マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

ローカルな風景 第28回 (関東鉄道竜ヶ崎線)

2007-09-21 02:13:41 | ローカルな風景
1ヶ月振りとなってしまいましたが、今日はローカルシリーズの第28回目として、関東鉄道「竜ヶ崎線」の写真をアップしたいと思います。

関東鉄道「竜ヶ崎線」は、常磐線「佐貫」から「竜ヶ崎」まで、わずか2駅、4.5kmを結ぶ路線です。昔は途中にさらに2駅存在し、5駅間であったとのことです。

今日は特に説明する内容もありませんので、ギャラリー風に写真を載せたいと思います。








平成元年5月5日 関東鉄道竜ヶ崎線 入地~竜ヶ崎間にて(4枚とも)

日中は単行運転で、1両の車両が行ったり来たりしているだけ。何時間撮影しても、同じ車両しか写っていません。
写真は「531号」で、現存していません。現在は新車の2000形の他に、旧型の「532号」が在籍しています。
「531号」と「532号」は、一見同形態のようですが、「531号」は元江若鉄道の車両、532号」は元国鉄キハ20型で、出生が全く異なります。

平成になってからの写真ではありますが、今年、鹿島鉄道撮影の帰り道で19年振りに立ち寄ってみましたら、こんな状態になっていて唖然としてしまいました。


平成19年1月12日 関東鉄道竜ヶ崎線 入地~竜ヶ崎間にて

S字沿線にがっちりガードレールが張り付き、やたら電線が空中を飛んでいました。写真では、あまりのうっとうしさに、電線を避けるためズームアップしています。
ローカルな風景も、時間とともに移り変わってしまう寂しさを感じることがあります。

うんちく:関東鉄道では、「竜ヶ崎線」「竜ヶ崎駅」のように「竜」を用いていますが、市名が「龍ヶ崎市」ですので、「龍」の字が正式です。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州からの贈り物:クハ481赤スカート車回送

2007-09-20 03:47:54 | 特急型電車(交直流・交流)
こんばんわ。

私がこのブログを立ち上げたときから、好きだった車両に「クハ481赤スカート車」がることを逐次お伝えしてまいりました。

「クハ481赤スカート車」は、北陸特急「雷鳥」に新製481系を導入した際、直流専用である151系(後の181系)との識別のため、スカートを赤く塗ったのが始まりです。

その後、東北特急用として50Hz用の483系が新製された際、181系と配属が混合しなかったためか、赤スカートが省略され、クリーム色のみとなりました。さらに増備された485系では、関西方面にも進出していましたが、スカートが赤く塗られることはありませんでした。

そんなことで、元々北陸~山陽~九州方面にしか運用が無かったため、基本的に関東でこの姿を見ることが無く、唯一私が目撃したのが、向日町運転所所属であった頃の「はくたか」のみでした。
昭和48年頃 西川口~蕨間にて 赤スカートのクハ481を連結した「はくたか」
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/img/1170861470.jpg

その後、鉄道写真を撮りに大阪に連れて行ったもらったとき、「なは」「しおじ」など数種類のボンネット型の特急を見ましたが、唯一赤スカート車を見ることができたのが「みどり」でした。
昭和49年 大阪駅にて クハ481赤スカート車「みどり」
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/img/1171298142.jpg

そして、新幹線博多開業により九州に流れた赤スカート車は、時を経てこんなに無残な姿になったのでした。
「にちりん」に関する記事
http://diary.jp.aol.com/applet/marutetsu/20070721/archive


ここでやっと本題です。
九州にしか見られなくなった赤スカート車でしたが、九州特急の短編成化のため、定員が多く、冬期におけるスキマ風の心配がないとの理由からクハ481200番台が東北から九州へ転属。代わって、九州のボンネット車が大挙して「ひたち」増発用として九州から送り込まれて来たのでした。

そんな情報を国鉄職員だったときに「局報」から仕入れ、早朝から蕨駅に張り込むこととなりました。




2枚とも 昭和60年1月18日 蕨駅にて 「赤スカ車」回送の図

Tc+M+M'+M+M'+Tc の6両編成で九州へ向かい、帰りには前後に「赤スカ車」を連結し、
Tc+Tc+M+M'+M+M'+Tc+Tc という珍編成で何往復か運転されたようです。485系の場合、クハ481200・300番台なら中間に封じ込め、4両程度の一括回送ができたのでしょうが、先頭にジャンパ栓を持たないボンネット車は中間に組み入れることができないため、止むを得ない珍編成になってしまったのでしょう。

