マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

189系「しなの」???

2007-10-25 07:28:02 | 特急型電車(直流)
昨夜は、寝不足が祟ってダウンしてしまいました。
もう時間もなく、ネタ選びをしている余裕もないので面白写真を1枚だけ載せておきます。




え?189系の「しなの」?

まぁ、正直言ってしまえばウソ写真です。おそらく、臨時やイベントも含めて189系で「しなの」は運転していない筈です。
ただ、この当時はまだ189系が進出してきてそんなに年数が経っていなかった頃ですので、同じ長野地区の列車として「運転が有り得る」ものと用意されていたのではないかと思います。

実際に「しなの」はオール381系化されており、客車を含めて他形式の車輌を使用した実績は無いと思いますので、まさしく「幻のヘッドマーク」となってしまった訳ですね。

昭和52年頃、上野駅での出来事でした。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長岡運転所のEF15

2007-10-24 01:15:23 | 国鉄・JR機関車(直流型)
昨日お約束してしまったので、今日も高崎第二機関区のEF15をお届けしたいと思います・・・と思っていたのですが、高二だと思っていたのが実は長岡の車輌だったなんて・・・。
ということで、題名を改めてご紹介したいと思います。


昭和57年6月 大宮駅にて 貨物線を通過中のEF15142



昭和57年11月6日 上越線 水上駅にて 出発を待つEF15142牽引貨物列車


偶然ですが、両方とも142号機です。上越形の中でも後期タイプで、ナンバーもプレートではなく切り抜き文字の車体貼付けタイプです。この形態はEF58の流れと非常によく似ています。また、この番台からパンタグラフはPS15が装備されていますので、この姿がオリジナルとなります。強いて改造箇所といえば、正面窓のHゴム化くらいでしょうか。

昭和32年 7月27日 落成 東洋・汽車会社製 吹田第二機関区新製配置
昭和39年 3月 1日 岡山機関区へ移動
昭和44年 8月21日 東新潟機関区へ移動
昭和54年 5月15日 長岡運転所へ移動
昭和58年 9月13日 廃車


下の写真は、確か補機の連結を待っている状態だったと思いますが、ク5000なんて、しかも積荷がある状態で連結されているというのは、今では模型でくらいしか再現できないですね。この当時も車扱いの自動車輸送は殆ど壊滅状態だったはずなので、私自身の記録としても非常に貴重なものでした。

EF15の上越仕様として準備できているものは以上となります。
今後未現像の写真から発掘されることがありましたら、そのときには改めて(その2)としてご紹介させていただく事にします。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高崎第二機関区のEF15 (その1)

2007-10-23 09:38:42 | 国鉄・JR機関車(直流型)
今日は久しぶりにEF15にしてみようと思います。

首都圏や東海道・上越を中心に活躍したEF15ですが、今日は上越仕様で有名な高崎第二機関区のEF15をご紹介したいと思います。

上越仕様車は主に長岡区又は高崎二区に配置されていましたが、一部の号機は上越又は福米(板谷峠のこと)仕様車のまま首都圏各区に配置された者たちもいます。その場合、大体はスノープラウは外しておりますので、今回は純粋に上越仕様の号機をご紹介いたします。



昭和51年頃 東北本線 赤羽~川口間にて レサ5000を連ねたEF1565牽引貨物列車

昔はこんなに冷蔵車を連結していた貨物も走っていたんですね。
パンタグラフはPS14装備。ポケットカメラでの撮影ですので、画像が大変悪いですが、ご愛嬌ということで。

昭和28年 9月29日 落成 日立製 新鶴見区新製配置
昭和31年 8月28日 高崎第二機関区へ移動
昭和56年 5月 8日 廃車



昭和52年頃 大宮駅にて タキ1900を連ねて通過中のEF1588

ホームが日に翳ってしまい非常に見づらいのですが、当時はセメント輸送が本当に盛んな頃で、秩父セメントのタキ1900やホキ5700ばかりをつなげた列車は定番のように走っていました。パンタグラフはPS14装備。

昭和29年 3月15日 落成 日立製 新鶴見区新製配置
   同年 6月16日 稲沢第二機関区へ移動
昭和31年11月19日 米原機関区へ移動
昭和38年 9月 1日 沼津機関区へ移動
昭和39年 5月26日 広島機関区へ移動
昭和44年10月 3日 新鶴見機関区へ移動
昭和47年 3月 2日 高崎第二機関区へ移動
昭和56年10月12日 廃車

88号機は、EF15の中でも最も移動の激しかった号機のうちの1台でした。

続きはまた明日。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

板谷峠の赤い機関車(その2)

2007-10-22 00:08:46 | 国鉄・JR機関車(交流・交直両用型)
今日は、前回の続編で板谷峠の赤いシェルパをお届けしたいと思います。


昭和60年6月19日 区間不明

下り勾配を慎重な速度で下ってきたEF713+ED78重連の貨物列車。



昭和60年6月20日 大沢~板谷間にて

EF78+EF71重連で50系客車を牽引するシェルパ。この頃は編成がかなり短くなっていたが、重連仕業も結構残っていた。最後尾にマニ50も連結されている。



昭和60年6月20日 大沢~板谷間にて

EF715が単機で牽引する50系客車列車。単機でもこの重量じゃ持て余し気味?



平成2年6月30日 赤岩~庭坂間にて

時代は変わって平成。特急「つばさ」の大増発により通過客優先の性質に変わり、普通列車はどんどん寂れていった。50系客車も最終期は殆どの列車が2両編成に。電車の方が合理的?
画面奥に向かって急勾配で上って行くのが歴然と判る。ここは庭坂の大カーブ。



平成2年6月30日 赤岩~庭坂間にて

同じく庭坂の大カーブにて。最後の活躍を続けるEF71。
手前の線路は、既に新幹線規格1435mmに改軌工事が終わっている。


次回の板谷は冬篇をお届けする予定です。(いつアップするか分りませんが・・・お楽しみに!)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青梅線の青い103系

2007-10-21 19:00:51 | その他電車
今日は時間ができたのでもう一発アップいたします。

青梅線から101系が撤退し始めた頃なのでしょうか、青梅マラソンの記念切符が発売になるということで、わざわざ青梅まで出掛けて行ったことがあります。
当時はまだ記念切符というのが鉄道趣味の主流の中にありましたので、近場だと買いに行ったものですが、今になって考えてみると、何の記念になるのか良く分からず、宝箱の肥やしになっているようなものが多数あります。

それはさておいて、この時初めて青梅線に乗ったわけですが、青梅に着いていきなり目に入ってきたのがこの景色です。


昭和53年2月19日 青梅駅にて 電留線に停車中のスカイブルー103系

休日ですが、青梅マラソンの開催日ともあって、直通青梅行きの電車は満員状態。東京からの直通電車はオレンジの101系や103系ですので、終点の青梅に着くまでこのいじょう事態に気が付きませんでした。線内の折り返し電車は、来る電車来る電車ほとんどがスカイブルーの103系でした。京浜東北線住民の私からすれば、ここまで来てこの色?という感じでしたね。

当時、未だ103系は新型電車と認識されていた時代ですから、103系には特段の興味もなく、写真を撮るなんてことも滅多になかったのですが、「色違い」「混色」といった変わり事になんとなく目敏い少年でしたので、写真を撮っていた次第です。

東日本では103系もほぼ全滅してしまった現在、こんな写真も貴重な思い出の一つに一つとなってしまいました。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする