『 極楽からの迎えを見た尼 ・ 今昔物語 ( 15 - 37 ) 』
今は昔、
池上の寛忠僧都(カンチュウソウズ・宇多天皇の孫にあたる。僧都は僧正に次ぐ地位。)という人がいた。
その人の同母の妹に一人の尼がいた。その尼は、温和な性質で勝手気ままな振る舞いやよこしまな心は全くない。また、一生の間独身で、結婚したことがなかった。常に現世を厭い、後世の事を心に懸けていた。
そして、遂に髪を剃って、尼となった。寛忠僧都はこの妹の尼を哀れに思い、自分が住んでいる寺の近く住まわせて、朝夕に面倒をみていた。
こうして、その尼はいつしか老境を迎えたが、ただ弥陀の念仏を唱え続けていて、ひたすら極楽往生を願っていた。
ある時、尼は僧都を呼んで告げた。「私は、明後日に極楽に往生いたします。それゆえ、今日から不断念仏(一定の期間を定めて、昼夜不断に阿弥陀の名号を唱える法会。)を行いたいと思います」と。
僧都はこれを聞くと、喜び尊んで、高僧たちを請じ集めて、三日三晩の間、不断の念仏三昧を行わせた。
すると、尼はまた僧都を呼んで告げた。「ただ今、西方より美しい宝で飾られた輿(コシ)が飛んできて、私の目の前にあります。ただ、ここは汚れ濁った所なので、仏・菩薩は帰って行かれました」と。
僧都はこれを聞くと、涙を流して感激すること限りなかった。(汚れた場所のため仏・菩薩が帰っていったことを泣くのではなく、お姿を表したことを感激したもの。)尼もまた、泣く泣く喜び尊んだ。
そして、僧都は、泣きながらも二度にわたって諷誦(フジュ・極楽浄土へ引導するため、経文などを声をあげて読むこと。)を行った。
明くる日、尼は、また僧都を呼び寄せた。そして、「たった今、菩薩・聖衆(ショウジュ・聖なる人々。)がここにおいでになりました。私の往生の時が来たのです」と言うと、几帳の陰に隠れて座り、念仏を唱えながら息絶えた。
僧都はこれを見て、涙を流して歓喜し尊び、いっそう心を込めて尼の後世を祈った。また、これを聞き及んだ人は、すべての人が尊んだ。
これを思うに、尼が極楽のお迎えを目に見て、それを告げることはまれに見る尊いことだ、
となむ語り伝へたるとや。
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