その後、回着した「赤スカ車」は常磐特急「ひたち」で活躍を始めましたが、いつの間にか正規のヒゲが復活していました。しかし、スカートの赤もクリームに塗りつぶされてしまい、結局、正規のヒゲ付き「赤スカ車」の復活を見ることはありませんでした。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EF5858+オールグリーン

2007-09-19 00:40:00 | 客車 列車・車両(ブルトレ以外)
昨日は余りにもアクセスが少なくて、非常にガッカリしています。結構良いネタだった筈なんだけどな~。なんかな~。

ところで皆さん、「オールグリーン」って知ってます?まぁ、列車が全部グリーン車で組成された列車を指す言葉なんですけど~。

じゃー、お座敷列車とか欧風客車とかパノラマアルプスのような列車って「オールグリーン」ですよね~。

でも、昔は欧風客車なんて無かったし、お座敷列車は「お座敷列車」であって、グリーンって次元じゃぁ無いんですよね~。

じゃぁ何さ?
電車や気動車では、グリーン車は基本的に中間車であって、制御車、モーター車まで全部グリーン車にするのは無理ですね。

したがって、「オールグリーン」が可能なのは客車だけなんですよぉ。
しかも、スロフが存在する62系限定ってところですね。

いつ頃だったか忘れましたけど、時刻表に「軽井沢グリーン」っていう臨時列車が走っていたことがあって、列車の注意書きに (全車グリーン車) なんて誇らしげに書いてあるんですよね。当時は、グリーン車どころか特急でさえ高嶺の花だった頃ですから、そりゃまぁすごい列車だったんですよ。私が知っている一般客を乗せる列車としては唯一だったんじゃないかと思います。

で、私はその「軽井沢グリーン」っていう臨時列車は撮って無いと思うんですけど、こんな写真を持っているんですよ。


昭和53年頃 東北本線 蕨~西川口間にて EF5858の牽く「オールグリーン」編成

良く分からないのですが、おそらくリッチな団体を乗せた列車の回送ではないかと思います。EF5858は宇都宮運転所のカマですので、東北スジで運転されたものでしょう。
一見、デビュー時の塗装のスロ81系お座敷客車にも見えますが、窓に障子が無いので、座席車のグリーン車であることが分かります。

昭和40年代末期くらいには、各地で団体列車として運転された情報はありましたが、昭和53年ですと「かなり珍しい」部類に入っていたと思います。何せ、客車急行自体がどんどん廃止になってきた頃ですからね。

ということで、「こんな写真は1枚しか持っていない」シリーズ(今回で終了)でした。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄 DD51型ディーゼル機関車 初期型

2007-09-18 19:37:49 | 国鉄・JR機関車(ディーゼル)
先程アップした「マイクロエースDD51型」に関連して、私が唯一撮影したDD51型初期車の写真をアップしたいと思います。

昭和56年、高校2年の春休みに2回目の渡道に挑みました。友人の提案で壮大なコースだったのですが、
1日目 上  野 23:20発 佐渡7号     新  津  4:59着
2日目 新  津  5:38発 833レ      青  森 19:40着
    青  森 ・・・
といった、所帯を持った今では絶対に考えられない行程でした。

これだけ長い距離を、時間を掛けてノンビリ列車に乗っていれば、途中で何かしらあるもんなんですね。

いつもどおりの長い前置きですが、やっと本題です。
途中の「あつみ温泉駅」で異様な光景に驚いたわけです。何がっていうと、こんな光景が目に飛び込んできました。


昭和56年3月10日 羽越本線 あつみ温泉駅にて DD5123留置の図

当時、EF641000番台の大量の投入によって廃車となった長岡区のEF58と一緒に、今まで見たことの無いDD51の2ケタの車両が停まっていたのです。羽越本線は村上以遠が交流電化ですから、本来EF58の居場所ではないだけでも驚きだったのですが。で、客車がホームに停まるや否や、ホームに下りて慌てて撮ったものです。

そして、席に戻りホッとした矢先、動き出した列車の反対側の車窓を見ると、こんなのが目に入ってきたのです。


昭和56年3月10日 羽越本線 あつみ温泉駅にて DD5113他留置の図

もっと若番の13号機で、しかも、正面のラインがプレートの下に一直線に入っているヤツじゃないですか。初めて見た実物に、慌てて反対側の席に移り、窓を開けて素早く撮影しました。(車内はほとんどって言うか、誰も人が乗っていないので、一応迷惑は掛けていません。)
後にも2両の初期車が連結されていましたが、動き出している車内からの撮影でしたので、番号は読み取れていなかったり覚えていなかったり・・・。

