マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

EF5860(運命を異にしたお召予備機)

2007-09-26 00:00:08 | 国鉄・JR機関車(直流型)
今日紹介いたしますのは、今なお現役のロイヤルエンジン「EF5861」とともにお召列車牽引機を務めた60号機をお届けしたいと思います。

僚機61号機とともに誕生し、同じ出で立ちでこの世に生まれた60号機。その昔は61号機とペアを組んでお召列車の牽引にあたっておりました。
しかし、晩年は意外と東海道での運転回数が少なく、また、客車編成であるが故に非電化区間への乗り入れなど、その行き先に違った形式の機関車が用意されるなどして、あまり活躍の機会が無かったように思います。

むしろ、特急「いなば」「紀伊」や荷物列車など定期運用にしばしば登板することがあり、ファンにとってはこちらの方が注目されていたようです。

形態的には、今もってほぼ原形を保っている61号機に比べ、正面窓のHゴム化、フィルタのヨロイ戸など、最期まで守り続けた塗色以外は標準的な改造を受けてしまいました。
そういった意味では、ロイヤルエンジン61号機とは明暗を分けてしまった、違った人生を送らされてしまったカマに思えてしまいます。

私もこの60号機には滅多に逢えることができなかったため、大変興味がありました。下り東海道本線に乗ると、東京機関区の裏側を抜けていくときに、何度かお休み中の同機を見かけたことがありました。
しかし、結果的に写真に収めることができたのは、この1枚だけになってしまいました。


昭和52年3月30日 名古屋駅にて EF5860牽引の荷41列車

中学生のとき。大垣夜行から下りて、「金星」「さくら」などの写真を撮り、空腹に耐え切れず駅の立ち喰いきしめんの開店待ち。『ぬるくても良ければ出すけど』といわれてやむなく食事をしていると、どんぶり半ばもススル前に自分達のヨコを入線してきました。
ぬるいのを幸いに一気にかき込み、ホームの東京端の店から大阪端の停車位置まで約300mの猛ダッシュ。これまた幸い、停車時間があったので、何とか撮影することができました。
という思い出があります。
当日は生憎の雨で、露出不足がたたり暗い映像になってしまったのが残念ですが、何とか見られる写真でホッとしました。

それからチャンスはあったのでしょうが、東海道への撮影において逢うことは全く無く、写真に納まったのがこれだけだったのは非常に残念です。

そして、同じ浜松区の僚機である1号機や5号機を時をほぼ同じくして、昭和58年度に廃車になってしまったようです。
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EF58130(高崎第二区、最期のゴハチ)

2007-09-25 00:20:35 | EF58のアルバム
こんばんわ。

カテゴリの検討につきまして、ご意見や励ましのお言葉をいただき、大変嬉しく思います。内容もできるだけわかり易いように、また、楽しめるように考えてまいりたいと思いますので、引き続きご支援のほど、よろしくお願いいたします。

新設カテゴリのEF58ですが、あまり詳細がわかる資料が無いため、機能や形態分析、解説等が困難な状態となっております。したがいまして、ネタ的な内容の切り口になってしまい、詳細が知りたい方からすると物足りなく感じてしまうと思われますが、資料が手に入れば内容を更新するようなスタイルで充実させていこうと考えております。

では、今日は高崎第二機関区所属の130号機の画像をご覧いただきたいと思います。


昭和56年10月頃 西川口~蕨間にて EF58130の牽引する荷物列車

130号機は、全国のEF58淘汰が活発になってきた頃、長岡区の全滅(EF641000番台化)に続いて淘汰が始まった高崎第二機関区に所属していました。僚友が次々と倒れていく中で、同区において最後まで残ったのがこの130号機でした。

同機が終焉を迎えたのは昭和57年度と思われますが、それまでは、上越線の急行運用を始め、東北本線の荷物列車もすべて同区のEF58が運用していました。そのため、宇都宮運転所にも多数集結していたEF58は、晩年になるまでほとんど荷物列車の運用には就いていなかったようです。

130号機は、長岡区のEF58と同様に、スノープラウ、ツララ切り、ホイッスルカバーといういわゆる「上越仕様」で、側面のフィルタも原形を留めていました。

高崎第二機関区からのEF58型撤退に伴い、残った東北・上越の荷物列車はすべて宇都宮運転所の運用に移行し、別の地の僚友にその責を託すことになりました。
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EF15 5

2007-09-24 12:15:36 | 国鉄・JR機関車(直流型)
早速ですが、旧型電機篇です。

今日はEF15の5号機の画像をお届けいたします。


昭和52年 蕨駅にて 構内入換を行うEF155

5号機のデータ

1947.12.24 日立製 長岡第二機関区 新製配置

1949. 4. 5 福島第二機関区へ移動

1951. 6.28 EF16 5号機に改造

1967.12.27 EF15 5号機に復元

1980. 1.17 廃車 最終配置区 甲府機関区


5号機は、元は上越線用として配置されましたが、奥羽本線電化と同時に福島第二機関区へ移動、板谷峠対応となりました。
しかし、板谷峠における連続勾配は殊のほかキツく、タイヤが弛緩するといった問題が現われてきました。そこで、連続下り勾配に対応できる「電力回生ブレーキ」装置を備えたEF16型に改造されています。
その後、同機は再び長岡第二機関区へと戻り、さらに比較的早いうちにEF155に復元され、新鶴見区にも配置となり首都圏の貨物列車の牽引に活躍しました。
最期は、甲府区の配置となり、身延線で終焉を迎えました。

