マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

今日は娘の水泳大会

2007-10-28 21:04:38 | ノンジャンル
今日は朝から娘の水泳大会でした。

朝9時から出掛けて、帰ってきたのは20時過ぎ。いや~疲れました。

で、何の大会か言うと、ズバリコレです。



娘が通うクラブの全国大会です。正直、他はクラブごと強いところもありますので、ランク的には少し落ちますが、それでも基準をクリアしていないと出場することができません。

場所は、夏休みにJOC(ジュニアオリンピックカップ)が行われた辰巳の国際水泳場です。今日はルネサンスだけなので、前回と違って殺伐とした雰囲気ではなく、ゆったりと観戦できました。



ビデオ画像を切り取って貼りましたので、画像はよくありませんが、娘の雄姿です。

娘のメインレースはいつもどおりの自由形50m。今回は予選を通過し、見事に決勝戦へ!

しかし・・・何と、決勝戦では最下位の8位に終わってしまいました・・・無念。
まぁ、それでも67人中8位だったの頑張ったと思います。

今日は他にも自由形リレーとメドレーリレーに出場し、4位と2位という結果。

付き合っている親も疲れますが、本人もかなり疲れた様子。今晩はゆっくり休んでちょうだいな。

パパはこれから自分の時間を楽しむのだ・・・眠い・・・。
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EF58141・144・145(スペックの補足)

2007-10-28 01:53:18 | EF58のアルバム
ナント、今回は1回の更新容量(文字数)を超えてしまい、受け付けてくれませんでした。

表示し切れなかった3兄弟のスペックを載せておきます。

141号機 昭和33年 3月 6日 日立製 宮原区新製配置
144号機 昭和33年 3月20日 日立製 宮原区新製配置
145号機 昭和33年 3月20日 日立製 宮原区新製配置

3両共通
新製当初は宮原区の配置ですが、宇都宮区に配置されるまで他区へ転出した実績も無いため、3両ともそろって同じ形態をしています。
宮原区配置が長かったため、エアフィルタはヨロイ戸化されています。Hゴムも施工されており、パンタグラフはPS15を搭載、関西色の強い形態です。
寒冷地仕様では、上越配置時代が無いためすべてノーマルですが、運転席・助手席両窓はデフロスタが装備されています。
141号機と145号機は昭和59年9月時点で稼動していましたが、この時点で144号機は稼動車輌とはなっていないため、他の兄弟より一足早く休車・運用離脱となった模様です。

これといった特徴のなかった3兄弟ですが、新製からお互いに最後まで離れることなく生涯をまっとうした、宇都宮区最期の精鋭たちでした。
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EF58141・144・145(宇都宮区最期の140番台兄弟)

2007-10-28 01:45:57 | EF58のアルバム
今日はチョット大量にご紹介したいと思います。

宇都宮運転所は、保存目的車を除き最期までEF58が配置されたことで知られています。客車の普通列車は53・10で無くなってしまったのですが、東北新幹線の開業までは多数の臨時列車が客車で運転されていましたし、「津軽」「八甲田」「おが」といった夜行急行列車もありましたから、EF58にとっては環境の良い場所だったようです。

その中で、これといった特徴もなく、注目も浴びてはいませんでしたが、141号機・144号機・145号機といった3両の140番台機が、ゴハチ全廃となる日まで活躍していました。

今日は、いつもより枚数が多くなりますが、そんな3兄弟が活躍していた頃の写真をご覧ください。

まずは141号機です。


昭和56年 東北本線 蕨~南浦和間にて 141号機牽引の臨時特急「はつかり51号」
元来EF58は急客機ですので、特急・急行・普通と客車列車なら何でも牽きます。東北本線では、定期の「あけぼの」と臨時の「つばさ51号」を除き、様々な場面での活躍が見られました。