残念ながら、現役活躍時代の写真ではない寂しい結果ではありましたが、私にとって唯一無二の初期車の写真なんで、撮っておいて良かったという思いで一杯です。ですから、「マイクロエースはやってくれたな」という思いで買ってしまったのでした。(KATOならもっと良かったかっ・・・い、いやっ、何でもありません。)


うんちくメモ

DD51 13号機
 5~19号機の3次車に該当。燃料タンクが増量された。
 非重連型で、2次車と同様、正面帯がナンバープレートの下に入る特徴のあるタイプ。
 初期の1000PS×2台のエンジンを搭載したタイプ。(後に1100PSに換装)
 1964.4.14 川崎車両新製 盛岡区配置   1986.3.31廃車 最終配置区 東新潟区

DD51 23号機
 20~27号機までの4次車に該当。
 やはり非重連型であるが、正面白帯が初めてナンバーの部分に上がった。
 当初から1100PS×2台のエンジンを搭載したタイプ。
 1964.11.28 川崎車両新製 鳥栖区配置   1986.3.31廃車 最終配置区 東新潟区
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日の撮影:500系「のぞみ」篇

2007-09-17 01:05:04 | 写真撮影
日付が変わってしまったので題名が変わりますが、「ふじぶさ」篇の続きになります。

N700系に置換えの話題からいつかは撮りに行かなきゃと思っていた500系。娘の水泳大会とかでこの4月辺りからほとんど動きがとれず、やっと何の用事も無い連休がやってきました。
「はくたか」→「ふじぶさ」→「日野ブルーリボン」の流れで、ロケーションはともかくとして、取り敢えず撮っておきたかった。ということで、ここからは500系です。


田町駅にて 500系のぞみ 上り2号回送

「ふじぶさ」の回送を待っているときに来た車庫への回送列車。この辺りは在来線との間に背の高い金網が張ってあるため、ホームからの撮影には不向き。せっかくモノレールが通っているものの、ビームに邪魔されてインパクトも無くなった。

この沿線では「それなり」の写真も望めないので、取り敢えず「新横浜」にでも行ってみることにした。



新横浜駅にて 500系のぞみ 上り10号進入

新横浜駅も配線自体は悪くないのだが、架線柱が多く、望遠を使っても処理することが非常に難しい。しかし、そんなに遠くまで行くこともできないので、取り敢えず与えられた情況の中で何とかしなければ、そんな覚悟で撮った写真。
逆光の中を新横浜駅に進入するシーン。正面から見ても、やはり500系はカッコいい。



新横浜駅にて 500系のぞみ 上り10号のノーズを撮る

最後部は先端ギリギリに柵があり、魚眼レンズでもない限り撮影は不可能。発車しだしたところをヨコでもキツかったので、タテに持ち替えて撮った1枚。とにかく長い。ホームの影で明暗がついてしまったが、このショットが500系にはお似合いと思った。



新横浜駅にて 500系のぞみ 下り33号進入

先程の10号の折り返しである33号。そのまま上りホームから狙ってみた。手前の本線に入ってもらえればスッキリした写真が撮れたのだが、生憎遠いところへ行ってしまったので、望遠処理で、しかも左側の架線柱と安全柵に阻まれ後の切れた中途半端なし絵になってしまった。この駅での撮影は難しい。

生涯で初めて行った新横浜駅。30年ぶりくらいに本来の目的で買った入場券。意外と沢山いた家族連れの記念写真組。あまり良い絵は撮れなかったが、きっと思い出に残ることだろう。

そして、ちょっと気になった場所があったので、再び田町駅に戻ることにした。



田町駅付近にて 500系のぞみ 上り14号

終点東京へと駆ける500系。田町駅の新しくできた自由通路のテラスから撮った写真。
架線柱や新幹線の柵がうっとうしいが、バックを少し多めに取り入れて、都会的雰囲気をコラボしてみた。近いうちにこの風景も見納めとなってしまうのだろう。



田町駅付近にて 500系のぞみ 下り41号

東京を出発して、博多へと旅立つ500系「のぞみ」。
芸が無いが、同じ場所から折り返し41号を狙ってみた。今度は車両を一杯に入れて、バックにモノレールが写ることを期待して。
残念ながら、「のぞみ」が来る3分くらい前に両方とも行ってしまい、カブってはくれなかった。また機会があったら来てみよう。


ということで、これにて今日の撮影は終了です。
「ふじぶさ」や都バスの取り残しがでてしまい、課題を残してしまう結果となってしまいましたが、もう少しロケーションの下調べをして、また、デジカメの練習をして、また撮りにいければと思っています。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする