたくて、結構まめに「はくたか」をつけ回していたのですが、結局ダメでした。しかし数年後、九州から勝田区へこの赤スカート車たちがやってくるとは夢にも思いませんでした。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする