こんばんわ。
昨日も絶大なる応援ポチをいただきありがとうございました。
昨夜は所属の忘年会で帰りが遅くなってしまったため、コメントをご返事が遅れまして申し訳ございません。
今日は暫く空いてしまいましたが、大宮操車場ネタのうちご近所付き合いでもあり、共同作業の一員であった大宮機関区の懐かしいレンガ庫をご紹介したいと思います。
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/1015.html でEF65や
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/950.html でEF15が大宮機関区で憩う場面をご紹介したことがありましたが、屋根の無い電留線ばかりの絵でしたね。
大宮機関区には検修用のレンガ庫があり、昭和40年代半ばくらいまではSLが大宮操車場の入れ替えや川越線の貨物列車牽引の任に当たっていたらしいです。
私も母親の田舎に連れて行ってもらうときはここを通っていたわけですが、残念ながらSLを見た記憶は全くありません。
昭和57年7月頃 大宮機関区 レンガ庫
大宮操車場への職員輸送として、川越線で到着したキハ30系の列車が、職員を乗せてそのまま操車場構内に乗り入れます。
この写真はその車内から撮影したものですね。
昭和57年7月頃 大宮機関区 レンガ庫とキハ30系
構内渡慶賀示すように、朝の8時30分過ぎ。
レンガ庫の位置関係がイマイチ記憶に薄いのですが、この写真の目線の高さからして、線路を歩きながら撮影しているようです。殆ど大宮駅に近い場所から300mmの望遠で撮ったような構図です。
大宮機関区には、本線仕業の電気機関車が留置・待機する場所と、大宮操車場~大宮工場の入れ替えに使用されるディーゼル機関車及び川越線用のキハ30系が留置・待機する場所が別エリアで設けてあったようです。
レンガ機関庫はもちろん気動車関係のエリアにあり、写真でもお判りのとおり、架線設備は全く備えていません。
この写真では、このスパンにおける新幹線工事が未だ始まっていないようですが、昭和59年になるとかなり橋脚が建っている様子が分かりますので、おそらくその時期辺りに取り壊されてしまったのではないかと思われます。
煙抜きの付いた独特の形をしたレンガ庫、かつては全国各地の機関区で見ることが出来ましたが、今では残り少なくなってしまったと思います。
これは、老朽化というのもそうですが、阪神・淡路大震災の発生から耐震調査が普及し、震度5以上で倒壊する危険のある建物は耐震補強または取り壊しといった工事が実施されたため、鉄筋の入らないレンガ庫は急速に取り壊しが進んでしまったのではないかと思っております。
直接の職場ではなかったために、位置関係や出入りの様子の記憶も曖昧なのが残念です。
この写真はなんとなく撮ったものだと思いますが、かつての自分の働いていたエリアにあった遺構を記録することが出来て本当に良かったと思っております。
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