昭和60年1月5日 東北本線 栗橋~東鷲宮間にて 141号機の牽く12系臨時急行列車

写真は、年末年始の多客臨である上り「八甲田54号・津軽54号」です。何で6両編成かというと、どちらかの列車(多分「津軽」の方)が雪害で大幅に遅れたため、相方を待たずに上京してしまった模様です。その遅れた相方ですが、夕方まで撮影していた中でも目撃はしませんでした。(撮影移動中にすれ違ったのでしょうが、何が牽いたのか気になります。)



撮影年不明 東北本線 古河~栗橋間にて 141号機牽引の12系ヌマ座

ネガが行方不明になってしまい、データが無いのですが、おそらく昭和60年頃に撮った写真と思われます。過去ログでも記しましたが、何故かこのヌマ座が東北本線に入線すると決まってEF58が充てられていました。12系ですからEF65でも支障がないのですが・・・。


そして、144号機です。


昭和52年頃 東北本線 西川口~蕨間にて 144号機牽引の回送列車

写真はオロネ10とスニ40を連結していた回送列車で、おそらく尾久客から大宮工場への入場車ではないかと思われます。ただし、通常大宮工場への回送は、手前の線路(貨物線経由で控車のマニ36を連結し、高崎二区のカマが牽引するのが通例ですので、もしかしたら転属車輌の回送かもしれません。



昭和53年10月 東北本線 西川口~蕨間にて 144号機牽引の下り普通125列車

東北本線上野口で最後まで残った普通客車列車。写真は、上野16時台発の福島行き125列車。EF58やEF57のための立役者だった存在の列車です。上り「八甲田」を牽引してきたカマが尾久で停留後、125列車で折り返すという運用。最盛期はもっとも重連運用が組まれる可能性が高い列車としても有名でした。
ダイヤ改正で普通客車列車が廃止となる前々日の写真で、翌日はEF65が牽引したため、事実上125列車最後の運用となりました。



昭和56年3月 東北本線 西川口~蕨間にて 144号機牽引の12系団体列車

写真手前は山手貨物線、田端操車場から来る貨物線。さらに歴史を遡れば、東北本線と高崎線が振り分けられていました。この頃は、既に客貨区別されており、上野から来る列車以外はこの貨物線を通過してきました。そう、現在は「湘南新宿ライン」とも呼ばれています。


最期に145号機です。


昭和59年9月 東北本線 蕨駅にて 14系を牽く145号機

こちらは、蕨駅付近を走る14系の試運転列車。何の試運転かといいますと、実はこの数日後に走るお召し列車の訓練運転です。お召1号編成を引きずり出す訳にはいかないため、重量合わせのための14系7連を牽引し、訓練が行われました。実際にはこの区間を61号機が牽引しましたが、訓練では何故かこの145号機が選ばれました。訓練は数回行われた筈ですが、すべての訓練に145号機が使用されたかどうかは不明です。



昭和59年1月頃 大宮操車場内にて 145号機牽引の荷物列車

59・2改正の貨物大合理化により、私が大宮操車場を追われようとしていた頃、荷物列車の牽引機も一新されようとしていた頃です。高崎二区のEEF58が全廃となり、東日本で唯一残った宇都宮区のゴハチが、高崎線・東北本線のすべての荷物列車を受け持つようになりました。
写真は、旧型荷物車が淘汰され、青く染まってしまった荷物列車。特権で操車場内から撮影。(もちろん、作業休憩中で入換作業は行われていない時間です。)


今日は大変ボリュームがあったので、作成に2時間も掛ってしまいました。

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ED77 (その1:50系&貨物列車)

2007-10-27 01:35:28 | 国鉄・JR機関車(交流・交直両用型)
今日は交流型電気機関車篇で「ED77」の第1弾をお送りいたします。

手元に詳細な資料は無いのですが、簡単に解説いたしますと、

ED77は、磐越西線の郡山~喜多方間の電化に際し導入された、50Hz交流型機関車です。昭和40年に試作機ED931として誕生し、後に量産型が15両製造されています。磐越西線は線路規格が低いため、ED75は入線できなかったことから、車体を延長の上中間台車を設けて、軸重を軽減することで電気機関車の入線を可能としました。この中間台車は、軸重を可変することができたそうです。