写真をご覧いただきますと、屋根の上には前後に2機のベンチレータのみで、非常にスッキリしているのが特徴です。
また、冬期対策として、前面窓、貫通ドア窓、さらにはヘッドライトに至るまで、前面のあらゆる装置にツララ切りが装備され、その昔は山男だった様相を最期まで見せておりました。
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EF641000番台牽引:旧客「能登」

2007-09-23 19:45:03 | 国鉄・JR機関車(直流型)
こんばんわ。

今日もまた懐かしネタの登場で、旧型客車を使用していた頃の「能登」です。
過去ログでもお話させていただいておりますが、念押しの意味もこめて、私の知っている限りの経緯をお話させていただきます。

能登の前身は、上野~金沢を結んでいた急行「北陸」に始まります。
「北陸」は2往復が設定されており、寝台・座席混合の編成である「北陸1号」と、A・B寝台車のみで編成されていた「北陸2号」がありました。
昭和50年3月のダイヤ改正において、「北陸2号」は「はやぶさ」「富士」「出雲」の24系化による余剰車両を利用して上野~盛岡間を結ぶ急行「北星」とともに20系化され、同時に寝台特急列車に格上げとなりました。

一方、「北陸」の名称を特急に取られてしまった「北陸1号」は、「能登」の愛称を与えられ急行列車のまま存置されました。

昭和57年11月の上越新幹線の開業時において、信越本線経由の「越前」の運転区間を短縮し、「能登」の名称を継承しましたが、さらに北陸新幹線の開業に伴う碓氷峠の廃止により運転線路を失った「能登」は、碓氷峠の廃止により余剰となった489系を使用した電車夜行急行として再び上越線経由で返り咲き、現在に至ります。

当初は、オロネ10、スハネ16、スロ62、スハ43系といった旧型客車で運転されており、のちに特急列車から余剰で捻出された14系寝台車・座席車に変わっています。
14系客車時代に一時七尾線にも乗り入れを実施していましたが、あまり長続きせずに解消しています。

今回ご覧いただきます写真は、EF641000番台が配置されて間もない頃の「能登」です。


昭和55年10月 東北本線 蕨~西川口間にて EF641000番台牽引の上り「能登」

客車時代の急行「能登」ですが、「北陸」時代からEF58が担当していました。水上~石打まではEF16の前補機により上越国境を越えています。
昭和55年当初、EF641000番台がEF16を置き換えるために水上区に配置され、これが完了すると長岡区のEF58をすべて淘汰し、この時点において「能登」の牽引機もEF641000番台に変わっています。
折りしも、客車は旧客のまま残っていたため、最新鋭でヨーロピアンスタイルのEF641000番台が全車旧型客車の編成を牽くという、この写真のとおり、非常にギャップの激しい時代の1コマです。

その後、上越新幹線開業の影響で信越本線経由となった「能登」は、定番のとおりEF62の牽引に移行されています。

今でさえボンネット型の特急車両を使用し、ヘッドマークまで掲示された人気の「能登」ですが、その昔は、全国に走っていた旧態然とした旧客夜行急行列車の一つに過ぎなかったのです。
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24系24型・25型「ゆうづる」 (過去ログリンク付)

2007-09-22 01:27:43 | ブルートレイン:機関車・客車
今日は、久しぶりに東北のブルトレシリーズで、24系24型時代の「ゆうづる」をお届けしたいと思います。

東北の寝台特急の中で「はくつる」に続いて誕生した「ゆうづる」は、常磐線経由で上野~青森間を結ぶ20系客車を使用した寝台特急として誕生しています。常磐線の非電化時代は、C62が牽引する20系特急として復活し、脚光を浴びていたことでも有名です。(勿論、私は見たことはありません。)

昭和51年の秋、ダイヤ改正時において、東京~山陽・九州間のブルトレが24系25型化された折り、玉突きで「ゆうづる」の24系24型化が実施されました。

写真は、24系化された時代の「ゆうづる」です。


昭和53年頃 上野駅にて 青森から一夜走り到着した24系「ゆうづる」

20系から24系化されてしまった「ゆうづる」。新しいもの好きでない私にとっては、非常にガッカリな出来事でした。ですので、この時代の写真はこの1枚しかなかったようです。



昭和54年頃 東北本線大宮駅にて 東大宮操車場へ回送される「ゆうづる」(再掲)

関西から引っ越してきたカヤ24。元同僚の24系寝台車と再び寝食を共にするようになりました。



昭和57年5月 東北本線 南浦和~浦和間にて 東大宮操車場へ回送される「ゆうづる」

カヤ24を最後尾に大宮操車場に回送される「ゆうづる」。関西で余剰になった2段ハネ25型に再度置き換えられ、再びカヤと手を組むようになったため、かつての「彗星」を彷彿する編成となりました。


「ゆうづる」に関する客車列車篇の過去ログがあります。
よろしければどうぞご覧ください。

EF80牽引「ゆうづる」
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/318.html

20系寝台:あけぼの・ゆうづる
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/94.html

20系寝台:あけぼの・ゆうづるⅡ 
http://diary.jp.aol.com/marutetsu/97.html
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