試作機であったED931は非貫通型として登場しましたが、量産車は磐越西線の勾配が長い線形を考慮し重連型貫通型として製造されたため、後に重連仕様・貫通型に改造の上「ED77901」と名を改め、量産型とともに活躍しました。

今日は、ED77型の牽く50系客車「レッドトレイン」と貨物列車の画像をご覧いただきたいと思います。




平成2年7月1日 磐越西線 翁島~猪苗代間にて 50系客車を牽くED77

個人的にレッドトレインが好きではないので、ED77型が牽くレッドトレインの写真はコレしかないようです。磐越西線の電化区間で2往復のみ残った客車列車が、間もなく電車化される最終期の頃の写真です。



昭和57年3月21日 磐越西線 磐梯町~翁島間にて トップナンバーの牽く貨物列車

撮影としては初めて訪れた磐越西線。この頃はまだ1号機が健在でした。通常、同線貨物列車は重連仕業の筈ですが、この列車は単機牽引になっています。???
この日は生憎の雨で最低のコンディションでしたが、同駅間約10Kmを1日掛けて歩きました。3月でかなり寒く、確か途中立ち寄った更科信号場で、声を掛けてくれた職員の方がストーブにあたらせてくれたのを思い出しました。



昭和62年6月13日 磐越西線 磐梯町~翁島 重連貨物列車

JR化後間もない頃撮った、ED7715を先頭とする重連貨物列車。59・2ダイヤ改正後に地方貨物の取扱いは激減し、この磐越西線でも日中1往復の貨物列車のみの設定となってしまいました。この列車は必ず重連運転でしたので、客車列車廃止後の人気はかなりあったと思います。
JR化後にも拘らず、このED77には2両ともあのいやらしい「JR]マークが付いていなくて得した気分です。

その2は「臨時列車篇」です。例によっていつアップするか分かりませんが、お楽しみに!

コメント (5)
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EF58101(最後にブタ鼻なんて・・・)

2007-10-26 10:15:04 | EF58のアルバム
しばらく間が空いてしまいましたが、EF58をお届けいたします。

今日は、山陽の荷物列車牽引で最期まで活躍した101号機です。

101号機は、昭和31年7月6日東洋電機・汽車会社製で、新製配置は何と東京機関区です。その後の経過は不明ですが、長らく宮原機関区で特急・急行・荷物列車の牽引に活躍しました。
形態的には、宮原区の特徴である原形小窓を廃車になるまで維持した車輌です。東海道スジの車輌ですので、エアフィルタはヨロイ戸化、パンタグラフはPS15となっています。元々上越仕様ではありませんので、ツララ切りやホイッスルカバー等の寒地装備はありません。



昭和54年頃 東京駅にて 20系急行「銀河」を牽引して上京した101号機

この写真は、101号機がまだ原形ライトを保っていたときのものです。当時、急行「銀河」は宮原区のEF58が担当していましたので、美しい姿のEF58が20系を牽引する姿を見ることができました。(一部に美しくないヤツもいましたが・・・。)
再塗装をして間もないのか、ピカピカの車体がリバーサルからのダイレクトプリントとの相性も合って、非常に綺麗なプリントとして残っています。



昭和58年5月17日 山陽本線 瀬野~八本松 EF58101牽引の荷物列車

写真は、瀬野八を行く101号機牽引の荷物列車です。編成はそこそこ両数があった割りには、EF61200番台の補機無しで坂を上ってきました。
写真を見てお判りのとおり、この時点では残念な事にシールドビーム化されています。なお、このシールドビームは、同ライトを装備したまま廃車となった別のEF58のものを取り付けていたそうです。
せっかく最後の原形小窓機として残ったにも拘らず、このようなことになってしまいました。


この101号機も、59・2ダイヤ改正時にEF62化へのツナギ役として下関区に招集され、山陽スジとしては最期の最期まで活躍したカマです。
昭和58年8月現在ではまだ廃車になってはいないようですが、事実上はこの時既に休車となっており、そのまま廃車となってしまったようです。
コメント (8)
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